おばさんの陶染房

のんびり、ゆっくり、陶芸と草木染めのちい陶房は窯終いしました。

ワンコとバアバの菜園日記が続きます。

越生の梅園

2011-07-08 | 工芸

毎年この時期、梅を買いに関東三大梅園の
越生町に行きます。

この辺りはまた陶芸ギャラリー、喫茶、プロの窯元など
多いところ、元祖ギャラリー喫茶レストラン山猫軒に
久しぶり寄ってみました。(カメラ忘れる)

七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだに無きぞ哀し。
の山吹の里はここから10分ぐらいのところにあります。
早春は三千本の山吹が見事とか。散り際にいきました。



梅園から山間の細い道を登って行くと龍穏寺(毘沙門天)
と言うお寺があります。

大田道灌父子のお墓と道灌像が有ります。

大田道灌ゆかりの地なんですね。
徳川幕府から関東三ヶ寺を命ぜられ23か国の寺院を統括(パンフ)

文武両道歌人でもあった大田道灌は江戸の開拓者で
徳川家康の江戸開府前は江戸城に住んでいました。
今から550年前国盗りの戦国時代、江戸は戸数何百かの魚村だった。
現、富士見櫓の辺りにお城があったそうです。

我が庵は 松原続き海近く 富士の高嶺を軒端にぞ見る。
と詠んでいます。

550年前は皇居前広場から砂浜海だったのですね。
(日比谷入江)
当時の海岸線は日々谷、霞ヶ関、田町、東京駅辺りまで海だった。

江戸開府から神田山を崩して埋め立てたそうです。
霞ヶ関は大大名屋敷街だった。
(江戸名所図会)
八重洲、清洲、鮫洲、豊洲 、水に関係したサンズイの付く
地名が多いのも埋め立ての名残りでしょうか。


作品は黄イラボ釉の器


化粧土にお絵かきして。