セーラの独り言2

お年寄りの独り言・・・・

茄子のみそ汁

2016-08-25 | 日記
 季節を問わずにいろいろな野菜がマーケットに並べられている御時世だが、
旬の夏野菜がメーンのコーナーはビタミンカラーで彩られ、華やかである。
食欲を失っているこの暑い夏に思わず食欲がそそられてくる。
その中でも夏から秋にかけてひときわ目を惹くのはつやつやとした濃い紫色の
茄子である。
子供の頃は好きではなかったけれど、年を取って来るにしたがい何時の間にか
茄子のどんな料理も美味しいと思えるようになった。
 冬のある日、晩年の父が「茄子の冷たいみそ汁が好きでねぇ」と言ったことが
あった。そのことを私は知らなかった。シジミのみそ汁が好きとはしっていたけど。
その話を聞いた翌日、私はさっそく茄子のみそ汁を作り、熱々のみそ汁を
冷ましてから父の食膳にのせた。
すると、父はびっくりしたような、あきれたというような表情をして、
「冷たい茄子のみそ汁は夏のものだよ」と言ったのであわてて温めなおして
食べた。傍らにいる母は何事もなかったようにみそ汁を食べていた。
父の晩年になって初めて知ったこのことは、まだまだ私の知らない、知り得ない
父がそこに座しておられることに愕然とした。
ただただ父は優しくいいお人ということで、父の心の内までもぐりこむことは
しなかった。そばにいていただけるだけでいいのだ、と甘えていたのだ。
もっともっと話をするべきであった。父が亡くなってからもう20年にもなるのに
切なくそう思うのである。
父と茄子のほろ苦い思い出話である。
 野菜の花は町に住む者にはめったにみることが出来ない。
農家の人や家庭菜園をしている人がその楚々としたやさしい花を目にすることが
できる。やがて花の命が失せるとき美味しい実に変身する。
黄色い花から緑のキュウリ、赤いトマト、白い花からは大根などが生まれる。
そして茄子の花は上品な紫色で、あの濃い紫色の茄子が生まれて来たと思うと
とても不思議に思えるのである。
赤い花からはトマト、緑色の花からキュウリが生まれてこないのはなぜ?
それにしても野菜の花は素朴で美しい。心惹かれる花である。

白い雲

2016-08-17 | 日記
 風もない穏やかな夏の青い空に白い雲がゆったりと浮んでいる。
足を止め見ていると雲は同じ形にとどまることなく絶えず変化している。
次は何の形に変わるのかを見ていることが楽しい。こんな些細な楽しみ事も
私のひとり遊びのひとつである。
 長女が3歳の頃、雲を指さして「シュウクリームたい!シュウクリームたい!」と
はずんだ声でわたしに言った。
小さな手を伸ばしたその先の空にはふわふわのシュウクリームの形をした雲が
美味しそうにぽっかりと浮かんでいた。
そのシュウクリームが目の前で次第に形を変えてなくなっていくのを見て娘は
不思議そうに「もうない」と私の手を強く握った。
もう、45、6年も前の愛しい話である。
雲を見ているといつも幼い娘と過ごした穏やかなひとときを思い出すのである。
 夏も本格的になって来ると、大空高くもくもくと湧き上がり突き出していく
逞しい姿の入道雲が現れる。まるで仁王立ちをしているかのようで地上のものに
迫って来る感じである。夏の雲は総じて迫力がある。
雲は風の流れに身をまかせ自由に形を変える器用さを持ち合わせているのだ。
入道雲が見られなくなる頃には、秋が忍びやかに近づいて来るのである。
 ヘルマン・ヘッセの詩 「白い雲」を書き添えておこう
   おお見よ、白い雲はまた
   忘れられた美しい歌の
   かすかな旋律のように
   青い空のかなたへ漂って行く!       

     長い旅路にあって
     さすらいの悲しみと喜びを
     味わいつくしたものでなければ、
     あの雲の心はわからない。

       私は、太陽や海や風のように
       白いもの、定めないものが好きだ。
       それは、ふるさとを離れたさすらい人の
       姉妹であり、天使であるからだ。

暑くてぼんやりとした日

2016-08-04 | 日記
 木々の葉が濃くなり、ぐんぐんと厚みが増し、その茂った葉の中から
夏の使者の蝉の声が夕立のように降って来る。
暑さが否応なしに覆いかぶさって来る八月。
遅れて来た梅雨明けと共にうだるような暑さがこの国を支配している。
そんな折、突然のゲリラ雨が降り、あっという間に止んだ。
通りの水たまりで小雀がちょぴちょぴと水遊びをしていた。
暑さのなかでのひとときの涼感を味わった。
少し先を歩いて行くと、雨に濡れた白いくちなしの花が雨上がりのすっきりとした
空気の中で甘い香りを放っていた。
強い雨に打たれた黄ばんだくちなしの花は、地に落ちてあわれ花の命を終えた。
夏の花といえばひまわり。
子供の頃は家々の庭や路地に必ず植えられいて夏を象徴するかのように
大きな花を咲かせていたものである。
きらきらと照る太陽とひまわりはとてもよいカップル!!
しかし、最近では地植えのひまわりは目にすることがなくなった。
小学校の校庭にでも行けば見られるのかも知れない。
花屋の店先には直径10㎝ほどの切花としてひまわりが活けられているのを
目にするだけである。
ひまわりの花が終わる頃、ひまわりの種を干して、フライパンで炒って
おやつとして食べた記憶がある。
ひと月遅れの七夕まつりが近い。街中は祭りの準備の七夕飾りが次々と飾られ、
その中を潜り抜けるだけで、暑さが倍増し、汗がにじみ出てくる。
七夕まつりの期間中はお家で静かにしているのがこのところの習わしとしている。
食欲がなくなって来た。でも、今晩は食欲をそそるものを作らねば、と思うけれど
何も浮んで来ない。
食べなくてもいいわ、というのが今の気持ち。
気温33度とか、明日も暑いらしい。