時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

熱田大宮司家について その3

2007-06-05 05:11:31 | 蒲殿春秋解説
そのようなわけで、熱田大宮司家は
①熱田社の神職者
②所領の管理者
③地域コミュニティーセンターの運営者
④武士
⑤宮廷貴族
という多面性を持つ家なのでないのか、と思われます。

よく歴史の教科書でこの時代を「貴族の世から武士の世へ」という書かれ方をしている為か
「貴族」と「武士」は別個のものでしかも対立関係にあるという印象を持ちがちですが
必ずしもそうとは言い切れません。

例えば以仁王の令旨がらみで有名な源頼政は
武門摂津源氏の当主でまぎれもなく「武士」でありますが
先祖代々都に邸宅を構え、宮廷貴族としての官職を得つづけていました。
そのあり方は「貴族」のそれと全く変わりはありません。
また、武士といえばすぐに思い浮かぶ東国武士の中にも一例を挙げると
波多野氏などは地元の波多野にしっかりと根を推して領地経営にあたる一方で
都においても先祖代々下級官人としての官位を得続けていました。
このように東国武士でも「貴族社会」にしっかりと入り込んでいたものもいたのです。

当時の人々の中には「武士」と「貴族」両方の顔を持つものがあり
「武士」「貴族」と分類することが不可能に近い「ファジー」な人々もたくさんいたわけです。
水軍に目を転じると
日常は商業活動を行い、場合においては軍事行動をとる「水軍」という存在もあります。
そしてその「水軍」のうち「熊野水軍」はその頂点に「宗教勢力熊野山」がいるという状態です。
熊野のばあい
「宗教者」であり「武士」であり「商人」でもあります。

つまりこの時代の人々をある特定の職業なり階層に無理やり分類するということ自体無理があるのかもしれません。

そのような意味では
熱田大宮司家が神職者であり、武士であり、地方の一勢力であり、貴族であった
という多面性があるという事には何の不思議もないわけです。

前へ  つづく

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