サンタフェより

高地砂漠で体験したこと 考えたこと

「ファニタ」

2006年06月02日 | 旅人希望
「小さい飛行機にはゼッタイに乗りたくない!」というマリベルの一言で、私たちはクスコからアレキパまで高速バスを利用するはめになった。8時間ほどでこぼこ道を、夜通しで旅する。あこがれのティティカカ湖近くを通ったのだろうが、真っ暗闇で何も見えなかった。皆はお尻が痛くて困ったと訴えていたが、乗る寸前に食べた鶏肉とご飯の油が悪かったのか、私は前半4時間をそこそこにきれいなバスのトイレで過ごしたので、かえって楽に長旅をおえることができた(笑)

アレキパの町は、スペイン植民地時代の影響の最も強い、リマに次ぐ現代都市だ。プラサ周辺では、火山岩を利用した白い壁が印象的で、いわゆるコロニアル式の建築物も少なくない。「アレキパ」の名前は、インカの第四皇帝マイタ・カパックが旅行中、この美しい谷に心奪われ、「アリ・キパイ(ここにとどまるがよい:ケチュア語)」と命じたことに、由来するとか。町そのものは、現代化、アメリカナイズが進み、トウキョウで暮らし合衆国からやって来た私にとっては、あまり興味深いところではなかった。このまちで強烈に心に残ったのは、ただひとつ。ファニタ。

中央広場から1ブロックの所にサンタ・マリア・カソリック大学の博物館サンチュアリオス・アンディノス(Galeria de Fotos参照)がある。他にもいろいろ博物館はあるのに、どうしてここへ行ったのか。その理由はひとつ、凍れる少女のミイラ「ファニタ」を見るためだ。文化人類学者であるハリーの強い要望に引っ張られて、植民地時代式の建物に入る。まずビデオ説明を受けた。このミイラは、アンパト山(6300m)で1995年に、文化人類学者ラインハード博士とパートナーのペルー人登山家ザラテに発見された、15世紀中葉インカ帝国時代の「生け贄」だろうとされている。14.15才らしい少女は、コカの葉やその他のハーブを飲んで高山病に耐え、1.2ヶ月山を登り続けて、最後には頭を野球バットのようなもので打たれて、生け贄としての命を全うした。目的は火山の鎮魂であったろう。万年雪のなかに閉ざされ、近くの火山サバンカヤの噴火で落ちてきた火山灰によって、雪が融けその姿を発見されるに至った。科学的、考古学的にはこれほどの保存度で発掘されたミイラはなく、発見依頼注目を集め、各研究の対象にされている。

ナバホとミイラを見に行く、というのには特別の意味がある。彼らの「死」に対する姿勢は、「今日は死ぬのによい日」などのフレーズから部外者が想像するインディアンの死観から、少しずれているからだ。彼らは、「死」を畏れ多いものとして避ける。「生」の裏側のものとして、口にはたやすく出さない話題だ。昔は誰かが亡くなると、そのホーガンは死体ごと置き去り野ざらしにされ、朽ち果ててもひとは近寄らない。聖地だとは言っても、アナサジの遺跡などは、悪霊が憑くかも知れないからと、足を踏み入れぬか(儀式や祈りをもって)念には念を入れて入ってゆく。

もちろんハリーは、メディスンパウチにトウモロコシの花粉を入れて、持参していた。特に死体を初めて見る20才のコニアには、部屋に入る前から様々な忠告がされ、無理して見たり近寄る必要はないということが、何度も繰り返し伝えられた。

彼らは2m以上近寄らなかった。その部屋にいる間中、小声で祈りを唱えている。そして、博物館から出て宿舎にもどるまで、誰も口を開こうとしなかった。夜になって、ミーティングをしようということになり、今日起こったことについて話し合う。基本的に皆の意見は一致していて、「哀しいことにこの21世紀になっても、有名な学者が土地の人から情報をもらい、ペルー人に助けられ、発見の名誉を一人占めするのは、変わっていない」「一度山のスピリットに与えられたものを、掘り返して世界中を連れ回し(1996年日本へも行った)ガラスのケースに入れて見せ物にするのはまちがっている。ばちあたりだ。」北米では少なくとも、さまざまな部族が、お墓や遺跡から掘り出した遺骨などを、もとの部族へ返すよう要請するのが当たり前の道徳観になりつつある。(もちろん、彼らは闘わなくてはならないし、いつも主張が通るわけではない。)だから、インカの末裔であるアデラが、「興味深かった」という感想を述べたりすると、ハリーやベンは怒りに震えるのだ。

私はとても複雑な気持で、半日を過ごした。インカとスパニッシュの混血になるアデラに言わせると、もし、外国人の学者が発見してきちんと分析し博物館で管理しなければ、彼らインカの子孫の中から金儲け目的で墓荒らし/遺跡荒らしをする者が出て、ブラックマーケットへ流し、インカの遺産は蒸発して永遠に無くなってしまう。だから、この方がいいのだと。この国の貧しさと、混血の度合いを考えると、それにも一理あるように思ってしまう。でも、ナバホの友人たちの、「大精霊に捧げられたもの、その土地や部族に属するものは、もとに返すべきだ」というかたくなな意見には、反論の余地がない。

ハリーはスミソニアン博物館などで、発掘品の整理や研究をしたことのある人だ。彼自身、年寄り衆には「ばちあたり」と言われてきた。最近、目が腫れたり原因不明で痛かったりするのだが、先日のコカの葉占いでメディスンマンに「お前は見るべきでないものを見過ぎた。これからは、その目を休めなさい。」と言われたこともあり、今夜はかなり考え込んでいる様子だった。

コニアは、この後旅行中に悪夢を見始める。リマで飛行機を待っている時、わたしに打ち明けてきて「おじさん(ベンのこと)に話した方がいいかな?」というので、その方がいいと答えた。帰ったらすぐに父親に話し、セレモニーをしてお祓いをすることになるだろう。

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