某オフの日程が、11月12日に決定。。。。
う~~~みゅう、、あと1ヶ月ちょっとで、弾ける曲あるかなア???
今回のプロジェクトは、バッハのチェロ組曲1~3番なので、唯一弾ける曲の2番の「プレリュード」をさっさッとエントリー!!!
出来れば、2番の「メヌエットⅠ・Ⅱ」と「ジーグ」も弾きたいなア。
今回は一般エントリーはパスかな??
あいかわらずマンホンの曲は弾ける気がしましぇ~~~ん。。。。
さて、話は変って、、、、
今度はイラリオン・ルルーの調べ物です。
ヌニェスの巨大不気味11弦ギターの最初の所有者です。
イラリオン・ルルーは、1876年にスペインのバスク地方で生まれています。ビルバオって町(市かも???)で生まれています。
5歳から父親にギターを習い始めて、13歳の時には楽団の一員としてスペイン、フランスの演奏旅行に行っています。
その後ギターカルテットを経験した後、16歳で本格的にソロ活動及び教授活動を行ったそーです。
1902年、ルルーにとって運命を大きく変える、タレガとの出会いがありました。
ルルーが役員をしていたビルバオギター協会に招かれたタレガが、2週間ほどビルバオに滞在し、その間ルルーは毎日タレガの滞在先を訪問し、タレガの教えを受けたそうです。
その後「タレガの弟子」を売り物にしたルルーですが、実際に指導を受けたのは、この2週間だけだったよーで、、、、(←そんなんだったら、私だって「イエペスの弟子」って公言してもエ~って事か??)
まあ、ルルーの腕前は、タレガも認めたようではありますが、、、
1912年にルルーは、タレガ直系のギタリストって売り込みで、アルゼンチンのブエノスアイレスへ乗り込みます(誘われたらしいですが。。)。
ここで、大成功していきます。
当時のアルゼンチンは、クラシックギターブームが起きており、タレガ直伝を売りにしたギタリストは、それだけで成功を約束されていたらしいです。
1915年には、アントニオ・シノポリ(1878~ )と「アカデミア・タレガ」なんて学校も作って、大成功を納めます。
マリア・ルイサ・アニードにギターを教えていたのは、1915年~1917年と1919年~ですが、プラトが演奏旅行に行ってブエノスアイレスを留守にしていた間だけです。
数ヶ月間だけ、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサにも教えていたらしいです。
で、1923年に「タレガ奏法による初級ギター教本」を出版し、そこに「我が愛弟子、マリア・ルイサ・アニードとレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサに捧ぐ」なんて書いて、すでに有名になっていた二人の名前を最大限に利用したりしています。
この教本は、内容はタレガ奏法とほとんど関係無かった(←なにしろ旅先で2週間習っただけですからねえ、、、)らしいですが、大ヒットしたそうです。
11弦ギターのアントニオ・ヒメネス・マンホンがブエノスアイレスを訪れたのは、1893年の事ですので、ルルーは直接マンホンの影響で11弦ギターを手にした訳では無い様子です。
マンホンが訪れた後、ブエノスアイレスは11弦ギターブームが起きていたようですので、ルルーはブームに乗って11弦ギターを手にしたのだとは思います。
ただ、ルルーが11弦ギターを演奏したという記述は、今のところ見つけていません。
ヌニェスの巨大すぎる11弦ギターを所有していたイラリオン・ルルー本人は、写真で見る限りは別に「巨大なヒト」では無く、「小柄なヒト」です。
小柄なルルーは、ブエノスアイレスのギター界の大人物となり、1939年幸せな生涯に幕を閉じました。
メデタシメデタシ。
う~~~みゅう、、あと1ヶ月ちょっとで、弾ける曲あるかなア???
今回のプロジェクトは、バッハのチェロ組曲1~3番なので、唯一弾ける曲の2番の「プレリュード」をさっさッとエントリー!!!
出来れば、2番の「メヌエットⅠ・Ⅱ」と「ジーグ」も弾きたいなア。
今回は一般エントリーはパスかな??
