時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

以仁王の令旨について

2007-01-04 13:31:21 | 蒲殿春秋解説
さて、歴史の教科書にも出てくる清盛のクーデターと「以仁王の令旨」について
書いてみましたが通説とかなり違うと思われた方も多いと存知ます。

通説では
おごる平家が後白河法皇を幽閉して孫の安徳天皇を即位させた。
そして、全国的に強まる反平家機運が盛り上がってついに
「以仁王の令旨」が発行された

というような見方がなされているのではないでしょうか?

まず、「おごる平家」についてです。
高倉天皇が即位してからはたしかに平家はかなり有力な家となりました。
けれども、「平家物語」にでてくるような
「高位高官ほぼ独占、国の半分を知行」という状態は
「平家のクーデーター」の後の状態です。
実際には、清盛は院や宮中の有力者との提携をまだかなり必要としていたようなのです。
「おごる平家」になることができたのは「清盛のクーデター」以降で
まさに「以仁王の令旨」のわずか半年前に達成したばかりのことなのです。

そして、「以仁王の令旨」
これの発行の背景については現在色々な説があります。
けれども以仁王・源頼政の背後には
「八条院」の存在が大きかったらしいということは
私の読んだ範囲ではあちらこちらで触れられています。
それを自分なりに解釈して小説に取り入れてみました。

それから、
頼朝と義仲の扱いが小さいんじゃない?特に頼朝のあの扱いはなあに
と思い方も多いと思います。

けれども、私は我々が現在思っている
頼朝の血統の位置づけや東国武士との関係のほうが
後の歴史からの見た過大評価であり、また頼朝の政治的宣伝の結果だと思っています。

このあたりに関しては過去に書いています。

源氏と東国武士団の関係Ⅰ

源氏と東国武士団の関係Ⅱ

頼朝の血統の地位Ⅰ

頼朝の血統の地位Ⅱ

簡単に書くと頼朝と東国武士団との関係は現在我々が思っているほど濃密ではなく
近世のような代々一つの家に仕えるという主従関係とは異なるドライかつ刹那的なもので
なおかつ、頼朝の血筋が清和源氏全体の指導者であったわけではなく
分立する清和源氏の家のなかの単なる一つの流れであったに過ぎない
ということです。

ですから、実際には流人であった当時の頼朝の存在価値は
頼政らから見ると
そんなものだったのではないのかなと思って書いてみました。

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