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人に自然に耳を傾けながら、まちを歩こう。

まんなかに木とピアノがある図書館 -市民図書館その1

2010-05-31 21:39:52 | まちづくり
 この図書館をおとずれることは私のながらくの念願だった。伊万里市民図書館。15年前に市民と行政がちからをあわせてつくりあげた図書館だ。院生@福岡時代にもそのうわさをきいていたが、その後埼玉にうつりすんでからも、埼玉で活発に活動していた図書館市民の会のグループの伊万里視察記にうなづかされたり、いつもその存在感を感じていた。
 伊万里は佐賀県だけれど、西部に属し、福岡からはちと遠く感じる。今年から社会教育主事講習の現地研修先を事前に訪問することにした。6か所、平日に福岡・佐賀・長崎・大分とまわっていくのは、実はちょっぴり大変。でも私を後押ししたのは、こうでもしないと無精な私が、今激しく動いている自治体の現場をフラットにまわり、実感していくチャンスはないだろうと思ったから。
 で、第一回目にあたる訪問地のひとつが伊万里市だったのだ。生涯学習課とのうちあわせを済ませた私は、同行いただいていた県教育委員会のセキさんに「ぜひ、図書館いきましょー」と嘆願して、たちよることにした。
 アポなし訪問なるも、ちょうど会議からもどってみえた館長さんがでてきてくださった。さらにラッキーなのは、この館長さん、15年前のたちあげ時の当事者で、行政職をめぐりながらふたたび最近戻ってこられた方だったこと。おかげでこの図書館をつくりあげたときの思いを重ねながら、館内の主な場所を案内していただくことができた。(が、40分くらいかけていただいても、おそらくいいたいことの半分もいいえなかっただろう…という雰囲気。まさに物語にみちた図書館だった。)

 この図書館をどう表現したらいいだろう。空間的にいえば、大きな平屋建ての図書館で、館長が「フィンガープラン」と表現される、四方八方に指のように空間がいくつもつきでる形になっている。管理しようとおもうならこれほど面倒なつくりはない。しかしこの図書館は「誰にも居場所がある空間」「一人でいられる(管理されない)空間」を提供することを目標に設計されているのだという。しかもそれが和室タイプから子どもコーナーのかわいいおひとりさま空間まで、個人の嗜好がさまざまなように、空間もまた多様に用意されている。200席はそういう個人スペースにあてられていて、およそこれだけ用意すれば満席になることはないのだという。

 そしてその図書館のまんなかには、「いすの木」といわれる大きなシンボルツリーと、グランドピアノがある。「いすの木合唱団」という図書館利用者による合唱グループまでできてしまったらしい。さらには、サークルがつかえる会議室や和室も、150人収容のホールも完備されている。
 「個人スペースOK」(ふつうは、たとえば受験勉強する学生が排除されるのが図書館。)「シンボルツリー」(まるでコミュニティの中心のような…)「ピアノ」(えっ?静寂が図書館のうりでは?)…とくると、これが本当に図書館?っていいたくなるよね。「図書館は本を読みに行くところ」という概念を圧倒的にうちくだく、まさに市民の居場所としての図書館なのだ。(つづく)

 

蚤の市@護国神社にて

2010-05-27 15:21:39 | 今日のまちあるき
  以前けやき通りを散歩していたら、ブックスキューブリックという本屋をみつけた。以前箱崎のまちづくりにも発言していた、アートやまちや暮らしの文化に造詣の深い本屋さんだ。小さい本屋さんなのに陳列されている本があきらかに特徴的。迷った末にその日買ったのは「福岡さんぽ日和」という本で、県内の、ものと場を介して人をつなぐいろんなお店がでていた。

 でそこに、これまた我が家からおさんぽ圏域の護国神社にてひらかれる、蚤の市のことがのっていた。年3回だけど、手作り品、おかし、陶芸やバックやアクセサリーから植物まで、福岡近辺の雑貨や・cafeや骨とう品やさんが集結するらしい。いつなのかなーとHPをのぞいたら、なんとのぞいた2日後の23日がその当日らしい。これはいくしかない。当日雨だったけど、そんなのものともせず、歩いて神社へ。

