つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

中村正義

2024年05月07日 | 中村正義
中村正義の風景画には何とも言えない魅力を感じます。それはこの画家の全画業を見渡し、風景画を描いた時期が短いことや他の多くの作品の一種おどろおどろしい世界から急に解放されたような安堵感を得られるからだけではないように思うのです。

中村正義は、大変純粋で清らかな心と、また、その名の通り強い正義感のようなものを持ち合わせていた画家であったように感じます。




昭和21,2年ころの作品です。「子供」「南京シャモ」「牛」
作家23,4歳の頃、作品から正義は誇りも優しさも胸に秘めている青年であったように思えます。




昭和24年ごろ「斜陽」         昭和25年ごろ 「爽日」




25,6歳の頃の作品。日展など初入選を果たし、新しい時代の日本画家の誕生であると高く評価されました。






今回展示させていただきます「月」という作品は、今まで当店が多く扱わせていただきました風景画、昭和44年~45年ころの冬景色を描いた作品より以前の作品です。







画集からは、昭和30年初めころの作品に「月」のイメージとの重なりを感じます。




「現代のような世相の中にあってこの中で生活をする人間がそれぞれの立場で現状に対して、何かいわなくきゃならないことをもっていてもいえない。自由であるようで全く自由でない。一見豊かそうであって貧しい時代ではなかろうか。皆がなにかに脅えている。食べるためにすることに何も言うつもりはないが、食うことに有り余るような人たちまでが、全員、金のことしか考えていないように思える。この貧しさは一体何なのだろうか何故なのか、わかっている人がいてもこれが声にならない。聞こえない。この化け物に誰か取り組まなきゃいけんだなぁ。僕が興味をもっているのはこの化け物です。現代の脅えといった化け物です。僕がこの化け物退治を悪役を引き受けようと思うのだがどうだろう世間の尺度から見れば箸にも棒にもかからぬ気違い正義でいいと思う。この惰性に竿さす人間が一人や二人いてもよいのではないかと思うんです。昭和47年11月30日新日本美術より」






風景画に描かれる小さな太陽も、小さな月もみな中村正義自身であったのではないでしょうか。若いころから肺病、そして40代からの癌と向き合わざる得なかったこの人にとって自分が自分の人生でできることは、唯一絵を描き続けること、そして覚悟しても覚悟しきれない「死」への憧れと怖れを「今」を感じながら表現していくこと。

先に抜粋させていただいた画家本人の言葉からいえば「わかっている人がいても」の部分、「全部わかっているのだ」という表現がこの月であるように思います。

輝く太陽も、美しい月も、正々堂々としているけれど、それに照らし出される景色はどこか悲しい。それが中村正義の風景画なのでしょう。

月に照らされている樹木は、よく見るとキラキラと光っています。光って見えるのは、岩絵の具を厚く重ねて描いているからで、絵具の粒子の大小や鉱物などを砕いている高級な絵具の混在により、そのキラキラは増すようです。


あの恐ろしいような自画像も舞子もピエロも、正義にとっては独りプラカードをもって、社会に向かいデモ行進をしているのと同じような絵画表現。
きっとその時でさえ、心のうちには初期作品に見られたような、又は風景画にみせるような「純粋性」にあふれていたのだと思います。

中村正義のどの時期の作品をお持ちになるかは自由で、どの時期の作品も
それぞれ深く味わえるのだ思いますが、こうした何気ない「少し中村正義っぽい、けれど中村正義以外の誰でもない作品」をお持ちになってみるのも面白いのではないかと考えています。









中村正義 軸 「月」 共箱 26.8×36㎝ 
軸全体 123.5×55㎝ ☆



◇   ~30万円
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