一年を通して五月はなんと素晴らしい時期でありましょう。
生命漲る木々の青葉、まるで水の流れのように咲く藤、あやめ、鉄線の紫色、
つつじ、さつきのオレンジ、赤色、こ手毬の白色など色とりどり、まさに
百花繚乱の五月。麗しき五月、薫風かおる五月。
そんな時季を愉しんでいるうちにまもなく六月、梅雨入りが近くなってきた。
梅雨の間をせめて気持ちよく清潔に過ごそうと台所掃除を始めた。
引出の中には母から受け継いだ母の思い出につながる道具が入っている。
すりこ木に思い出はさかのぼる。とろろ汁を作る時、すり鉢の下に布巾を敷き、
すりおろしたとろろに出し汁を少しずつ加え、すりこ木をくるくると回して
すっていく。子供の私はすり鉢をしっかり押さえるお手伝い。
ご飯の上にとろろ汁をのせて食べる時の母の一言、「とろろをお口の周りに
つけないように、かゆくなるから気を付けてね」。
今、私はこのすりこ木をおはぎを作る時、炊いたもち米を母がしていたように
トントンしてお米をつぶすのに使っている。
めん棒に思い出はさかのぼる。終戦後間もない頃、お菓子を作る材料も
ままならぬ時に、母はビスケットを焼いてくれた。
卵、膨らし粉、粉、砂糖で生地を作り母は丁寧に生地を伸ばした。
その生地を私や妹にコップや瓶のふたを利用して型抜きをさせてくれた。
私にはとてもうきうきとした心弾むお手伝いであった。
卵のきみをぬり、炭の天火で焼き上がったビスケットを頬張る子供達を
見守る母の目が優しかった。小さいな私にも母親と一緒の事をする喜びを
きっと感じていたのでしょう。あの狭いお台所が懐かしく思い出される。
今、私はこのめん棒でパイ生地やパン生地を伸ばすのに使っている。
まっしゅ棒に思い出はさかのぼる。今はマッシャーという型に変わっている。
じゃが芋の甘いまっしゅが大好きで、母は丁寧につぶしなめらかにして
茶巾絞りのようにしておやつとして作ってくれたものでした。
今、私は時々付け合せとしてこのまっしゅ棒でまっしゅを作っている。
新しい便利な道具が出回っている昨今、母が使い私が使い続けている70年
以上にもなるこれらの道具はおそらく娘達は使わないであろう。
だから私は母が大切に使っていたこれらの道具達をいつまでも使い続けて
行こうと思っている。
さあ、思い出にふけっている閑はない。よい日和のうちに手を動かさなければ。
人間が生活するにはいやぁな梅雨も、自然界においては何かの恵みを
もたらすものなのかも知れない。
じめじめをしめしめと思いつつ梅雨時を過ごしていこうと思う。
生命漲る木々の青葉、まるで水の流れのように咲く藤、あやめ、鉄線の紫色、
つつじ、さつきのオレンジ、赤色、こ手毬の白色など色とりどり、まさに
百花繚乱の五月。麗しき五月、薫風かおる五月。
そんな時季を愉しんでいるうちにまもなく六月、梅雨入りが近くなってきた。
梅雨の間をせめて気持ちよく清潔に過ごそうと台所掃除を始めた。
引出の中には母から受け継いだ母の思い出につながる道具が入っている。
すりこ木に思い出はさかのぼる。とろろ汁を作る時、すり鉢の下に布巾を敷き、
すりおろしたとろろに出し汁を少しずつ加え、すりこ木をくるくると回して
すっていく。子供の私はすり鉢をしっかり押さえるお手伝い。
ご飯の上にとろろ汁をのせて食べる時の母の一言、「とろろをお口の周りに
つけないように、かゆくなるから気を付けてね」。
今、私はこのすりこ木をおはぎを作る時、炊いたもち米を母がしていたように
トントンしてお米をつぶすのに使っている。
めん棒に思い出はさかのぼる。終戦後間もない頃、お菓子を作る材料も
ままならぬ時に、母はビスケットを焼いてくれた。
卵、膨らし粉、粉、砂糖で生地を作り母は丁寧に生地を伸ばした。
その生地を私や妹にコップや瓶のふたを利用して型抜きをさせてくれた。
私にはとてもうきうきとした心弾むお手伝いであった。
卵のきみをぬり、炭の天火で焼き上がったビスケットを頬張る子供達を
見守る母の目が優しかった。小さいな私にも母親と一緒の事をする喜びを
きっと感じていたのでしょう。あの狭いお台所が懐かしく思い出される。
今、私はこのめん棒でパイ生地やパン生地を伸ばすのに使っている。
まっしゅ棒に思い出はさかのぼる。今はマッシャーという型に変わっている。
じゃが芋の甘いまっしゅが大好きで、母は丁寧につぶしなめらかにして
茶巾絞りのようにしておやつとして作ってくれたものでした。
今、私は時々付け合せとしてこのまっしゅ棒でまっしゅを作っている。
新しい便利な道具が出回っている昨今、母が使い私が使い続けている70年
以上にもなるこれらの道具はおそらく娘達は使わないであろう。
だから私は母が大切に使っていたこれらの道具達をいつまでも使い続けて
行こうと思っている。
さあ、思い出にふけっている閑はない。よい日和のうちに手を動かさなければ。
人間が生活するにはいやぁな梅雨も、自然界においては何かの恵みを
もたらすものなのかも知れない。
じめじめをしめしめと思いつつ梅雨時を過ごしていこうと思う。