 たどりついてみれば、人だかりにびっくり。お店の数もそれはそれは多くて、とても全部はまわりきれなかった。ゆっくりコーヒーとか飲みたかったけど、それはどうもこの曇天では座って飲むにも難しく、断念。物を買うのも控えながら歩いた。ところが、屋内会場でひらかれていたクラフトマーケットのコーナーにさしかかると、そのあまりの安さと魅力に堤防決壊。天然石のネックレス(600円)、特殊加工のボタンのついたヘヤピン(200円)、陶芸家のつくった箸置き(2つで800円)、そして外でラベンダーの株2株と、結局はいろいろ戦利品をもちかえることに(汗)。どの店も、名刺やチラシの手渡しを欠かさなかった。この場から、次のつながりが生まれることが、大事なんだろうな。

 先日このブログに書いた季離宮でも、近く似たようなマーケットがひらかれるというお知らせがでていたし、やはりこうしてつくり手の思いや雰囲気を感じ取りながらモノではなく作品を手渡しあうような場が確実にふえてきている。それを確信した。

10分先のパラダイス

2010-05-22 23:58:27 | 今日のまちあるき
 埼玉から遊びに来てくれた友人と、前々からいきたかった能古島へ。能古島は12キロちょっと、現人口800人の小さな島だが、昭和16年に福岡市に合併されている。姪浜の渡船場から「フラワーのこ」という、かわいい名のフェリーにのってわずか10分で、島に到着する。わずか10分の距離なのに、ショッピングモールへ沿岸開発された本土側とまったくもって島風景の能古のあまりに対照的なことといったら。なんだか不思議な気分だ。

 島につき、まずはということで、渡船場近くの食堂で煮魚定食をいただく。すずきの煮物、島でとれた新鮮なもずく、それに島の名産のふくよかなあさりを使ったあさり汁。島の味を満喫して、アイランドパークへ。ここは年中花畑になにがしか咲いているらしく、いまはひなげしやいくつかの花々による花畑ができていた。一番人気はコスモスの咲く秋らしいけれど。島の丘陵をつかってつくられているだけに、眼下に海がみえたりして、なかなかの絶景だ。入園料1000円するが、緑環境といい、園内の食事処や土産物やといい、よくこういう園にありがちな侘しさがまったくなく、十分な心配りと手が入った、きもちのいい園だった。それは園だけでなく、渡船場から一貫して島全体から感じる雰囲気でもある。なぜだろう。どうもここは、この園の社長さんがまちづくりへの意思をこめてパークをつくるところから、長い年月をかけて園もちょっとセンスのいい数々のみやげものも、おそらく島も育てられてきたようだ。うまく外向けの顔と島経済がつくられているともいえるんだろう。

 パークからおよそ10分バスにのって渡船場にもどってくると、私たちは目の前にあるかわいいカフェへ直行。行きには閉まっていてがっかりしていたが、帰りには見事開店!(っちょっと島ペースな営業模様?)ガイドブックでみたここのスムージーをどうしても飲みたくて目をつけていたのだ。わたしはミックスベリーのスムージーを頼んだが、とってもおいしい!帰りの船にもちこんで、ゆっくり味わいながら、あれこれ大満足で、約3時間半の小さな島旅を終えたのだった。

 

行ってきてしまいました。

2010-05-19 20:40:58 | Weblog
 ブログコメントにてS大卒業生のたまちゃんが教えてくれた、映画・のだめ最終楽章・舞台挨拶@福岡。先日のコメントには、すでに完売…と書き込んだものの、ふと、あ、オークションにでてないだろうかと思いつき、チラ見した。案の定、結構たくさん売りにでている。で、つい、即決価格3500円でだされていたチケットを落札してしまった。のだめー千秋コンビには会えないけれど、生千秋&2人の監督に、会いにいくことに。

 キャナルシティ噴水前で朝10時半に売りにだした方と待ち合わせ。ペアチケットの半分をわけてもらったことになるので、その人と映画を見て、舞台挨拶までご一緒する。お相手は28歳の女性で、なんと日劇で映画上映初日に行われた東京の舞台挨拶にも行ってきたという。しかも登場役者がかわるとのことで前後2回。スゴイ。

 入口で大入袋をもらい(中身はマングースストラップ!)、落ち着いてゆっくりと映画を見て、映画終了後いよいよ千秋もとい玉木氏登場。グレーのノースリーブサマーセーターに赤いシューズ。グレーは千秋色なので、ちょっとうれしい装い。玉木氏はとにかく声がいい。それがまず第一印象。その玉木氏がいたずら好きなのは定評があり、ウエンツや瑛太をからかっていたというが、僕にもいたずらしてほしかったという(?)監督の談話に、「現場に影響する人にはいたずらしないという僕のルールがあるので。樹里にも一回もしてません」とひとこと。「樹里」とよぶあたたかな声に、ドラマから映画完結までこの3年間をともにかけぬけてきた二人の深い同志関係を垣間見た気がした。

