時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百二十一)

2008-12-03 20:15:14 | 蒲殿春秋
三河に滞在する源範頼の元に遠江の安田義定からの使者が現れた。
是非、遠江に来て欲しいというのが使者の口上であった。
範頼は三河に同行してきている安達盛長の顔を見た。
盛長は「行かれるがよい」とのみ言う。

例によって、側に控える雑色たちの目が光る。

その目が気になったが範頼は三河のことを舅安達盛長に託すと
当麻太郎など数名の郎党だけを連れて遠江へ向かった。

遠江に入ると騎馬武者の行列に数多く出くわし、兵糧を徴収しようとする武士と
取られまいとする人々との諍いを幾たびか目にした。
また人や馬の行き来が妙に活発になっている。
遠江国は緊迫感に包まれている。

安田義定の館に着いた。
ここも常より武装したものが数多く出入りしており、常よりも物々しい雰囲気に包まれている。

来意を告げると直ぐに中へと通された。

奥へ入ると安田義定が数名の男達と歓談していた。
男達は弓矢、太刀を手に携えすぐにでも出陣できる様である。

範頼の姿を見かけると彼らは軽く会釈をした。
その奥に座する安田義定はここに集っている人々を紹介した。

彼等は葦敷重隆、土岐光長、山本義経とそれぞれ名乗った。
山本義経は近江源氏、土岐光長は美濃源氏、葦敷重隆は尾張源氏である。
いずれも治承四年(1180年)末から五年(1181年)初頭にかけて反平家の挙兵をして敗れ去り本拠地を追われた者達である。

近江源氏・美濃源氏・尾張源氏は平家との戦いに敗れると東へと逃走し
その東の源氏と合流して再び平家に戦いを挑んでいた。
度重なる平家との戦いの間援軍を出し合うなどお互いに提携をしていた。
尾張が陥落した後思い思いに落ち延びていたのだが、今はここ遠江の安田義定の元に集まっている。
山本義経は治承四年(1180年)頃甲斐源氏の武田信義としきりに連絡を取り合っていた。
甲斐源氏と山本義経とのつながりは意外に深い。そして山本義経と提携していた尾張美濃の源氏とも甲斐源氏は無縁ではない。
甲斐源氏の一人安田義定の所に彼らが集結したのは当然のことともいえる。

「近江の山本殿、美濃の土岐殿、そして尾張のわし。
それに三河の蒲殿が加わり、安田殿の遠江から都の隣まで繋がったわ。」
と葦敷重隆が言う。
「そうよの。今こそわしらの積年の恨みを晴らすときじゃ。」
山本義経も言う。
範頼を囲んで口々に皆色々なことを言い出した。

やがて、彼らは退出した。
静まり返った居間に範頼は安田義定と二人だけ取り残された。

「蒲殿折り入って話がある。」
居住まいを正して安田義定が語りかける。
「わしは上洛する。あの方々と共に。」

範頼は義定の言葉の意味を飲み込むことができなかった。

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