時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

この時期の玉葉

2007-08-15 05:17:22 | 蒲殿春秋解説
この前は治承五年一月から三月にかけての「吾妻鏡」の信憑性が疑わしいということを
書かせていただきました。
この時期について他に書かれている史料には「玉葉」がありますが
これについての信用性はどのようなものでしょうか?

確かに坂東は都から程遠く、著者九条兼実自身「浮説が多い」と記しています。
また、日付が一日違うだけ正反対のことが書かれていたりしています。

しかしそれだけで「玉葉」の記事が信用できないと決め付けるのは性急のような気がします。

例えば「四月二十一日条」では、
坂東を実際に見てきた人から話を聞いたりしています。
また、内乱の影響で連絡がとりにくくなっているとはいえ
摂関家の所領も東国に多数あります。
それなりの情報が兼実の元にもたらされていたと思われます。

ですから、混乱した情報の中にも真実に繋がる部分が「玉葉」には隠されているのではないのか
と思うのです。

例えば
この時期「武蔵の人で頼朝に背く者が出た」という記載が多数見受けられます。
風聞が多いとはいえ、この記載の多さは少し気になります。
後の結果を見て多くの人が抱いている
「坂東の人は挙兵直後からことごとく頼朝に従っていた」という
思い込みを捨ててこの「玉葉」の記載を読んでみると
「玉葉」の文面通りの受け取れないとしても
武蔵国では、その頃何かしらの混乱があったのではないか
頼朝の力が絶対的なものではなかったのではないか
という推測もできるのではないのかと思います。

少なくとも
故意か過失かわからないですが
「違う時期の出来事の誤記」を有する
「吾妻鏡」より「玉葉」の記載の方がより真実に近いものを示しているような気がします。

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