時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

範頼の兄弟について その6(義円)

2007-08-16 05:25:21 | 蒲殿春秋解説
久寿2年(1155年)生?(「平治物語」)
幼名 乙若(「平治物語」)、別名 円成
父 源義朝 母 九条院雑仕常盤(「尊卑分脈」他)
兄弟順 父を基準に考えれば八男説濃厚

同父同母兄弟 全成、義経(「尊卑分脈」他)
異父同母兄弟 一条能成(「尊卑分脈」他)、女子(「吾妻鏡」)

妻 愛智郡司慶範禅師娘(「尊卑分脈」)

経歴
父義朝が平治の乱で敗死した後、
後白河法皇皇子八条宮円恵法親王に仕えるようになる。
その間に、尾張で一定の勢力を持つ愛智氏の娘と結婚したものと思われる。
治承五年、叔父源行家らと共に尾張墨股にて平家と戦い
その戦で戦死した。


通説では、尾張に出向く前に鎌倉の頼朝の元に駆けつけ
頼朝から一千の兵を貰い受けて尾張に向かったとされている。

しかし、当時の頼朝の実際の勢力は南関東を支配下においたに過ぎず
(それも絶対的支配をしていたわけではない)
駿河以西は甲斐源氏の支配下にあった。
そのような状況を考えると、頼朝が援軍を尾張に出す状況にあったとは思えない。

義円は妻の縁を頼りに都から直接尾張に行き、自ら築いた独自の勢力を率いて
叔父行家と合流したと考えるほうが自然だと私は思う。
(小説もどきでは、頼朝の間接的支援は空想で書きましたが・・・)

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