 なお、ニアミスで主演二人に会い損ねた冬の福岡での舞台挨拶@クリスマスイブ、やはり樹里・玉木&スタッフたちは福岡で、あえて和風旅館にとまり、卓球など大盛り上がりだったという。これは舞台挨拶ではなく、別のサイトの記事で知ったのであった。
 のだめは今回の映画後編で完結。「生・舞台挨拶」という〆にふさわしい機会を得て、なんだか、私もこれでのだめを卒業できそうだ。 
  ※写真は今回来福した3人のサインです。

「私のカフェは2人分」

2010-05-17 21:04:12 | 学びの場
 S大時代に、私のゼミ生ではなかったけれど、コミュニティカフェのまちづくりで、ゼミの調査活動でと、いろいろと共有するものが多かった院の卒業生が亡くなった。最初に連絡をくれたのはカフェ初代店長のアヤコさん。「先生にはもう連絡がいっているかもしれないけど…」ときかされて驚いた。彼の指導教員だったフナバシ先生からも、短くもやりばのない思いに満ちたメールがきた。

 世事にとらわれ迷いに迷ったけれど、この日ー月で、関東にとんで、お通夜と告別式に参列することにした。彼との別れにでむくことって、「いのちの時間」に身をゆだねることでもある。彼を思い、彼とかかわった人の思いにむきあってきて、あらためてそう思った。
 
 亡くなった彼と同級で一緒にアウシュビッツにもいったムカイくんは、ひとり北海道で友の死に向き合っていた。本当は博士課程に進学したかった友を想い、「彼の分まで研究を」とムカイくんはいった。飛行機の85分おくれで私がお通夜にかけつけたときには出会えなかったかおりんには、今日の告別式で久しぶりに再会し、一緒にランチをとった。亡くなった彼を慕い、一緒に若者らしいはちゃめちゃ遊びもしながら、それぞれにコミュニティカフェをつくりたいという夢を語り合っていたという。かおりんも、「わたしがいつかつくるカフェは、2人分です」といった。

 よくばりっていいたくなるくらいに、かかえきれぬくらいのたくさんの夢を抱いていた彼だった。それを語り合った友人たちがたくさんいた。去っていく霊柩車に「ありがとうございました!」といくつもの叫び声がひびいた。きっと彼がこころをたむけて面倒を見ていた落語研究会の後輩たちなんだろう。
 彼が自分では実現しえなかった夢のことを自分の夢として語る人の声は、若くてもどしりと重かった。どうぞ共に夢を語りあった仲間たちが、その夢をあたため、ひきつぎ、実現していけますように。お辛いだろうけれど彼のご家族が、この大勢集まった若者たちの姿を、忘れずに、支えに生きていってくださいますように。

あたらしいお城

2010-05-16 01:29:20 | ともに生きる現場
 私が長くお世話になっている長崎のいま子さんは、ただいま癌との闘病中。だが、本人もふしぎなのよねーというくらいに、お元気。現在もステージ5で、抗がん剤治療中だが、口内炎のようなものがある以外はいつも以上に体が楽だとおっしゃっている。周囲としてはもちろんうれしいのだが、狐につままれたようでもあり、でもある。

 夢をエネルギーに生きてきたようないま子さんが、いまも元気でいられるきっと大きな要因が、この昨日土曜にオープンした「ふれあい茶屋 わが家」の存在だと思う。彼女を応援する人々が、まちのためでもあるけれど、パワーとしてはあきらかに、闘病中の「彼女のために」の思いで、この場の実現に奮闘してきた。 
 これはいわゆる空き店舗活用による商店街活性化事業だが、彼女がこの3年間私財を投じて維持してきたまったくの民による相互扶助の場「さわやか茶屋」の発展版として、ちょっとユニークな場がつくられている。利用者がついお客様になってしまう一般のデイサービスと異なり、「茶屋」で利用者は、たとえば手芸、料理など、自分の持ち味で「つくる」ことで場に参画し、徐々に対等な関係において存在するプロセスがつくられていた。このモチーフは「わが家」でも継続。さらに「わが家」の場合は、子どもなどの買い物時の一時預かり所的な場の意味合いがこめられていて、実利的に商店会の活性化につながることが構想されている。その他、夜間は民の公民館的活用が予定されていたり、そもそも会員と非会員でスペースを区切り、非会員にも喫茶コーナーは活用できるようにするなど、場所を有効に活用した複合的な構想がつくられていた。
 私は長崎大学の非常勤のほうで参加できなかったが、開所式には現市長はじめあの有名な本島元市長もあいさつにみえたり、地元テレビが取材に入り18時のニュースでながれたり、きわめてはなやかな門出だったようだ。

