時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百三)

2009-08-06 05:57:06 | 蒲殿春秋
次の日から範頼の元に梶原景時と土肥実平が顔を見せるようになった。
勿論上洛する為に色々と話を詰めるためである。

各御家人の動員力や特徴、それぞれの出立の日付などこまごまとしたことまでこの両人はよく熟知している。
兄の言うとおり頼りになる人物のようであった。

梶原景時は二日ほど範頼の屋敷に顔を出した後直ぐに一族郎党を連れて先に出立した。
このとき景時は息子達も同行させたが、景時の嫡男景季は頼朝に強く乞うて得た名馬「磨墨(するすみ)」にまたがって西へと向かっていった。

景時が早くに出立した理由は先に尾張に滞在している範頼の弟九郎義経に合流するためである。
義経は現在尾張・美濃そして畿内の武士達に与力を働きかけている。
義経もまた範頼と同様に一軍の将となる男である。
今回の戦では景時は義経に付くことになっている。

景時父子が出立したのとほぼ時を同じくして、範頼の屋敷の侍女志津の夫藤七も都へと向かった。
藤七の主佐々木一族も今回上洛軍に加わっており、佐々木一族も義経の軍に加わるからである。
佐々木一族の一人佐々木高綱もまた頼朝から賜った「生食(いけづき)」にまたがっている。

功名手柄の野望に燃える坂東武士たちが続々と西へと向かっていく。

そのようなさなか範頼は盟友から一通の書を受け取っている。
盟友とは遠江守安田義定。
範頼とは挙兵以来の盟友である義定も兵を率いてその歩を西へと進めた。
甲斐源氏安田義定はひとまず尾張にいる義経のもとに合流する予定である。

そして、甲斐・駿河にいる甲斐源氏の面々も続々と出立する動きを見せているようである。

そして範頼自身の出立の日も近づいてきていた。

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