時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

摂関家の法則?

2009-02-08 21:48:33 | 源平時代に関するたわごと
昨日の記事「兼実怒る」で兼実自身が触れていましたが、
平安時代中頃まで摂関に就任した人物で男子の生誕順で「三男以降」の人々が結構います。

忠平、師輔、兼家、道長などです。

そしてそのまま弟家系が主流となり、(実質も含む)長男の家系が摂関家主流に収まった例は殆ど見受けられません。
まず、平安時代隆盛を誇る北家の祖房前自身が次男です。

どうも平安中期までは摂関家長男(もしくは嫡男)の系統は弱いなあなどと私は感じてしまうのです。

ところが、頼通以降は順調に嫡子による相続がつづいていて、摂政の弟の家系に主流がまわるということが少なくなっているようです。
(もっとも頼通の子供の代には弟教通の家系との主流争いがあったようですが・・・)

頼通以降は院政が始まり、宮廷社会や荘園制度の変化などが出てきたり社会構造そのものもかなり変化してきているのも何か気になります。
その一方で摂関家は実の娘が皇子を儲けることができずに、外戚になれなかったり(親戚から養女をもらって后にするケースまで発生)、摂政が早死にしたりと摂関家そのものも弱体化している感があります。

摂関政治が華やかなりしころ、次男坊以下が元気だった摂関家。

ひょっとしたら藤原一族は次男以下が強い一族なのかなあ
などと思わず考えてしまいます。

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