放送作家村上信夫の不思議事件ファイル

Welcome! 放送作家で立教大大学院生の村上信夫のNOTEです。

「日焼け」の日本美容史

2008年03月17日 07時00分04秒 | Weblog
おはようございます。
環境異変で失ったものは一杯あるが、その中でも、僕が一番惜しいと思うのは、太陽の下で真っ黒に焼ける喜び。の~びり日焼けが出来なくなったこと。
「日焼けが美しい」といわれた時代は、日本美容史の中では、さほど古くない。

1961年5月、真夏を前に、資生堂が「サンオイル」発売した。価格は一瓶400円。「積極的に太陽を浴びて小麦色の肌になるのは、新しい時代の健康美」というコンセプトは、それまでの<色白は女性美>に対する挑戦だった。
「太陽に愛されよう」キャッチコピーで大ブームとなり、以後、前田美波里さんの「夏は愛されよう」夏目雅子さんの「クッキーフェイス」、これはカネボウですが、と、続く。
アグネス・ラムのブームもその流れ・・・。
高度経済成長の「イケイケドンドン」の気分とともに、太陽で肌を焼く欧米の習慣が日本にも波及していった。
1961年は、安保闘争も終わり、景気もよく、レジャー・ブーム到来にマッチしたのかもしれない。

余談だが、タイでは色白ほど美人。お金持ちの多いタイの大学生は、みんな色白。色黒でバタ臭めの純タイ風ナンプラ顔は、例え、美男子でも「ハンサムだけどまるで、田舎の大衆歌謡芝居の主人公みたいなのよねぇ」と、コメントされるそうだ。
美とは、その土地にないものを理想とする見本。太れないほど貧しい国では、日本でも、長くそうだったようにふくよかなボディは女性美を意味し、その逆の国では、今の欧米、日本のようにスレンダー美人が理想とされる。

しかし、日本では、1985年以降、オゾンホールの発見以来、紫外線の害が叫ばれるようになって日焼けブームは沈静化。今は、美白だ!

アグネス・ラムのいた時代 (中公新書ラクレ 238)
長友 健二,長田 美穂
中央公論新社

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