時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百三十九)

2009-01-12 20:57:49 | 蒲殿春秋
新天皇の即位の具体的な準備がかなり進んできた頃、義仲は北陸宮即位を申し入れてきた。

しかし、この申し入れは後白河法皇や貴族達にとっては迷惑なものでしかなかった。
既にこの頃法皇近辺や公卿たちの間では新天皇は故高倉院の皇子の三の宮か四の宮に立って頂く方針が固まっていた。
いずれにお立ち頂くかは後白河法皇の判断に委ねられる。
そのような折に、宮廷社会においては想定外の「北陸宮」など持ち出されても困るのである。

三の宮、四の宮の父君は故高倉院であり、このお二方は天皇になった方の皇子である。
一方北陸宮の父は即位はもちろん親王にもなれなかった以仁王。
天皇の皇子と親王にもなれなかった皇族の子では皇位への距離は違いすぎるすぎるのである。

この申し入れに最も反発されたのが治天の君後白河法皇である。
次期天皇を決める唯一の権限を持つのが治天の君である。
自らの意思がまとまらないうちは廷臣達の意見を聞くことがある。
しかし、方向性がまとまり後は自分の胸三寸で皇位が決するというところに来て意見を申し述べるという行為は僭越以上のものである。
治天の君の権限を大きく侵すものであり許しがたい行為である。

しかも、推してきたのが以仁王の皇子であるというのも気に入らない。
以仁王の令旨によって各地の反乱勢力が蜂起したというのは認める。
しかしその令旨の中に許しがたい一文があるのである。

それは「以仁王が皇位につく」という宣言である。
この宣言には後白河法皇の意思は全く反映されていない。
以仁王が勝手に宣言したものである。
もし以仁王が即位した場合、後白河法皇が敵視している安徳天皇の即位と同様
治天の君後白河法皇の意思によらない即位となる。
その意志を継ぐものとされる北陸宮の即位も同様である。

そのようなこともあり北陸宮の即位など後白河法皇には断固認められないものなのである。

皇室系図1


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