 一方で、まもなく車いす生活になることをご本人は予測していて、最後は自宅を事務所にすることで、活動を持続しようと考えておいでだ。ということで、ただいま家の大改装中でもある。ご自宅の中と門構え周辺に緑をあちこちに配して、いやされる、居心地のいい空間に大変貌中。この週末ちょっとだけ家の整理をお手伝いしながら、○○だから●●と固定観念で自分の夢や行動をしばりつけることなく、希望をおいつづける、そのたくましさをしみじみと感じたことだった。
 

あれから5カ月!

2010-05-13 16:10:54 | Weblog
 あれから5カ月…。そう、新入教員としては大きな試練だった、歓迎会でのかぶりものデビューは昨年12月のことだった。季節はめぐり、昨日12日、あらたなる新入教員をむかえて、われらが学部の春の宴がひらかれた。

 今回は3名の芸が披露された。どうも私のつたないかぶりもの芸も少しはその後の役にはたったらしく、少なくともあれ以上の芸はすべしと、若い2人の助教と講師の先生に、厳命がくだったらしい(悪いヒトたちですねえ…、先生方!)。

 で、トップバッターの芸が写真のとおり。いやまさかここまでするとはとびっくり。しかもオチがないと批判をうけた私と異なり、山口百恵のプレイバックpart2が「助教の叫び」として替え歌され、さらにちゃんと紙芝居風に歌詞がみえるかたちで披露されていた。すばらしい。やっぱりここまでしなきゃだめなのね。勉強になりました。

 ちなみに、あとの2名は、ビートルズの弾き語り&カードマジックと、芸達者ぶりをほうふつとさせる極めて美しい芸でした。わが学部の名誉のため、みんなが写真のようではなかったこと、ちゃんと順をおって披露されていたことを付け加えさせていただきます。はい。さらにもうひとつ付け加えるならば、その後若手でカラオケへとなだれこみ、私が嘆願してやっと午前1時に宴は幕をおろしたのでした。本日10時半から夜9時半まで授業が相次ぐ私にとっては、実に試練の1日をすごしているのであります。はい。

新緑へのねがい

2010-05-11 01:16:07 | 学びの場
 8日、S大キャンパスへ。亡くなった教え子の一周忌をおもいつつ、彼の一人息子をなかまたちで囲んでピクニックするひとときをすごした。

 亡くなった彼は、大学時代が大好きだった。そしてこの季節の大学の新緑が大好きだった。キャンパスが移転して40年がすぎようとする校内には、いまや緑が生い茂り、新緑の季節には、光がキラキラとふりそそぐ。彼もきっと、この場に息子を連れてきたかったにちがいない。彼の愛したこの場で、息子のはるくんが最高の笑顔をみせること。それこそ、わたしたちが彼をしのぶ時にふさわしいと思った。

 大人11人、子ども4人が、三々五々、彼の親友のヒデキくんの采配のもと、おにぎりやらおかずやらを持参してきた。通称サル山の近くの大きな木の下にブルーシートをひいて、まずおひるごはんの時間。しかーし、さすがはつわもの揃いの子どもたち。はるくんもごはんにはあまり興味がないらしく、一口だけ食事をつめこむと、そそくさと大人男性陣をさそって遊びにいきたがった。すべてを了解している大人男性陣=ヒデキ&テツロウさんは、ジャージや短パン姿。かかってこい、の様相だ。でさっそくボールで野球&サッカーごっこがはじまった。私も途中に参戦。ところがはるくんとちょうど同じとしごろのハヤトくんが、いい競争相手で、「こんどは僕!」と子供らしいこぜりあいの連続。いかにもガキ大将のはるくんと相手の出方をみているハヤトくんは好対照で、ハヤトくんが王様の耳はロバの耳のごとく、マンホールの穴にむかって全力で「ぼくはー、ボールをもちたーい」と叫んだ姿には、おもわず爆笑してしまった。

