今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

風薫る・・・初夏の趣

2024年05月03日 | 徒然なるままに

晴れ

 

五月の風にのって・・・今日はちょっとだけですが、泳いでいますね。

毎年この時期に使い回している記事ですが・・・

良い天気です。風もさわやか・・・風薫る季節の到来を感じました。


「風薫る」、俳句では夏の季語

「夏草や君わけ行けば風薫る」 (正岡子規)

和歌では、鎌倉時代の「新古今和歌集」あたりから、梅や橘などの花の香りを乗せて吹く風と歌われるようになり、季節も夏とは限っていません。

それより古い万葉集では、花の香を詠んだ歌は極めて少なく、118首も梅の花が詠まれていても、香が詠まれているのはわずかに1首、

「梅の花、香(か)をかぐはしみ、遠けども、心もしのに、君をしぞ思ふ」
( 梅の花の香りの良さに、遠く離れていますけど、心はいつも、あなたさまのことを思っています。)

橘は68首詠まれていますが、香が詠まれているのはわずかに数首しかありません。万葉時代の人々は、どうも花の香に関心が薄かったようです。

「橘(たちばな)の 下吹く風(かぜ)の かぐはしき 筑波の山を 恋ひずあらめかも」

(橘(たちばな)の下を吹く風(かぜ)が香しい筑波の山を懐かしく思わずにいられましょうか。)

題詞に、「天平勝寳七歳(西暦755年)二月、相替(あいかわ)りて筑紫に遣わされる諸國の防人(さきもり)たちの歌」とあり、

常陸國(ひたちのくに)の防人(さきもり)達の歌17首の中の一首です。

これらの歌の注には

「二月十四日、常陸國(ひたちのくに)の部領防人使(さきもりことりづかい)大目(だいさかん)正七位上息長真人國嶋(おきながのまひとくにしま)が進(たてまつ)る歌數十七首 但し、拙劣(せつれつ)の歌は取(とり)載(の)せず。」とあります。

つたない歌は載せてもらえなかったのですね。

万葉以降には、花の香りを乗せた風の歌は数多く出てきます。

多くは、梅や橘ですが・・・

「花の香を風の便りにたぐへてぞ鶯さそふしるべには遣る」  (古今集 春 13)
(梅の花の香りを風の便りの供として、ウグイスを誘う案内役には遣つかわすよ。)

鎌倉から室町の歌集に、ようやく「風薫る」が

「風薫る花のあたりに来てみれば雲もまがはすみ吉野の山」  (新千載集 春 95)
(花の気配を漂わせる風をたよりに、桜が咲いているのはこのあたりかと来てみると、雲と見紛うこともなかったよ、吉野の山の桜は。)

これらは、いずれも風の香りを詠んでいますが・・・

初夏のさわやかな風という意味として使われるのは漢語の「薫風」を和らげて使われたからです。

「薫風」は禅語としてよく使われる、漢詩

薫風自南来(薫風南より来たり)、殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)からと言われています。

これは、

唐の文宗皇帝による起承の二句:人皆苦炎熱(人は皆炎熱に苦しむも)、我愛夏日長(我れは夏日の長きを愛す)

(世の人々は夏の日の炎暑に苦しんでいるが、私は一年中で一番長い夏の日が好きである。)

に対しての臣下の柳公権による転結の二句:薫風自南来(薫風南より来たり)、殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)

(暑さは厳しくとも、時折り南からかぐわしい風が吹いて来ると、炎暑に見舞われた宮殿もわずかに涼しくなって、心地よい気持ちを味わうことができる。)

でした。

「薫風」をそのまま熟語として使われるようになったのは、江戸時代、漢籍好みの蕪村あたりから・・・

「薫風や恨みなき身の夏ごろも」(与謝蕪村)

 

さて、散歩

ノイバラ

 

代掻きです

水を張っただけでは単なる水たまりで、この代掻きをして田植えの用意が整い、晴れて「代田(しろた)」になります。

昔は、牛や馬に馬鍬(まぐわ・まんが)を引かせて行っていたようで・・・古い俳句では牛・馬がよく読まれています。

「田掻牛おのが重みに沈み鳴く」 (彦根伊波穂)

「田掻馬あがるや仔馬かけよりぬ」 (木村蕪城)

 

田植えはこの連休中でしょうか。帰り道に見た苗床

ちょっと足を延ばして麦畑に・・・

 

 

米と同様、太古から日本人の生活の中で重要な役割を担ってきた麦には、

「麦蒔(むぎまき)」=初冬

麦が強く育つように行う「麦踏(むぎふみ)」=早春

青々と育った様子を表す「青麦(あおむぎ)」=春

「麦扱(むぎこき)」「麦刈(むぎかり)」「麦打(むぎうち)」など刈り入れにまつわる言葉は初夏。

さらに、麦が熟する時期に降る雨を「麦雨(ばくう)」、収穫のころに吹くさわやかな風を「麦嵐(むぎあらし)」など、

季語とも多く関わっています。

 

「青麦の穂には疲れといふことなし」 (波止影夫)


「青麦の穂のするどさよ日は白く」( 鳳作)

 

ここ埼玉の生産量は全国で10位とはいえ、北海道が圧倒的な生産量で50%以上ですので、他はどんぐりの背比べ

 

ただ、埼玉は

「麦翁(ばくおう)」と呼ばれる権田愛三(ごんだあいぞう)を生んだ地なんですね。

県の説明から

権田愛三(ごんだあいぞう)は1850年(嘉永3年)に埼玉県北部の東別府村(現在の熊谷市)に生まれ、一生を農業の改良に捧げました。その中でも麦の栽培方法に関して大きな功績を残し、麦の収量を4~5倍も増加させる多収栽培方法を開発しました。

その栽培方法は、麦の根元をしっかりさせ倒伏を防止する「土入れ」、麦の茎の枝分かれと根部の伸長を促す「麦踏み」、堆肥をふんだんに使った「土づくり」を行うというものでした。大正12年には集大成ともいえる「実験麦作栽培改良法」を出版し無償で配布、県内はもとより日本全国への技術普及に尽力しました。

栽培方法の改良が進んだ現在でも、「麦踏み」は安定多収を図る上で重要な技術として今日に活かされています。

これらの研究と栽培方法の普及の功績から、「麦翁(ばくおう)」とたたえられています。

=====

 

ジャーマンアイリス

 

ミスジチョウ

 

 

 

 

カルガモ

 

帰りにもう一度、鯉のぼり、さっきより泳いでますかね。

おまけは我が家

ガザニア

 

ツリバナ

 

オルレア

 

 

ジューンベリーが大きくなってきました。

 

 

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 晴れましたが・・・被写体不... | トップ | 明日は立夏・・・暦通りの気候 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然なるままに」カテゴリの最新記事