時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

女房について その2

2007-06-09 10:36:49 | 蒲殿春秋解説
さて、先ほど「女房になるのは大変だったかも知れない」と書きましたが
なってからも大変でした。

何が一番大変かと言えば
「女房するには多額の必要経費を自前で調達できる一財産が必要だった」ということです。

現在のOLたちは会社からお給料を貰います。
堅実な生活をしている限り、OLさんは生活が大赤字になることはありません。

しかし、「女房」はキャリアウーマンであるにも関わらず

お偉いさんから頂くもの < |越えられない壁| < 自腹の支出

という世界だったようです。

つまり、「女房」をやっていくために必要な経費は全て自分か自分の実家や夫持ちだった、という現実があったわけです。

何にそんなに経費がかかったのでしょうか?
まず、衣類です。
女房勤めにはそれなりの衣装が必要です。
正装一つにしても、上質の衣を何枚か重ね着をします。
その一揃えを準備するにしても 細木数子のお洋服並みに 
現代の価値に直すと数百万円が必要だったようです。

しかも、季節や行事の内容に応じてその都度数着準備しなければなりません。
その所持点数は女房一人当たり膨大な数に上ったと思われます。

貴人から下賜されることがあっても、ほとんどの準備は自前でした。
身分が上になるほど上質ものを着ることが許されたので
「上臈」になると衣装の毎日のものにも紅白の小林幸子並みの費用が必要だったかも知れません。

また、女房は自分自身の身の回りの世話や
仕事のサポートをしてくれるひとを数人引き連れて出仕していました。
その人達を養う必要もありました。

さらに、上臈になると個室が与えられますが
その個室を上臈の格式にふさわしい家具で整えなければなりません。
それもやはり、大金がかかります。

つまり、本人が荘園を多数所有しているとか、親元がお金持ちでないと
「女房」を続けることがほぼ不可能という状態になっていたのです。

さて、なんでこんな大出費をしてまで女房勤めをしたのでしょうか?
(以下個人的推測)
それは、「女房勤め」が「貴人」と縁を結ぶ一つの手段だったからだというのが理由の一つであったと思われます。

例えば、貴人の周りで出産があった場合は「乳母」に採用される場合もあったでしょう。
「乳母」は養子が権力を得るとその乳母もかなりの実力を持つことになります。

また、主をかつて養育した「乳母」も「女房」として主の元につねづね伺候することになります。
「乳母」は、成長した養君にも絶大な発言力を有します。
その乳母にしょっちゅう顔を合わすことができたのも「女房」たちでした。

また、女房自身が独身の場合は
家にこもっているより貴人の下に出入りする様々な貴公子たちと顔を合わすチャンスが沢山あります。
つまり、いいお相手を見つける為にも女房勤めが格好の場にもなりました。
また、いいお相手を見つけることはその親や兄弟にとっても、「人脈拡大」のチャンスとなるので、実に望ましいことであったと思われます。

また、女房を通して荘園の斡旋を「貴人」にお願いするということが
当時沢山あったようです。
また、荘園の管理上の問題から「貴人」に近づいていく必要があったと思います。
勿論「女房本人所有」の荘園も主の名義にしてもらってことも多々あったようですから女房自身にとってもメリットのあったことでしょう。

そんな理由(以上個人的推測)もあって
出費がはるかに上回る女房勤めが平安末期から鎌倉初期にかけて大流行していたのではないかと推測します。

それにしても、複数の娘をお金のかかる女房づとめさせた当時の貴族達の経済力の凄さは感嘆するものがあります。

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