天の川を渡って

井上紗羅の波間の泡のように消えてゆく日常の防備録です。

対岸の火事に非ず

2016-03-27 14:45:45 | ニュース
トランプ氏の奇抜なアイデアは留まるところを知らないらしい。


在日米軍は撤退し、日本の核保有を認めると言う。


つまりは、派兵の金が掛かるので、自分の国は自分で守れということらしい。


沖縄にとっては、万全の解決策であり、好ましい発言なのだけれど、政府サイドとしては看過出来ない事態となっただろう。


米軍が撤退した先には、安倍政権の見据えた防衛強化があるのであって、その中にはもちろん徴兵制も見え隠れする。


税収は、福利厚生ではなく、もちろん軍事費に流れていくのであって、町工場は軍需産業の特化に沸くかも知れない。


最も儲かるとされている産業だけに、それを待っている黒幕も多い。


対岸の火事が、日本を包みこもうとしている。

少ないチャンスをいかに生かせるか

2016-03-27 14:12:31 | ニュース
今日の東京・世田谷区は晴れ後曇り。朝方の青空は雲で覆われ、今はすっかり花曇りとなっています。今朝の桜は1分咲きといったところでしょうか。


小さな公園には、朝方リュックを背負ったカップルが来ましたが、愛でる花も無く、水鉄砲を飛ばしただけでそそくさと立ち去ってしまいました。


テレビの報道番組を見ても、桜というよりは桜祭りの提灯ばかりが目立ち、人間のあくなき経済活動のみが先走っている感じです。


古豪の高松商業が甲子園に帰ってきました。かつては野球の名門と言われた四国勢も、最近ではすっかり見なくなってしまっていました。一時は名を馳せたPL学園は、相次ぐ不祥事で今は見る影もありません。


賭博や賭けで揺れているプロ野球と違い、個の実力とチームワークで真っ向から戦う高校野球は、プレーに粗さはありますが、思わず見入ってしまう真剣さがあります。


少ない人数で戦うが故に、ほんのちょっとした気の緩みが敗退に繋がってしまうこともあります。例え負けてもその悔しさは、これからの人生において自らの努力の大切さを教えてくれることでしょう。




天からの風の使い

2016-03-27 13:32:05 | ニュース
名古屋市で2013年11月、3人の男から別々に暴行を受けて死亡した男性=当時(39)=をめぐり、どの暴行が死亡原因か不明な場合でも傷害致死罪が成立するかが争われた裁判で、最高裁第3小法廷(木内道祥裁判長)は24日付の決定で「同じ機会に暴行したならば、自分の行為が原因ではないと証明できない加害者は責任を負う」との判断を示した。
 

その上で、被告側の上告を棄却。傷害致死罪は後から暴行した杉浦翔太被告(22)しか成立せず、山本竜蔵被告(23)ら2人は傷害罪にとどまるとした一審名古屋地裁の裁判員裁判判決を破棄し、審理を差し戻した二審名古屋高裁判決が確定する。


大勢で暴行を働いた場合、今までは最も重い暴行を働いた者に責任が転嫁されていた。やらされていたから自分には責任がないという言い訳が通じたのである。


しかし、今回の判例はこれからの裁判の規範となるだろう。同じ者に働いた暴行は、その程度に拠らず、同じ責任を負うというものだ。


死んだ者に口は無い。しかし、その真実を暴き、正当な懲罰を与えるのが司法の存在意義だ。誰が悪いのかではなく、暴力した者全てが悪い、この単純明快な答えが意味することは重い。

人の痛みのわかる人で居て欲しい~少年の死が訴えたもの

2016-03-27 12:57:46 | ニュース
飛び込み自殺って見たことあります?衝撃ですよね。人間がミンチになるんですよ。


あいつ、本当に自殺しやがった。自殺する勇気あんの?って聞いただけなのに。


今日もSNSには悲痛な声が投稿されています。


昨日報道された相模原児童相談所の会見は、到底納得できるものではありませんでした。


両親から虐待を受けていた男子中学生が、何度も保護を訴えたにも関わらず、保護は敵わず自殺したというものでした。


学校のいじめには、自宅という逃げ場がありますが、親の虐待に逃げ場はありません。


その緊急性をどうして理解できなかったのでしょうか。


経験の少ない子供が、一生懸命何度も訴えたにも関わらず、児相の会見は、自分たちの対応は間違っておらず、緊急性は見受けられなかったというものでした。


しかしその結果は、少年の死でした。親を訴えると言う最後の手段を講じた彼に、自宅はすでに安全な場所でなく、生きる場所を失ったにも等しかったにちがいありません。


子を救うことの出来ない児童相談所ならば、その存続意味はどこにあるのでしょうか。税金の無駄使いとしか思えません。


報道陣のインタビューに、母親が応えていました。その言葉は、息子の死を悼むものではなく、悪いことをした子をどうやってしかればよいのかという自分たちの見解のみでした。


子が間違えば、それを教えるのは親の役割です。しかし、それで暴力を奮ってもよいというものではありません。


教え諭すことこそが教育であり、自分のストレスやうっぷんを子に向けることは犯罪であり、許されることではありません。


子は自分とは違い他の個体であるということを、理解できない親が増えています。


子は、自分の持ち物でもなく、ペットでもありません。小さく非力であれど、生きることに惑い、悩みながらそれでも自分探しをしている一人の人間です。


子を保護するということは、生きる糧を与え、将来に大きな希望や夢を与えるということです。


親には子を保護する義務がありますが、親が子を阻害するものであってはならないと思います。


そして、それを正すために設けられた行政機関には、もっと危機感を持って運用をし、疑わしきは一次保護するなど、もっと柔軟な対応を願いたいと思います。










水道の火事~静かなテロ

2016-03-26 23:19:42 | ニュース
あっはっは。笑い声が夜のしじまにこだまする。


若い男は、慣れた手つきで蓋を開け、白い粉を流し込んだ。


きゃー。若い女の悲鳴にも似た嬌声が笑い声へと変わっていく。


これが出来るのは、俺らが施設で働いているからだ。


男が顔をゆがめて笑う。振り返った先には、舗装された暗闇の道路。


数分もしないうちに、遠く近く、サイレンの音が聞こえ始めた。


救急車曲がります、救急車、曲がります。サイレンと共にマイクの音が聞こえ始めた。


夜毎の祭典のように、繰り返される悲劇。


誰にも捕まえられないよ。わからないからさ。うそぶく口元は歪んでいた。