時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

女房について その1

2007-06-09 10:33:09 | 蒲殿春秋解説
さて、ここのところ「女房」という単語がやたら出てきたのでこれについて書いて見たいと思います。

現在では「女房」というと「妻」の意味ですが
平安時代では、使い方が違います。

「女房」とはお偉いさん(で無い場合もありますが)に仕える女性、
とりわけ貴人に仕える女性は現在で言うと
エリート街道まっしぐらのキャリアウーマンに相当します。

(元々「女房」の「房」は「部屋」という意味ですので
「女房」とは「部屋を与えられた女性」という意味から転じた言葉となります。)

「貴人」とは、院、女院、三后、その他皇族、または摂関家の場合を指すことが多いのですが
(天皇の側に仕える女性に関しては女性官人として別格の扱いを受けるので「女房」とは呼ばないようです)

女房と一言で言っても仕える先はピンからキリまでありますが、
有名どころでは「貴人」に仕えている人が多いので
この先は「貴人」の周りのお話をしてみます。

その「女房」の主なお仕事として
「貴人」への用向きの取次ぎ、使者などの役割がありました。
その他主を助けて色々とお仕事があったようで・・・
ただし、家政婦さんがやるようなお仕事はその下層と位置づけられる、
半者(はしたもの)雑仕(ぞうし)長女(おさめ)下女がしていたと思われます。

「女房」には誰でもなれるものではありませんでした。
貴人たる院、女院クラスに仕える女房は親が少なくとも「侍」クラス以上でないと「女房」にはなれません。
しかも、露骨な「縁故採用」の時代ですから、親がその貴人や貴人の身内に人脈を持っていないと
その貴人の「女房」にはなれません。

また、政治活動を行なったり、文化に担い手であり、家のことを取り仕切る手伝いをするわけですから
ある種の教養と才覚がないと勤まらなかったのではないのかと思われます。

「女房」になるのも結構大変だったかもしれません。

「女房」になると貴人の家の中で「部屋」(房)が与えられ
つねに側にいるものは宿下がり(休暇に家に帰ること)以外の期間はその「部屋」に住み込み
つねに側にいないものも、出仕するときは与えられた「部屋」に起居して
仕事を行います。
ただし、格の高い「上臈」以外は「相部屋」だったようです。
ミセスの場合は恐らく子供は家に置いて仕事をしていたのではないのかと思われます。
相部屋ですから恋愛が発生しても自室で愛を語らうということもほぼ不可能だったでしょう。

また、「兼参の女房」といって
複数の貴人に仕える「女房」もいたようです。
(相当仕事のできる女性ではないのかと思います)

さて「女房」の中には格があります。
大きく分類すると
「上臈」「小上臈」「中臈」「下臈」という身分差があります。
この身分差は親や兄弟の身分差がモロに現れます。

「上臈」 大臣の娘
「小上臈」 公卿の娘
「中臈」 諸大夫(四位、五位)の娘
「下臈」 侍(六位)の娘

そして、お偉いさんにお取次ぎをお願いする人々も
自分の身分によってお話できる女房が決まっていました。

つまり公卿さんは「上臈」「小上臈」さんを通して、
国司などの諸大夫は「中臈」を通して
その以下の人々は「下臈」を通して
お偉いさんにお願いごとをしていたようです。

2へ

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
勉強になった (しゅうちゃん)
2010-07-03 17:32:30
女房装束を研究していますが、女房に関して、いろいろと勉強になりました。ありがとう!
返信する
しゅうちゃん様へ (さがみ)
2010-07-04 05:58:08
おはようございます。
ご訪問とコメントをありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
返信する

コメントを投稿