アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄裁判・被告人の黙秘権行使に対する攻撃は許されない

2017年11月23日 | 差別・人権

     

 「米軍属女性暴行殺人事件」(2016年4月発生)はあす24日、那覇地裁で結審します(判決は12月1日の見通し)。重大な事件であり、裁判の行方が注目されるのは言うまでもありません。

 しかし、これまでの2度の公判(11月16日、17日)をめぐる報道、とりわけ地元沖縄の琉球新報と沖縄タイムスの報道にはきわめて大きな問題があると言わざるをえません。

  第1に、両紙の18日付1面トップは、申し合わせたように、被害者両親の言葉を白抜きで大きく並べています(写真)。ご両親の心中は察するに余りありますが、それを新聞がこういう形で取り上げることは、事実上、厳罰・極刑(死刑)判決を期待する世論を煽り、裁判員に対する暗黙の圧力になることは避けられません。

  第2に、両紙とも「被告再び黙秘」(琉球新報)、「元米兵、黙秘続ける」(沖縄タイムス)と見出しをとり、社説などで被告人が黙秘していることを批判・攻撃していることです。これは重大な誤りです。

  憲法38条第1項は「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」と明記しています。これが黙秘権の憲法上の根拠です。さらにこの憲法規定に基づき刑事訴訟法は、「被告人は、終始沈黙し、または個々の質問に対し、供述を拒むことができる」(第311条第1項)と定めています。

 「被告人は、憲法上、自己に不利益なことがらについて黙秘権を持つだけでなく、訴訟法によれば、およそ供述するかどうかが、全くその任意に委ねられている。したがって被告人をその意思に反して証人として喚問し、供述を強要することができないのは勿論である」(平野龍一著『法律学全集43 刑事訴訟法』有斐閣)

 このように黙秘権が被告人にとってきわめて重要な権利だからこそ、刑訴法は裁判官に対し、公判の冒頭で被告人に黙秘権の存在を告知しなければならないと定めています(第291条第2項)。

  ところが琉球新報は社説(17日付)で、「被告の権利とはいえ、黙秘権行使は許し難い」「被告は黙秘権を行使した。少なくとも被害女性、遺族に謝罪すべきである。…被告は反省していないと断じるしかない」「被告の順法精神と人権意識の欠如の延長線上に、黙秘権の行使があるのではないか」「そのようなこと(「殺意があると判断されなければ殺人罪に問われない」)を考えて殺意を否認し、黙秘したならば、言語道断である」と、繰り返し「黙秘権の行使」を批判・攻撃しています。

 こうした主張は、憲法、刑事訴訟法の精神を真っ向から否定するものと言わねばなりません。「謝罪」も「反省」も黙秘とはまったく関係ありません。そもそも黙秘権は「自己に不利益な供述を強要されない」権利なのですから、不利になる(殺人罪に問われる)と思うことを述べないのは「言語道断」どころか当然のことです。逆に、黙秘権の行使こそ「順法精神と人権意識」に基づくものです。

  被告人に対し「真実を述べてもらいたい」(17日付沖縄タイムス社説)というのは、素朴な感情でしょう。しかしだからといって黙秘を批判・攻撃することは許されません。

  「犯罪事件がおこると、たいていの場合、逮捕され起訴された人間は「真犯人」にちがいない、という調子で報道される。実際、黙秘権ひとつをとっても、「本人のやったことは本人がいちばん知っているはずだ」「犯人の権利より被害者の人権の救済こそ大事ではないか」という反応は、世間でむしろ一般的である。
 しかしまた私たちは、正式の裁判で最高裁まで行って死刑の確定した事件が、当事者たちのなみなみならぬ労苦の末ようやく再審の扉が開かれて、何十年もあとになって無罪とされる、という例も、ひとつならず知っている」
 「人身の自由に属する諸権利は、これまでの人類の痛みに充ちた体験のつみ重ねのなかから生み出された智恵の結晶なのであるが、しかし、黙秘権の例にも見られるように、「世間の常識」からは理解されにくいという側面も持っている。…「えん罪からの人権」という最低限度の人権を確保するためには、「世間の常識」をぬけ出て、「九十九人の真犯人をとり逃がすことがあっても、一人の無実の者を罪にしてはならない」という意識を確立させることが、不可欠なのである」(樋口陽一著『憲法入門』勁草書房)

  「自己ざんげ(被告人の供述―引用者)は、道徳律の世界では、むしろ崇高な善として勧奨されこそすれ、禁圧されるいわれはないであろう。しかし、近代以降、法の世界では、もっとも忌むべきものであるはずの犯罪について、開示(供述―引用者)を拒むことができるとされたのである。これは、ある意味で、常識の逆転現象ともいえる。なぜ、このような逆転現象が生じたのであろうか。それは、近代以前の苛烈な糾問が人間の尊厳の抑圧という耐えがたい不正義―道徳律への不従順という不正義以上の―をもたらしたからであり、人類がその歴史の教訓に学んだからにほかならない」(田宮裕著『刑事訴訟法{新版}』有斐閣)

  「事件の真相を知りたい」「被告人は真相を話すべきだ」…そんな「世間の常識」から抜け出して、黙秘権は尊重されなければなりません。なぜなら、それは、人類が、自白の強要、拷問、冤罪という国家権力による「人間の尊厳の抑圧という耐えがた不正義」とたたかい、その「歴史の教訓に学ん」でかちとった大切な権利だからです。

  黙秘権を尊重することこそ、軍事基地があるがゆえの犯罪・人権侵害とのたたかい、基地撤去のたたかいと通じるのではないでしょうか。


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