セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

梅雨に入る前に

2013-05-24 | 日記
 一年を通して五月はなんと素晴らしい時期でありましょう。
生命漲る木々の青葉、まるで水の流れのように咲く藤、あやめ、鉄線の紫色、
つつじ、さつきのオレンジ、赤色、こ手毬の白色など色とりどり、まさに
百花繚乱の五月。麗しき五月、薫風かおる五月。
 そんな時季を愉しんでいるうちにまもなく六月、梅雨入りが近くなってきた。
梅雨の間をせめて気持ちよく清潔に過ごそうと台所掃除を始めた。
引出の中には母から受け継いだ母の思い出につながる道具が入っている。
 すりこ木に思い出はさかのぼる。とろろ汁を作る時、すり鉢の下に布巾を敷き、
すりおろしたとろろに出し汁を少しずつ加え、すりこ木をくるくると回して
すっていく。子供の私はすり鉢をしっかり押さえるお手伝い。
ご飯の上にとろろ汁をのせて食べる時の母の一言、「とろろをお口の周りに
つけないように、かゆくなるから気を付けてね」。
今、私はこのすりこ木をおはぎを作る時、炊いたもち米を母がしていたように
トントンしてお米をつぶすのに使っている。 
 めん棒に思い出はさかのぼる。終戦後間もない頃、お菓子を作る材料も
ままならぬ時に、母はビスケットを焼いてくれた。
卵、膨らし粉、粉、砂糖で生地を作り母は丁寧に生地を伸ばした。
その生地を私や妹にコップや瓶のふたを利用して型抜きをさせてくれた。
私にはとてもうきうきとした心弾むお手伝いであった。
卵のきみをぬり、炭の天火で焼き上がったビスケットを頬張る子供達を
見守る母の目が優しかった。小さいな私にも母親と一緒の事をする喜びを
きっと感じていたのでしょう。あの狭いお台所が懐かしく思い出される。
今、私はこのめん棒でパイ生地やパン生地を伸ばすのに使っている。
 まっしゅ棒に思い出はさかのぼる。今はマッシャーという型に変わっている。
じゃが芋の甘いまっしゅが大好きで、母は丁寧につぶしなめらかにして
茶巾絞りのようにしておやつとして作ってくれたものでした。
今、私は時々付け合せとしてこのまっしゅ棒でまっしゅを作っている。
新しい便利な道具が出回っている昨今、母が使い私が使い続けている70年
以上にもなるこれらの道具はおそらく娘達は使わないであろう。
だから私は母が大切に使っていたこれらの道具達をいつまでも使い続けて
行こうと思っている。
さあ、思い出にふけっている閑はない。よい日和のうちに手を動かさなければ。
人間が生活するにはいやぁな梅雨も、自然界においては何かの恵みを
もたらすものなのかも知れない。
じめじめをしめしめと思いつつ梅雨時を過ごしていこうと思う。

たけのこ・筍

2013-05-16 | 日記
 毎年、この時期になると長年の友から掘りたてのたけのこが贈られて来る。
先日も土の匂いのするむっちりとしたたけのこが数本届いた。
すぐに皮を剥きゆでた。ゆでたてのたけのこの穂先の部分を細く切り、
酢味噌和えにして食べてみた。やわらかくて美味しかった。
また、薄切りにしてバターで焼き、さっとお醤油をかけて食べたのも美味しかった。
こんな料理ともいえない簡単な料理だけれども、とれたて新鮮のたけのこゆえ
その素材が生かされての美味しさを味わうことが出来るのだと思う。
季節の美味しさを味あわせてくれる友に感謝。
 さて、まだあるたけのこをどのように料理しましょうか。
土佐煮、煮物はもちろん、定番の若竹汁、まぜごはん、八宝菜等など、
たけのこを使った料理はたくさんある。
明日は下味をつけてある(保存のため)たけのこに片栗粉をまぶして揚げよう。
これは鶏のから揚げみたいでちょっと美味!
不思議なもので、子供の頃には嫌いだったたけのこも、
年を重ねるごとにたけのこの旨味が分かってきたように思うのである。
しばらくはたけのこ料理が食卓を占領する。
たけのこ三昧で、緑の風そよぐ五月はすぎて行く。
   ちょっとおどけて「竹の子ども」だからたけのこ?
   また、ちょっとおどけて「旬の竹」だから筍?

 高校生の時に出合った萩原朔太郎の詩「竹」を読み返してみた。
 私は「竹」の二連めの詩に心打たれるのである。
    「かたき地面に竹が生え、
      地上にするどく竹が生え、
       まっしぐらに竹が生え、
        凍れる節節りんりんと、
         青空のもとに竹が生え、
          竹、竹、竹が生え。」
当時、女学生だった私は、竹のようにしっかりと根を生やして、
まっしぐらに生きていきたいと思った。
今日まで、私は、そのように生きてきたであろうか。

復活?スリーポテトーズ

2013-05-02 | 日記
   ♪友と語らん  鈴懸の径
    通いなれたる 学舎の街
      やさしの小鈴 夢かげに鳴れば
      夢はかえるよ 鈴懸の径 ♪
           「鈴懸の径」歌・灰田勝彦 ※鈴懸とはプラタナスのこと。
 このところ私の頭の中には、鼻にかかった甘い声で歌う灰田勝彦の
「鈴懸の径」の歌がゆっくりと繰り返し流れている。
灰田勝彦と言っても今の若者達には「誰?その人」と言うでしょう。
彼は戦前、戦後一世を風靡した歌手である。
いさましい軍歌が流れていた時代に彼の歌う「鈴懸の径」や「きらめく星座」
「新雪」等々の明るい歌がラジオから流れて来ると、人々はいっとき、慰められ、
元気づけられたことであったろう。
後に歌われた「野球小僧」「東京の屋根の下」等々の歌も当時の若者に
夢を与えてくれたに違いない。子供だった私にでも口遊むことが出来た。
今聞いても何か懐かしさと共にしみじみとした感情が心に拡がる。
そして、母がこのハワイ生まれの端正な感じの彼の大ファンだったのである。
 そもそも、どうしてこの歌を思い出したのかと言うと、たぶん、
連休明けに高校時代の仲良しの友三人と50年ぶりに逢うことになったから。
年賀状で毎年心を通わせていたことが、まもなく実現する。
「すぐに高校時代にもどれるね」との友の手紙。
クラスメートがつけた当時のニックネーム「スリーポテトーズ」の復活である。
やき芋、ふかし芋、干し芋と私たち三人に命名してくれた。
ヤングオールドになってしまった私たち三人は名実ともに干からびた芋となった?
それとも、いろいろ体験経験し、少しは人間的にも寛容さを身に備え、
和らいだ心に導かれたであろう今、人にも自分にも甘くなっているはず。
今でしょう!新しいニックネームをつけるとしたならば。
「スイートポテトーズ」でしようか。滋味たっぷりの甘いあまいスイートポテト。
それはちょっと無理?大いに無理無理?!
あの頃に戻って友と語り明かそう、新緑の芽吹き始めた五月の松島の宿で。