配偶者がいろんなことに手を出していると、自然「知り合い」という範疇が増えてくる。中には胡散臭いとまでは行かなくても、かってに「友達」と思い込んでくれる人も。
いわゆる田舎への「Uターン」組という団塊世代のおじさんに、「ご馳走するから」と言われて夫婦で訪問した。なにやら珍しいものを取り寄せたというが食い意地がはったわけではない。知りもしない人物の住まいに行くのも更に気が勧まないが配偶者の顔を立ててのつきあいだ。憂鬱である。
都会で若くして企業を立てて役員をやっていたのだが今回身辺整理して出身地の田舎に戻り「地域振興」のために活動するのだという。六畳一間の貸家に一人寝起き。「この地域の地域振興をしたい」と地元民に語ったら「そんなことは地元に住んでから言え」といわれ、他の家族は都会においての単身赴任。
故郷といいながら小学生時代に離れたというからツテがない。というのでどうも「人間関係の構築」をしたくてこのような試みをしたらしいことが話しているうちにわかってくる。「友だち」とつくりたいのはわかるけれども「利害関係を前提にした友人関係」というのが気持ち悪いというか「それ友達か?本当に」と密かに思う(が、当然口にはしない。トモダチじゃないもん)
話してゆくうちに時々ひっかかることがでてきてどんどん疲れてゆく。
「僕働かないといけないかなあ。やっぱり。年金年間二百万しかないけど、くらして行けるかしら?年金だけじゃ暮らして行けない?」「(地域振興の)プロジェクトで賛同者五百人に会費千円ずつもらうとして、五十万給料あったら暮らせるかなあ」
暮らして行けるかなんてうちらに聞くな。こちとら満額もらっても百万に遠く及ばない金額。ゆけるかどうかじゃなくて「暮らしてゆかなくちゃならない」んだよ。しかも年金二百万ってことはどんだけ年金掛け金つうかどんだけ現役時代給料もらってたのか。
本人は修辞的疑問であったので、マジに答えたら「無理じゃないの」と答えたかもしれない。実際のところ都会に5DKのマンションを所有、田舎とはいえ県庁所在地付近に家屋所有と聞いている。普通固定資産税だけで多分年金吹っ飛ぶんじゃないか。
一ヶ月に五十万の計算も杜撰すぎ。都会ならまだしもこんな過疎地で年間一万二千円も道楽のような企画に金を出せるような酔狂な人間を探すなどありえないし。カリスマでもそもそも対峙する人間がいなけりゃ効果はない。
と、ぶつぶつ頭の中を煮えたぎらせながら帰宅の途に。これは「飯を食わせた」=「借りを作った」というふうに認識してるのだろうなと思いつつ。理科系の話題になって突然小学生に噛んで含めるような言い方で自分に説明しはじめたのは「あなたすごいわあ」という目で見て欲しかったのか「自分の博識を誇示」したかったのか。
その、上から目線の根拠はどこにあるのかしら。どんなに会社では偉かったにしても登った木から降りて来なけりゃ「庶民」の目線では見えませんぜ、とそこはかとなく思ったその夜だった。いいね、還暦祝いに外国旅行。って、うちは絶対無理。