時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(二百五十五)

2008-05-07 05:44:00 | 蒲殿春秋
もう一つ甲斐源氏は危機を抱えていた。
甲斐源氏内部の分裂である。

当時の甲斐源氏の総帥は武田信義。
そして、彼の嫡子ー後継者とみなされているのが一条忠頼。彼は駿河を支配している。
だが、嫡子の座は忠頼にとって最初から約束されていたものではない。
元々の嫡子はその兄弟の逸見有義であった。
有義が甲斐源氏次期当主として育てられた。信義の嫡子として都に出て
平家に接近しその家人となって、甲斐源氏の家格を上昇させるべく平家の斡旋で「兵衛尉」の官位を得ていた。
その頃有義の他の兄弟たちは何の官位も得ていない。
このまま平家が朝廷の中枢を握っていれば有義が順調に甲斐源氏の次期当主になるはずであった。
だが、「以仁王の令旨」が有義の運命を変えた。
甲斐源氏は以仁王の令旨を受けて挙兵することとなった。
そのことにより、平家に一番接近していた有義は嫡子の座を追われる。
有義に代わって嫡子の座に収まったのが一条次郎忠頼なのである。

忠頼が一番挙兵に積極的だった。
挙兵すれば有義は嫡子を追われるということを見越してのことであった。
そしてその後釜をねらっていた。忠頼の目論見は見事にあたった。

だが、忠頼が嫡子の座に付いた経緯をその兄弟たちは皆知っている。

そして自分たちにも同様の権利と可能性があることも知っている。

板垣兼信、石和信光といった忠頼の弟達は「嫡子」の座を虎視眈々を狙っている。
ことに石和信光は年号が寿永に変わった頃から木曽義仲に接近を試みている。
何か腹に一物を抱えている。

そして、加賀美遠光、安田義定といった武田信義の弟達も独自の動きを始めている。
加賀美遠光は妻(和田義盛の妹)の縁でここのところ頼朝への接近を深めている。
その次男加賀美長清は頼朝の重臣上総介広常の娘と結婚し、鎌倉に行ったきりである。
安田義定は遠江の経営に腐心するのみである。

東海三国の勢力減退と信濃への影響力減退という状況に加えて、甲斐源氏内部に抱える分裂の危機が甲斐源氏当主武田信義をさらに追い詰めていた。

この甲斐源氏の危機は範頼にとって他人事ではない。
範頼は坂東に勢威を張る源頼朝の弟であると同時に、甲斐源氏安田義定の盟友でもある。範頼が西三河で勢力を持ち続けるには安田義定との提携は未だに欠かせない。危機の中にあるとはいえ甲斐源氏は範頼にとって未だに強力な支援者なのである。その甲斐源氏の動向が自分にどう影響を与えるのか、自らはどのように身を処すべきなのか範頼は思案する日々が続く。

「鎌倉に来るように」という兄頼朝からの言葉が伝えられたのは、そのような思案にくれている真っ只中。寿永元年(1182年)も暮ようとする頃であった。



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