季節を問わずにいろいろな野菜がマーケットに並べられている御時世だが、
旬の夏野菜がメーンのコーナーはビタミンカラーで彩られ、華やかである。
食欲を失っているこの暑い夏に思わず食欲がそそられてくる。
その中でも夏から秋にかけてひときわ目を惹くのはつやつやとした濃い紫色の
茄子である。
子供の頃は好きではなかったけれど、年を取って来るにしたがい何時の間にか
茄子のどんな料理も美味しいと思えるようになった。
冬のある日、晩年の父が「茄子の冷たいみそ汁が好きでねぇ」と言ったことが
あった。そのことを私は知らなかった。シジミのみそ汁が好きとはしっていたけど。
その話を聞いた翌日、私はさっそく茄子のみそ汁を作り、熱々のみそ汁を
冷ましてから父の食膳にのせた。
すると、父はびっくりしたような、あきれたというような表情をして、
「冷たい茄子のみそ汁は夏のものだよ」と言ったのであわてて温めなおして
食べた。傍らにいる母は何事もなかったようにみそ汁を食べていた。
父の晩年になって初めて知ったこのことは、まだまだ私の知らない、知り得ない
父がそこに座しておられることに愕然とした。
ただただ父は優しくいいお人ということで、父の心の内までもぐりこむことは
しなかった。そばにいていただけるだけでいいのだ、と甘えていたのだ。
もっともっと話をするべきであった。父が亡くなってからもう20年にもなるのに
切なくそう思うのである。
父と茄子のほろ苦い思い出話である。
野菜の花は町に住む者にはめったにみることが出来ない。
農家の人や家庭菜園をしている人がその楚々としたやさしい花を目にすることが
できる。やがて花の命が失せるとき美味しい実に変身する。
黄色い花から緑のキュウリ、赤いトマト、白い花からは大根などが生まれる。
そして茄子の花は上品な紫色で、あの濃い紫色の茄子が生まれて来たと思うと
とても不思議に思えるのである。
赤い花からはトマト、緑色の花からキュウリが生まれてこないのはなぜ?
それにしても野菜の花は素朴で美しい。心惹かれる花である。
旬の夏野菜がメーンのコーナーはビタミンカラーで彩られ、華やかである。
食欲を失っているこの暑い夏に思わず食欲がそそられてくる。
その中でも夏から秋にかけてひときわ目を惹くのはつやつやとした濃い紫色の
茄子である。
子供の頃は好きではなかったけれど、年を取って来るにしたがい何時の間にか
茄子のどんな料理も美味しいと思えるようになった。
冬のある日、晩年の父が「茄子の冷たいみそ汁が好きでねぇ」と言ったことが
あった。そのことを私は知らなかった。シジミのみそ汁が好きとはしっていたけど。
その話を聞いた翌日、私はさっそく茄子のみそ汁を作り、熱々のみそ汁を
冷ましてから父の食膳にのせた。
すると、父はびっくりしたような、あきれたというような表情をして、
「冷たい茄子のみそ汁は夏のものだよ」と言ったのであわてて温めなおして
食べた。傍らにいる母は何事もなかったようにみそ汁を食べていた。
父の晩年になって初めて知ったこのことは、まだまだ私の知らない、知り得ない
父がそこに座しておられることに愕然とした。
ただただ父は優しくいいお人ということで、父の心の内までもぐりこむことは
しなかった。そばにいていただけるだけでいいのだ、と甘えていたのだ。
もっともっと話をするべきであった。父が亡くなってからもう20年にもなるのに
切なくそう思うのである。
父と茄子のほろ苦い思い出話である。
野菜の花は町に住む者にはめったにみることが出来ない。
農家の人や家庭菜園をしている人がその楚々としたやさしい花を目にすることが
できる。やがて花の命が失せるとき美味しい実に変身する。
黄色い花から緑のキュウリ、赤いトマト、白い花からは大根などが生まれる。
そして茄子の花は上品な紫色で、あの濃い紫色の茄子が生まれて来たと思うと
とても不思議に思えるのである。
赤い花からはトマト、緑色の花からキュウリが生まれてこないのはなぜ?
それにしても野菜の花は素朴で美しい。心惹かれる花である。