あいかわらずマンホンの曲は弾ける気がしましぇ~~~ん。。。。
さて、話は変って、、、、
今度はイラリオン・ルルーの調べ物です。
ヌニェスの巨大不気味11弦ギターの最初の所有者です。
イラリオン・ルルーは、1876年にスペインのバスク地方で生まれています。ビルバオって町(市かも???)で生まれています。
5歳から父親にギターを習い始めて、13歳の時には楽団の一員としてスペイン、フランスの演奏旅行に行っています。
その後ギターカルテットを経験した後、16歳で本格的にソロ活動及び教授活動を行ったそーです。
1902年、ルルーにとって運命を大きく変える、タレガとの出会いがありました。
ルルーが役員をしていたビルバオギター協会に招かれたタレガが、2週間ほどビルバオに滞在し、その間ルルーは毎日タレガの滞在先を訪問し、タレガの教えを受けたそうです。
その後「タレガの弟子」を売り物にしたルルーですが、実際に指導を受けたのは、この2週間だけだったよーで、、、、(←そんなんだったら、私だって「イエペスの弟子」って公言してもエ~って事か??)
まあ、ルルーの腕前は、タレガも認めたようではありますが、、、
1912年にルルーは、タレガ直系のギタリストって売り込みで、アルゼンチンのブエノスアイレスへ乗り込みます(誘われたらしいですが。。)。
ここで、大成功していきます。
当時のアルゼンチンは、クラシックギターブームが起きており、タレガ直伝を売りにしたギタリストは、それだけで成功を約束されていたらしいです。
1915年には、アントニオ・シノポリ(1878~ )と「アカデミア・タレガ」なんて学校も作って、大成功を納めます。
マリア・ルイサ・アニードにギターを教えていたのは、1915年~1917年と1919年~ですが、プラトが演奏旅行に行ってブエノスアイレスを留守にしていた間だけです。
数ヶ月間だけ、レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサにも教えていたらしいです。
で、1923年に「タレガ奏法による初級ギター教本」を出版し、そこに「我が愛弟子、マリア・ルイサ・アニードとレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサに捧ぐ」なんて書いて、すでに有名になっていた二人の名前を最大限に利用したりしています。
この教本は、内容はタレガ奏法とほとんど関係無かった(←なにしろ旅先で2週間習っただけですからねえ、、、)らしいですが、大ヒットしたそうです。
11弦ギターのアントニオ・ヒメネス・マンホンがブエノスアイレスを訪れたのは、1893年の事ですので、ルルーは直接マンホンの影響で11弦ギターを手にした訳では無い様子です。
マンホンが訪れた後、ブエノスアイレスは11弦ギターブームが起きていたようですので、ルルーはブームに乗って11弦ギターを手にしたのだとは思います。
ただ、ルルーが11弦ギターを演奏したという記述は、今のところ見つけていません。
ヌニェスの巨大すぎる11弦ギターを所有していたイラリオン・ルルー本人は、写真で見る限りは別に「巨大なヒト」では無く、「小柄なヒト」です。
小柄なルルーは、ブエノスアイレスのギター界の大人物となり、1939年幸せな生涯に幕を閉じました。
メデタシメデタシ。
よくこんな記事を見つけてきますね。
バッハのチェロ2は、大変良い曲ですね。
5番のようなスケールの大きさは無いですが、一つ一つが味わいがあって。
私もこの一年、全曲演奏を漠然と考えています。
問題は調性。a-moll、g-moll、それとも原調のd-moll?
調性が決まれば一気に進めるのですが...
私は、イ短調版の編曲譜を使っています。
これだと、番外弦が使えて中々良いです。
イラリオン・ルルーに関しては、古~~い現代ギターに手塚健旨さんがかなり詳しく書いていたのとWorld Center of the Classical GuitarのHPに、Héctor Garcia MartinezとRandy Osborneの書いた本「Annotations for the History of the Classical Guitar in Argentina 1822-2000」の抜粋が載っていいて、それを元にしています。
ソルさんから以前、「アカデミア・タレガはプラトが作った」って指摘を受けていますが、前述のネタ元両方に「イラリオン・ルルーが作った」って書いてあるので、プラトの作った学校とは違う学校か、又はプラトと共に創設メンバーだったのか、どちらかだろうって勝手に思っています。
Lendlさん、都合付いたら是非オフにご参加下さいねエ!!
オフは今回参加したいと思っていますが、家庭内調整が最大の難関。