硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

 倭文織(しづおり)と倭文布(しずり)

2007年07月08日 | 季節の移ろいの中で

 

 

 

倭文織と倭文布

 

 七夕の今宵 大切な貴女へ

 

 

 

『倭文(しづ)』と言う古称は 

『倭文織(しづおり)』と『倭文布(しづり)』から来ている

 楮(こうぞ) 麻 苧(からむし)などの繊維で出来ており

赤青の原色で染め 乱れ模様に織ったものの布である

「倭」は 古代日本と言う意味

「文」は文布(あやぬの)の略語 アヤのある布の意味

(アヤとは光彩、色彩、模様)

『倭文』は 『文布』とも書かれていた

天孫降臨以前の日本原住民達 

即ち九州に住んでいた海人族は 中国に「倭族」と呼ばれ

彼等海人族が織った布は 『倭文』と言われ

その布を織る専門の織工集団は 『倭文部』で

彼等の住んでいた地方を 『倭文郷』と称えられていた

その首長は宿弥(すくね)で 

大和朝廷の重臣要職である八色姓の一つである

 その氏族を祭る神社があり 『倭文神社』と言い

伯者国一ノ宮(鳥取県)に存在する


 
 
古くから神様の服(神御衣)として 

『延喜式祝詞』に記載された祭りの中で登場している『倭文』の一種は

『荒妙(あらたえ)』と『和妙(にぎたえ)』であり

『荒妙』すなわち麻で 筋目が荒っぽく 原始日本民族の織技術のまま伝えられ 

松阪市内の神麻続機殿(かんおみはたどの)神社で織られている

 

『和妙』すなわち絹で 肌理細やかに織られた布で 

同じ松阪市内の神服織機殿(かんはとりはたどの)神社で織られている

 

両方とも伊勢の神宮125社に属し この二社で毎年春秋二回『神御衣祭』が行われ

神職が半月間お籠りし 伊勢の大御神への御衣を 織機で織って献上する

その他 神宮の大きな祭り 例えば月次祭や神嘗祭 式年遷宮に至るまで 

神様への捧げ物の中で 『荒妙』や『和妙』の布は決して欠かせない存在である 


 
 
『延喜式祝詞』で記載された『倭文』に関する文は

①[出雲国造神賀詞]

倭文の大御心も多親に明御神の大八嶋国を 

天地日月と共に 安けく平けく知行さむ事

②また「斎院式」 斎王群行の時の装束についての規定に登場している

「斎院式」には美しい『倭文』の装束の記載があった
 

 
写真は 京都の帯製造の老鋪『誉田屋源兵衛』が出したもので

三年前の「和楽」という雑誌に広告を出し

 東京ますいわ屋で取り扱かわれている製品の写真である

帯の荒い部分が 倭文布(しづり)に該当する

以上 大切な貴女へ お調べ致しました

 

 

今回の話題は 知る人ぞ知るで 

神様はきっと僕達を見守っていてくれると信じつつ

未だ日曜日なのに 早く来週末が来ないか 男だって切ない

(コメを戴ける方で中身がお分かりの方は ○○子で表現お願いしたく)

 



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5 コメント

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やがて逢瀬が。 (道草)
2007-07-08 09:49:49
「倭」という言葉を知ったのは、中学生の頃に「後漢書倭伝」とか「魏志倭人伝」などの文献に関連してだったとの記憶があります。「倭」は「委(ゆだねる)」に「人」が加わった字形で、「ゆだねしたがう」の意味があると。その他にも諸説があって、「倭」は中国から遥か遠い所を表す、或いは、従順な性格を意味する、はては、中国に到着した倭人が自分を指さして「わ=われ=じぶん」と称したことから、はたまた、「わ(やまと)」の音訳との説等々。それが今回、硯水亭説の如く「倭」と「文」が合わさって「しつ=しづ」と読まれるようになった、と初めて教えられました。
「……彼等は手ん手に弓矢を執って、頭上の大空へ矢を飛ばせた。彼等の弓の林の中からは、勇ましい弦の鳴る音が風のように起ったり止んだりした。そうしてその音の起る度に、矢は無数の蝗のごとく、日の光に羽根を光らせながら、折から空に懸っている霞の中へ飛んで行った。が、その中でも白い隼の羽根の矢ばかりは、必ずほかの矢よりも高く ほとんど影も見えなくなるほど高く揚った。それは黒と白と市松模様の倭衣を着た、容貌の魁偉な一人の若者が、太い白檀木の弓を握って、時々切って放す利り矢であった。……」(『素戔嗚尊』芥川龍之介)。
この「倭衣」はその原型なのでしょうか・・・。いずれにしても、倭文布(しづり)の何と床しき装いであることでしょう。本来の七夕が陰暦ならば、織姫と牽牛が本当に遭えるのはもう暫く先のこと。かの君は倭子(しづこ)と称されるのでしょうか。やがて間も無く、心行くまでの嬉しい逢瀬が待(つ松)ておりますとも。


