時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百三十八)

2009-01-11 06:47:02 | 蒲殿春秋
義仲は、北陸宮の即位こそが自分の政治生命の勝負と思っている。
挙兵以来義仲は「以仁王の遺志を継ぐもの」という立場を取り続けていた。

その立場をとる義仲が都から逃れてきた北陸宮を自軍に迎え入れることができた。
「以仁王の遺志を継ぐもの」という立場に有る義仲にとっては以仁王の遺児である北陸宮を奉じることが当たり前のことであったし、
「自分が皇位に登る」と令旨の中で宣言した以仁王の遺志を継いでその遺児北陸宮が即位するのは当然の帰結であると思っている。

そして義仲は自分が奉じる北陸宮の権威を最大限に活かしてきた。
義仲がここまで大きい勢力になりえたのも北陸宮の存在があってのことなのである。
つまり、北陸宮は義仲にとっては大きな希望であり野望であるのである。

また、現在の状況において義仲が優位に立つためには北陸宮の即位が必須要件である。

義仲と共に入京してきた源氏諸将は都においては義仲とは同等の地位もしくは格上と見られる人々ばかりである。
その中からどうしても頭一つでも上に出たい。
また、もう一つ義仲を悩ます問題があった。

それは治承以来の一連の戦いにおける義仲の功績が頼朝より下と貴族たちに見なされていることである。

義仲入京直後開かれた議定においては今回の平家都落ちにいたるまでの各武将達の功績は

一位 頼朝
二位 義仲
三位 行家

と評されている。

頼朝の挙兵が真っ先に都に伝えられ、頼朝が十三歳にして従五位下右兵衛佐の官位を得、なおかつ都との人脈を数多く有している結果がこれである。
一方で義仲はつい二ヶ月ほど前までその名さえ都の人々に知られていなかった無名の人物であった。
ある意味仕方ないことではあるが、頼朝が彼の上位にいることは今後の義仲の政治活動にも差し障る。
この現状も何とか打破したい。

とにかく都において義仲は他の源氏諸将から同格もしくは格下と見なされ
宮廷社会における義仲の評価も東国から全く動けない頼朝よりも低い。

この現状を覆すには北陸宮に即位してもらい自分が新天皇側近となって力を振るうしかないのである。

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