つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

山本丘人 軸 雨月

2021年05月19日 | 山本丘人
あぁ、この季節にはこれがあった!

と山本丘人のお軸「雨月」を飾らせていただきました。

静かで、とても豊かな作品です。







静かであるという事は、決して淡い、浅いということではないと思っています。

感じられる世界がしみじみと深まりをみせてくれる。

額の中へ中へ、奥へ奥へ、私たちの心をとても丁寧に案内してくれるのが静かな作品の魅力です。








徳岡神泉、吉田善彦もそういった画境を得た画家であると思います。

雨で静まりかえった店内に、ゆっくりとした時間が流れていきます。









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山本丘人 軸 雨月

2020年07月11日 | 山本丘人
新しく入手致しました山本丘人のお軸作品をご紹介いたします。

「雨月」

お軸の中央部が明るく見えるのはスポットが当たっている為ですが、よくご覧頂くとその上に月が描かれているのがお分かりいただけるかと思います。

画像にはなかなか映らないと思いご紹介を避けておりましたが、今回は全体の雰囲気がよく出ているように感じられます。




暗くなりますが、作品画面はこの内容です。↓↓





放菴、正平のお話の続きからさせていただきますと、丘人はこの画家達よりももっと情緒的であると言えるように思います。

仏教に「両忘」という言葉があります。「二元的な物の見方を捨てよ」と、簡単に言えばそういう事だと思えますが、この両忘の考え方は先ほどの老子の考え方に近いようでいて少し遠い。。私はそう思っています。

丘人は、どちらかというと、老子寄りでなく、より仏教寄り。
「無」を感じながらもその上で、「やはり絵は心だ」そう言い切る「つっぱり!」「繊細さ」「人間への愛」のある画家だったように思えるのです。

先日丘人作品を初めてお求めくださったお客様が、こんなご感想をくださいました。

和室で、山本丘人の軸を眺めていると ついつい熟睡してしまう事が有りました。 
落ち着きのある良い作品です。山本丘人のファンになりました!
 
短いご感想のなかに、丘人作品の本質を垣間見ることができるようです。


「雨月」は印譜などから、昭和20年前半、画家47~8歳の作品かと想像しています。
この作品は私共の尊敬する先輩画商からお譲りいただきましたが、先日遊びにお寄りくださったこの方に
佐橋が「やっぱりこの丘人、いいですよねぇ」と言うと
「高山が一生かかって辿り着いたところに、丘人はこの辺りでもう着いちゃっているからね」とおっしゃいました。
高山も丘人も松岡映丘のお弟子さんですね。


両忘。

「絵集め」は、
絵を上手い⇔下手、綺麗⇔汚い、高い⇔安い 
で見ていると突然つまらなくってしまうお遊びです。


では、どのように?

さて、そこが難しい(/_;)



「雨月」は本来旧暦5月(現在の5月下旬〜7月上旬)の異称です。満月が雨雲で見えない状態のことを言います。

この梅雨の時期に、作品が静かに美しく見えるのは、丘人の心は自由で、何の決めつけもないからだと感じます。








山本丘人 軸 「雨月」 絹本・彩色 共箱 
55.2×43.2㎝  ☆


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山本丘人に思うこと。

2019年06月17日 | 山本丘人
山本丘人という画家にみなさまはどんなイメージをお持ちでいらっしゃいましょう?
 
魂の抒情詩
 
など、丘人の展覧会には必ず似たようなサブタイトルが付きます。そして、その作品は誠に優しく、抒情的です。
 
 
 
以下丘人の図録にこんな記載を見つけましたので抜粋させていただきます。
 
丘人自身の言葉
 
「それにしても、私は従うより外れて、こわしていく方だった。研究会の集まりの日が、あまりにも窮屈だから、『先生、タバコを吸っていいですか?』と言い出し、『ああ、いいよ』なので、タバコを取り出して吸った。そんなことはめっそうもないとタバコを口にせぬ先輩たちは一斉に白い目で私をみる。おかまいなしに次は、『あぐらをかいてもいいですか』と言うと、『よろしい』であったから、並み居る正座の人たちの間で、私はあぐらになった。
末席ながら、或いは末席だから、多めに許してくれたのか。私がそうしても、威儀を正している先輩諸氏は、私に同調はしない。私は異端児というわけである。」
 
 
師・松岡映丘と丘人
 
松岡映丘の家での集まりで、取り巻きの弟子たちがおべんちゃらを使っているので面白くなく、丘人はお膳をひっくり返して部屋を出ていってしまった。
松岡が、「おい、ちょっと心配だから、だれか追っかけて、見てくれ」というと、ひとりが「なぁに、山本なら、放っといたってだいじょうぶですよ」と言った。すると松岡は「君なら放っといたって大丈夫だろうが、あいつだけはガラス細工みたいな作りの人間だから。。」と言った。
 
 
以上
 
 
作家の生い立ちと作品に深い結びつきがあることは
私は100%認めています。けれど、作品鑑賞に作家の生い立ちの知識は必要ないと感じています。
 
作品とそれを目前に鑑賞している私との対峙。
 
日本近代日本画、洋画ともに、個と個のこうした深い繋がりを求めていると思うからです。
 
上の記述に、
 
あらためて丘人という人の苦悩、迷い、そして深い悲しみを感じます。
 
そして、多くの優秀な画家を弟子として抱え、それぞれの心の奥を見抜くことのできた松岡映丘という人の懐の深さを思わずにはいられません。丘人という画家が自身を高く作品に昇華できたのは、映丘という師をはじめ、多くの深い優しい心に触れることができたからだろうと思えます。
 
丘人の大好きな佐橋とともに、また皆さまと共に
丘人という画家の作品を、長く鑑賞し続けていきたいと願っています。
 
そして、どちらかで丘人作品をご覧になった時、佐橋美術店のことを少し思い出してくださればこんな光栄なことはありません。
 
 
 
 
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