 流れる水辺に足をつけてじゃぶじゃぶ。しゃぼん玉。おにごっこ…。遊び相手の大人は時間をおって参戦し、ぜーぜーいって帰ってくるが、はるくんたちは楽しくてもっと遊びたい、の風情。でもそのはるくん、ふとママのくらのところにくると、突如だっこして、とまるで別人のようにじーっと抱きついている。そしてしばらくたつと、またぱっと元気になって、遊びにでかけていく。「絶対彼氏」というTVドラマで、主人公のサイボーグがじっとして充電するシーンがあったが、まるでさながらだとおもった。愛情の充電時間だ。

 12時ころからご飯を食べて、日がかげってくる16時半ころに解散するまで、上は私から下は0歳までともに語り、食べ、汗を流した。さりげなく集まり、「いい休日すごしたねー」といいながらさりげなく別れていったわたしたち。でも、皆が集まった思いはひとつなんだ。どうぞこの親子が、明日も笑顔でありますように。



大手門でおさんぽ

2010-05-10 10:07:04 | 今日のまちあるき
 最高の天気がつづいたGW。みなさんはどんな休日をすごされたのだろう。わたしは29日のおさんぽがその後もつづくような日々。ふくおかで、しかもほとんどご近所で、のんびりゆったりGWをすごした。歩けば緑にであえるこのあたり、新緑の季節を都会なりに満喫。

 そのひとこまが、ここに紹介するおさんぽ大手門。先日ふらっと入ったお店で、こんどのGWはこんなのしますよというチラシをいただいた。どうも店員さんの提案を積極的にうけいれるオーナーらしく、店員さんの知り合いのものつくり人をいろいろまねいて、おみせのなかに臨時のお店開きをし、つくった人たちとお客さんが自由におしゃべりできる空間をつくるのだという。もとはといえばGWに行われる博多どんたくでこの近辺に人が流れなくなることへの対策を店員さんたちで知恵をしぼって考えた結果だったということだけど、そうだよね。危機?こそが知恵をよぶ。

 コーヒーやさんあり、お菓子やパンやクラッカーあり、鉄細工や布バック、籐細工あり、写真ありと、それはもう、「つくる人」たちが福岡だけでなく全国区でみえていた。お店はこの2日間だけ、プチカフェ&おしゃれなプチフリマ状態、だった。
 系列3店舗で開催されていたけれど、私はそのうちの1店を訪問。福岡でパンをつくっている方のカンパーニュと、国立市で太陽堂という無店舗クラッカーやさんをしている女性のクラッカーを購入した。太陽堂の女性の方とは、私も最近まで関東にいたこともあり話がはずんでつい長居してしまった。OLを脱サラして自分が食べたい安心できるお菓子を独学で試行錯誤しながらつくり、売り始めたのだという。国立ならそういう人がつくるお菓子を買ってくれる人が確かにいそう。自然体で、自分と自分のつくるものを信じてライフスタイルをつくろうとしてある姿に共感。クラッカーは翌日遊びにきた大学時代の友人たちに大好評だった。

 福岡は、なにかやろうとしている人の顔が、しかも若者の顔が、さいたまよりみえる気がする。それがちょっとうれしいGWだった。

よき空間は子どもがはしる

2010-05-03 12:07:36 | まちづくり
 前回記事補足。実はカーニバル見学も目的だったけど、このショップが入っていた「季離宮」という空間にもかなり興味しんしんだった。今泉という福岡でもホットな空間に出現したこの空間。エントランスからずいぶん広い敷地を植物に囲まれた園庭とし、その奥に植物と調和した2階建て3棟の建物がたっている。建築物としてかなり趣向がこらされているのだ。
 ここに木工品やキッチン用品などのショップや、カフェ、レストラン、ブライダルショップなどが入っていて、あたかも「ひとつの街」をなしている。今回のようにあるお店でイベントをひらいていると、近隣のお店でも連動企画が行われるようだ。今回もそばのフレンチレストランでは、魔女の宅急便をモチーフにした手作りクッキーが販売されていた。

 建物は3棟にわかれているけれど、どういうつくりか、階段が回廊をなしていて、ぐるっと一周できるようになっている。これはもう子供たちには格好の遊び場。子どもたちが5月の晴天の下、嬉々としてぐるぐる回廊を走り回っていた。遊びのある建物は、大人にも子どもにも魅力的なんだよね。子どもが笑顔でいる空間は、どんな世代にとっても心身にやさしい、ということなのかもしれない。