アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

安倍首相の「2020年」と「3・11」

2017年05月11日 | 安倍政権

     

 安倍首相が「新憲法施行」の年にしたいと言った「2020年」。確かに、安倍氏は「自分が首相のうちに憲法を変えたいだけ」(民進党・蓮舫代表、9日の参院予算委員会)という指摘も間違ってはいないでしょう。

 しかし、安倍首相の「2020年」には、軽視できない、もっと深い意味があるのではないでしょうか。安倍氏はこう言っています。

 「私はかねがね、半世紀ぶりに日本で五輪が開催される2020年を、未来を見据えながら日本が新しく生まれ変わる大きなきっかけにすべきだと申し上げてきた」(3日付読売新聞インタビュー)

 この意味は、1つは、自衛隊を9条に明記する改憲であることは本人が明言している通りです。しかし、それだけではないでしょう。もう1つ、明言はしない(できない)けれど、安倍氏の念頭にあるのは「3・11」ではないでしょうか。東電福島原発「事故」を含む東日本大震災を「過去」のこととして葬り去りたいということです。

 そもそも福島原発の放射能汚染を「アンダー・コントロール」と大ウソをついて東京に五輪を誘致(2013年9月7日)し、「復興五輪」と命名した時から、安倍氏にはその計算があったのではないでしょうか。

 安倍氏の頭にははじめから「被災者」「フクシマ」はありませんが、今年の「3・11追悼式典」(政府主催)の「首相式辞」で、初めて「原発事故」の文字を消したのは象徴的です(写真中)。

 安倍氏の後ろ盾になっている森喜朗元首相が牛耳る東京五輪大会組織委員会で、「聖火リレー」のスタートを「3月11日」にする案が検討されている(7日付共同配信)ことも、「3・11」の上に「五輪」をかぶせようとすることに思えてなりません。

 「3・11」は、いまだに「避難者」が12万3000人(今年2月現在)にのぼること1つをとっても、「復興・復旧」どころか、被災者の苦しみは変わってはいません。増すばかりです。放射能に対しては「コントロール」どころか何1つ有効な対策を見い出せていません。
 にもかかわらず、安倍政権は避難者への援助を打ち切り、半ば強制的に「帰還」させる一方、原発再稼働をすすめ、安倍氏自身がアジア諸国に原発を売り込んでいる始末です。
 なによりも、これほど甚大な被害を出しておきながら、政治家も企業人も、だれ1人として責任を問われていません。

 安倍首相は、被災者を切り捨てた(「棄民」)まま、「3・11」から何も学ばず、責任をとらず、原発大国の道を突き進もうとしています。それが「原発ムラ」はじめ財界・大企業の意向でもあります。その暴走をいちだんと加速させる「きっかけ」にしようとしているのが「2020年東京五輪」です。

 問題は、こうした安倍戦略が、スポーツイベントに熱狂する「国民」と、それを助長するメディアの中で、批判も受けず奏功する可能性が小さくないことです。

 都合の悪い「過去」にはフタをする安倍首相の「未来志向」(「慰安婦」問題もその1つ)とは逆に、「過去」の過ちの原因と責任を明確にし、教訓を生かすことなしに「未来」はないはずです。
 しかし日本はそれを怠ってきました。「東アジア侵略・植民地化」「沖縄」「水俣」…同じ過ちを「3・11」でも繰り返すのかどうか。「2020年」にはそういう意味があるのではないでしょうか。


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