小学6年生の俺は悩んでいた
卒業文集に将来の夢をかかなきゃいけないらしいからだ
当時の俺は作文が苦手だったこともあるが、何より将来の夢というのがネックだった
断言できるが、その当時の俺に夢なんてなかった
あえて挙げるならテストとか勉強とかがなんとなく嫌だったので中学生になりたくないなぁとか考えて、わがままで自由なガキでいたいなぁとか
そんなの夢じゃない、というか卒業文集に書けないので困った
仕方ないので友達に夢を訊いてみた
「プロ野球選手」
おお、じゃあそれでいいや
そうそう、この卒業文集(というかアルバム)の写真は自分の夢に由来する物品をもって撮影するらしかった
でも俺は野球道具らしいものを持ってなかったので手ぶらだった
みんな思い思いの小道具を持ってポーズを決めてる中、一人ただ高らかにピースをしてるだけの俺は私生活だけでなく卒業文集の中でも明らかに浮いていたりするのだ
中学に入った
制服の首のところの苦しさが尋常ではなかった
俺は元々首や手首に装飾品(腕時計など)を巻くのが苦手だ
腕時計をつけていると手首とか切れそうで怖い、手首がちょん切れておててがなくなったら困るからというのが主な理由だった
そりゃ誰だって手がちょん切れたら困る
そういうわけで、中学に入りたての頃は制服の襟の部分が首に当たる度に首から先がちょん切れないか心配していたりした
杞憂に終わって本当に良かった
さて、部活に入ろうと思った
しかし我が中学の部活の少なさは尋常ではない
女子専用の部活を入れて10個程度だったはず
「どこに入ろうか?」なんてワクワクするほど選択肢があるわけでもなく、
友達が入るということもあり野球部に入部した
決して「プロ野球選手になりたい!」という夢を叶えたいからなんて前向きな話ではなかったことを断言しておく
一年後、俺は当然のように2年生になった
身長が10センチ伸びた
体重が1キロ減っていた
これは凄い
一方野球の方はさっぱりで、顧問も変わっていた
とりあえずトスとかいうピッチャーゴロを打つ練習と、バントとかいう玉拾いのいる正面にボールを転がす練習のおかげでピッチャーゴロとバントは得意になった
キャッチボールは出来ないままだった
そういえば試合で初ヒットを打ってたりもした、当然のようにセーフティバントだった
2年生になってからの顧問は失礼なことに俺をバント専門家だと思っているようだった、失礼な、ピッチャーゴロだって得意だ
代打でバントをしながら、ただ送るだけじゃつまらないので常にセーフティで送るようにしてたらレフトのスタメンの子より記録上のヒット数が多くなってたりもした
一年後、3年生になった
顧問が毎年変わるというのも中々困ったものだと思う
このころシュートという変化球を覚えた
といっても投手ではないので役に立たない
ちなみに普通はカーブとかから覚えるらしい
身長が10センチ伸びた
今度はちゃんと体重も増えてた
というか少しマッチョになってきた
性格的に野球が向いてないことに気付いた
野球は見るものだ、やっても飛来するボールを三塁線や一塁線に転がすだけの単調な作業にしかならない
また、野球とは別の方面で問題が発生した
――高校受験だ
そりゃもう中学入ってからはずっと塾に通っていたのでそれなりの頭ではあったのだが、提出物を全く出してないので内申点が低くて第一志望の公立一本でいけるかが微妙なラインなようだった
担任「微妙なラインなので、専願でもいいし、私学と併願してもいいんですが」
俺「なら公立一本でいきます」
担任「え、いやでも微妙な――」
俺「一本で」
担任「いやーそのー………」
結局親の指示で、公立落ちたら「罰ゲームで」厳しい私学に行きなさいということで併願することになった
結局両方受かった
さすがだぜ、俺☆
自転車で事故って腕吊りながら修学旅行に行ったりもしたがそれなりに中学も楽しかった気がする
ちなみに部活の最後の大会では後輩にスタメンを奪われたりした
というかベンチにライトの選手が多すぎたと思うんだ
こんな感じで、俺は厨二病を発祥することなく中学を卒業、こうして魔の高校3年間へと突入するのであった
ということで、ゆびさきミルクティーという漫画を衝動買いして結構当たりだと思った佐藤でした。
何でこんなことを突然書いたのか?
