定点観測の散歩コースの桜・・・咲きました。
開花宣言には一輪足りませんが・・・おまけで開花宣言です。
という事で、高台橋の様子から・・・
花桃は満開です。
上流の橋からは・・・
まだ寂しい感じですね。
高台橋からの桜・・・2,3分咲きでしょうか・・・
見ごろは週末でしょうか・・・天候不順が続きそうなので、無事見られるといいのですが・・・
さて散歩の他の写真
昨日獲物を獲っていたダイサギでしょうか。
高台橋に向かう途中の桜
菜の花
カルガモ
高台橋
モンシロチョウ
アオサギ
オオジュリン
ツクシ
アオジ
野鳥にあまり出会えません。暑かったり寒かったりで、鳥たちも困惑しているんじゃないでしょうかね。
冬鳥は帰るタイミングを、夏鳥は来るタイミングをそれぞれ逸しているんでしょうか。
水仙
我が家のジューンベリーももうすぐ開花です。雀が盛んにさえずっています。
野鳥の数が少ない分、花の写真が増えますね・・・
とっ、いうことで今日は花のオンパレードでした。
花というと俳句では春の代表する花である桜の花を指しますが、
桜の花と固定的に考えられるようになったのは平安後期からでして、
それ以前は花といえば梅を指していました。
梅は中国原産で万葉の時代に渡来しました。
大陸文化への憧れもあったのでしょう、万葉集には梅の歌が119首も収められ、142首の萩に次いで多く読まれています。
この梅、白梅と考えられていて、雪と一緒に詠んだ歌が多くあります。
「雪のうへに 照れる月夜(つくよ)に梅の花 折りて贈らむ愛はしき児もがも」(大伴家持)
『雪の上に月が照る夜に、梅の花を折って贈りたいものだ、もし愛しい人がいれば』
「我が園に 梅の花散る久かたの 天より雪の流れ来るかも」(大伴旅人)
『私たちの庭に梅の花が散っている。天から雪が流れ落ちているのだろうか』
平安後期から桜の代名詞となった花ですが、よく知られている歌に西行の
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
がありますね。
『願うことなら、旧暦2月15日の満月の頃、満開の桜の下で死のう』
この歌のとおり、西行はこの歌を詠んだ翌年の文治6(1190)年2月16日、73歳で息を引き取りました。
自ら望んだ日のわずか1日遅れで死んだ西行に、当時の人々は驚嘆したと伝わっています。
旧暦の2月15日は3月の中旬以降の満月の日となりますので、桜のさかりの時と言えますね。
ちなみに今年は先週の3月25日でしたので、盛りの時とはなってませんでしたね・・・
この西行、元は武士で妻子もあったのですが、理由は定かではありませんが、23歳の時に出家をしています。
出家をした後は、心の赴くまま諸所に草庵を営み、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残しています。
その数約2090首、そのうち230首で桜を詠んでいます。
その中でも、よく知られた歌が
「花見にと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜の咎(とが)にはありける」
――桜の花見に人が大挙して押し寄せることだけは、独りで静かにいたいと思う自分にとって、惜しむべき桜の罪であるよ-
です。
世阿弥作の能『西行桜』の元となっています。
以下wiki
京都、西行の庵室。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れる。
しかし、今年、西行は思うところがあって、花見を禁止した。
一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやってきた。
桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れた。
西行は、「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、木陰に休らう。
その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ」と聞く。
「桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭す。
老桜の精は、桜の名所を西行に教え、舞を舞う。
そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜の精もきえ、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。
=====
桜の精は桜の空洞から現れる白髪の老人なんですよね・・・いかにも幽玄の世界を表す能ですね。
桜の精なら若い女性と思うのは・・・世俗に染まった俗人ということでしょうかね。
では、今日の続きは、また明日(^ _ ^)/~~
開花宣言には一輪足りませんが・・・おまけで開花宣言です。
という事で、高台橋の様子から・・・
花桃は満開です。
上流の橋からは・・・
まだ寂しい感じですね。
高台橋からの桜・・・2,3分咲きでしょうか・・・
見ごろは週末でしょうか・・・天候不順が続きそうなので、無事見られるといいのですが・・・
さて散歩の他の写真
昨日獲物を獲っていたダイサギでしょうか。
高台橋に向かう途中の桜
菜の花
カルガモ
高台橋
モンシロチョウ
アオサギ
オオジュリン
ツクシ
アオジ
野鳥にあまり出会えません。暑かったり寒かったりで、鳥たちも困惑しているんじゃないでしょうかね。
冬鳥は帰るタイミングを、夏鳥は来るタイミングをそれぞれ逸しているんでしょうか。
水仙
我が家のジューンベリーももうすぐ開花です。雀が盛んにさえずっています。
野鳥の数が少ない分、花の写真が増えますね・・・
とっ、いうことで今日は花のオンパレードでした。
花というと俳句では春の代表する花である桜の花を指しますが、
桜の花と固定的に考えられるようになったのは平安後期からでして、
それ以前は花といえば梅を指していました。
梅は中国原産で万葉の時代に渡来しました。
大陸文化への憧れもあったのでしょう、万葉集には梅の歌が119首も収められ、142首の萩に次いで多く読まれています。
この梅、白梅と考えられていて、雪と一緒に詠んだ歌が多くあります。
「雪のうへに 照れる月夜(つくよ)に梅の花 折りて贈らむ愛はしき児もがも」(大伴家持)
『雪の上に月が照る夜に、梅の花を折って贈りたいものだ、もし愛しい人がいれば』
「我が園に 梅の花散る久かたの 天より雪の流れ来るかも」(大伴旅人)
『私たちの庭に梅の花が散っている。天から雪が流れ落ちているのだろうか』
平安後期から桜の代名詞となった花ですが、よく知られている歌に西行の
「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
がありますね。
『願うことなら、旧暦2月15日の満月の頃、満開の桜の下で死のう』
この歌のとおり、西行はこの歌を詠んだ翌年の文治6(1190)年2月16日、73歳で息を引き取りました。
自ら望んだ日のわずか1日遅れで死んだ西行に、当時の人々は驚嘆したと伝わっています。
旧暦の2月15日は3月の中旬以降の満月の日となりますので、桜のさかりの時と言えますね。
ちなみに今年は先週の3月25日でしたので、盛りの時とはなってませんでしたね・・・
この西行、元は武士で妻子もあったのですが、理由は定かではありませんが、23歳の時に出家をしています。
出家をした後は、心の赴くまま諸所に草庵を営み、しばしば諸国を巡る漂泊の旅に出て、多くの和歌を残しています。
その数約2090首、そのうち230首で桜を詠んでいます。
その中でも、よく知られた歌が
「花見にと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜の咎(とが)にはありける」
――桜の花見に人が大挙して押し寄せることだけは、独りで静かにいたいと思う自分にとって、惜しむべき桜の罪であるよ-
です。
世阿弥作の能『西行桜』の元となっています。
以下wiki
京都、西行の庵室。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れる。
しかし、今年、西行は思うところがあって、花見を禁止した。
一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやってきた。
桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れた。
西行は、「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、木陰に休らう。
その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ」と聞く。
「桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭す。
老桜の精は、桜の名所を西行に教え、舞を舞う。
そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜の精もきえ、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。
=====
桜の精は桜の空洞から現れる白髪の老人なんですよね・・・いかにも幽玄の世界を表す能ですね。
桜の精なら若い女性と思うのは・・・世俗に染まった俗人ということでしょうかね。
では、今日の続きは、また明日(^ _ ^)/~~