「わらひのひらめき」   大手拓次

あのしめやかなうれひにとざされた顔のなかから、
をりふしにこぼれでる
あはあはしいわらひのひらめき。
しろくうるほひのあるひらめき、
それは誰にこたへたわらひでせう。
きぬずれのおとのやうなひらめき、
それはだれをむかへるわらひでせう。
うれひにとざされた顔のなかに咲きいでる
みづいろのともしびの花、
ふしめしたをとめよ、
あなたの肌のそよかぜは誰へふいてゆくのでせう。
Unknown (道草②)
2007-07-08 11:12:23
かの君の倭子は「倭文子」かとも。
高嶺櫻も嬉しそう! (硯水亭)
2007-07-09 07:09:27
      道草先生

 遅くなりました。昨日は奥日光丸沼から白根山まで登り、高山の高嶺櫻を堪能して参りました。短時間だったため、余りの疲労で、丸沼の温泉に入って宿泊。今朝明けやらぬうちに車を飛ばし、帰って参りました。時々雨にやられたり、思わぬ時に晴れてくれたり、思う存分山の清澄な空気を吸って参りました。やはり山はいいです。イワカガミやシラネアオイや地面には花いっぱい。眼下には日光中禅寺湖。やっと巡り合えました。高嶺櫻!頭を皆もたげて、可愛いったらありゃしませんでした。余りのこと故、櫻を食べちゃったぐらいです。楚々としたその風情は何とも言えません。余程皆持って帰りたくなるぐらいでした。遠く離れてもひと時も忘れることがないかの君。

 先生のおっしゃる通りの諸説ありまして、私も随分迷ったのではありますが、今でも伝統として脈々と流れている伊勢の神宮に御座います伝承を取り上げざるをえませんでした。切り麻、散米などと同じように、清めの儀式に使用する布、それが倭文の意味で御座いました。想像をすることは簡単ですが、文献上きっちり押さえることが何よりも肝要と思え、出来る限り文献上に出て来る倭文を取って解釈致しました。それが正解かどうか実は判断しかねる部分ではありますが、我が妻になる人の名前の由来を丹念に調べたくなったのであります。本人に聞いたら、深く調べていないと言うことだったので、こうして夜を徹して調べ上げ、彼女に報告するのが、私にして見れば、言わば恋文に等しいのです。このような一文を書くまで一ヶ月掛かっています。漸くその全貌が分かったところで、我が妻になる人の出自そのものが分かったようで嬉しかったのです。

 和の原型はこのようなものでしょうか。ざっくりした爽やかな織物でした。これで清めや祓いをするのかと思うと、涙が出るぐらい嬉しい思いがしたものです。先生の仰る通り、これに子をつければ彼女の名前です。なるほど若いのに静かな女性に成人したものだと今更ながらに、改めて好きになった次第です。

 土曜日夜には京都に移動致します。今回は取分け待ち遠しいのでありまして、独身最後のデートになります。山鉾は御池通りから四条大宮に曲がるところで見学しようかと存じます。一番空いているからで、人当たりして気分が悪くならないためです。白川通りを散策したり、二人とも大好きな上賀茂神社の詣でたり、後二三、隠れ家的な場所を確保して御座います。最後の打ち合わせで、ご家族とも談笑させて戴きますし、きっと楽しい逢瀬になりましょう。大切にひと時ひと時を味わいながら過ごそうと思っています。

 今日も先生がおいで戴いて、どんなに感謝申し上げていることでしょうか。本当に有難う御座いました。
いいですね♪ (風音)
2007-07-09 21:52:00
>未だ日曜日なのに 早く来週末が来ないか 男だって切ない
 
そんな風に思っていただけたら、女性としても、とってもうれしいですよね!
 
硯水亭さんの、いつもの落ち着いた文章に、こんな一文を見つけると、ちょっと親近感が…。(おこがましいですね。すみません)
 
結婚前の二度とないひととき、ぜひ素敵な思い出を作ってくださいね。
我が家はもう結婚して11年ちょっとなので。何だかうらやましくなってしまいます♪
 
うふふ 有難う御座います (硯水亭)
2007-07-10 00:43:22
      風音さま

 有難う御座います。かなり落ち着いていて、表面上は冷静さを身につけているつもりでしたが、どうしたわけでしょうねぇ。近づくにつれ、気持ちがフワフワとして、我ながら可笑しくなります。

 パートナーと申しますか、伴侶と言うのでしょうか。私はツガイでありたいなどとほざいておりますが、これから生涯を共にするんだと思うと、やはり感慨深いものがありますね。

 結婚された先輩として、是非色々とお教え下さいね!

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