これは伏線なんだよ、回収されるか分からないけどな!(ぉ
卒業文集に将来の夢をかかなきゃいけないらしいからだ
当時の俺は作文が苦手だったこともあるが、何より将来の夢というのがネックだった
断言できるが、その当時の俺に夢なんてなかった
あえて挙げるならテストとか勉強とかがなんとなく嫌だったので中学生になりたくないなぁとか考えて、わがままで自由なガキでいたいなぁとか
そんなの夢じゃない、というか卒業文集に書けないので困った
仕方ないので友達に夢を訊いてみた
「プロ野球選手」
おお、じゃあそれでいいや
そうそう、この卒業文集(というかアルバム)の写真は自分の夢に由来する物品をもって撮影するらしかった
でも俺は野球道具らしいものを持ってなかったので手ぶらだった
みんな思い思いの小道具を持ってポーズを決めてる中、一人ただ高らかにピースをしてるだけの俺は私生活だけでなく卒業文集の中でも明らかに浮いていたりするのだ
中学に入った
制服の首のところの苦しさが尋常ではなかった
俺は元々首や手首に装飾品(腕時計など)を巻くのが苦手だ
腕時計をつけていると手首とか切れそうで怖い、手首がちょん切れておててがなくなったら困るからというのが主な理由だった
そりゃ誰だって手がちょん切れたら困る
そういうわけで、中学に入りたての頃は制服の襟の部分が首に当たる度に首から先がちょん切れないか心配していたりした
杞憂に終わって本当に良かった
さて、部活に入ろうと思った
しかし我が中学の部活の少なさは尋常ではない
女子専用の部活を入れて10個程度だったはず
「どこに入ろうか?」なんてワクワクするほど選択肢があるわけでもなく、
友達が入るということもあり野球部に入部した
決して「プロ野球選手になりたい!」という夢を叶えたいからなんて前向きな話ではなかったことを断言しておく
一年後、俺は当然のように2年生になった
身長が10センチ伸びた
体重が1キロ減っていた
これは凄い
一方野球の方はさっぱりで、顧問も変わっていた
とりあえずトスとかいうピッチャーゴロを打つ練習と、バントとかいう玉拾いのいる正面にボールを転がす練習のおかげでピッチャーゴロとバントは得意になった
キャッチボールは出来ないままだった
そういえば試合で初ヒットを打ってたりもした、当然のようにセーフティバントだった
2年生になってからの顧問は失礼なことに俺をバント専門家だと思っているようだった、失礼な、ピッチャーゴロだって得意だ
代打でバントをしながら、ただ送るだけじゃつまらないので常にセーフティで送るようにしてたらレフトのスタメンの子より記録上のヒット数が多くなってたりもした
一年後、3年生になった
顧問が毎年変わるというのも中々困ったものだと思う
このころシュートという変化球を覚えた
といっても投手ではないので役に立たない
ちなみに普通はカーブとかから覚えるらしい
身長が10センチ伸びた
今度はちゃんと体重も増えてた
というか少しマッチョになってきた
性格的に野球が向いてないことに気付いた
野球は見るものだ、やっても飛来するボールを三塁線や一塁線に転がすだけの単調な作業にしかならない
また、野球とは別の方面で問題が発生した
――高校受験だ
そりゃもう中学入ってからはずっと塾に通っていたのでそれなりの頭ではあったのだが、提出物を全く出してないので内申点が低くて第一志望の公立一本でいけるかが微妙なラインなようだった
担任「微妙なラインなので、専願でもいいし、私学と併願してもいいんですが」
俺「なら公立一本でいきます」
担任「え、いやでも微妙な――」
俺「一本で」
担任「いやーそのー………」
結局親の指示で、公立落ちたら「罰ゲームで」厳しい私学に行きなさいということで併願することになった
結局両方受かった
さすがだぜ、俺☆
自転車で事故って腕吊りながら修学旅行に行ったりもしたがそれなりに中学も楽しかった気がする
ちなみに部活の最後の大会では後輩にスタメンを奪われたりした
というかベンチにライトの選手が多すぎたと思うんだ
こんな感じで、俺は厨二病を発祥することなく中学を卒業、こうして魔の高校3年間へと突入するのであった
ということで、ゆびさきミルクティーという漫画を衝動買いして結構当たりだと思った佐藤でした。
何でこんなことを突然書いたのか?
これは伏線なんだよ、回収されるか分からないけどな!(ぉ