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人に自然に耳を傾けながら、まちを歩こう。

おさんぽ日和

2010-04-29 23:13:02 | 今日のまちあるき
 なんて素敵な、としかいいようのない春のひざしいっぱいの休日。おひる近くに近所にあるアルティザンというブティックのようなおしゃれなパン工房にたちよったら、ちょうどバケットが焼きあがったばかり。ここの若い主人がこだわりぬいているバケットを持ち帰って、ゆっくりブランチをとった。それでもまだ、外の日差しが恋しかったので、本を手に、近所の散歩にでかけることに。

 ここに住み始めて7か月が過ぎようとしているのに、こんなにゆったりとおさんぽしたのははじめてだ。原稿にも授業にもおわれない、GW初日というのがよかったのかもしれない。まずは、一度ゆっくりまわりたかった、港のほうへ。家からすぐ近くに港があるなんて、実はいまでもピンときていない。いか漁船などがたくさん停泊するそばには、私のように陽ざしに誘われた人がゆっくり語らっていたり散歩していたり。なんと、どなたもご自由にという「足湯」も発見。二人の女性がのんびり足をつけていらした。こんどは単行本片手に、足湯行きも実現しなきゃ。
 途中に福祉図書館を発見して思わずもぐりこんだり、これまたいってみたかった商店街にたちよって、観葉植物のアイビーを買ったり、バリ雑貨のイベント展示をしげしげとながめたり…。好奇心をあれこれ刺激される。このエリアは、ももち浜という開発地帯と、天神という中心街にはさまれつつ、下町らしさが残っているところ。それでいて、何か新しいチャレンジをしようとする人が挑戦をかけている場所でもある。その絶妙なミックス具合が、まちのおちつきと生きのよさを共存させている。

 最後に大濠公園へまわりこんだ。「黒門」のそばに、公園の水が博多湾に流れ込んでいく水門を発見。長くこの公園を知ってはいたけれど、ここの水辺はこういう構造になっているんだなあ…。周囲2キロのルートに入り込むと、そこはまさに休日の午後の幸せに満ちていた。嬉々として遊ぶ幼子と親の姿。体力づくりに励むランナーや歩いているご夫婦。ハグしながら別れを惜しんでいる外国人と日本人の女性。ボートに興じる恋人たちや親子。ハッピーな気分のまま、湖畔のレストランでコーヒーを飲んで、約2時間のおさんぽをしめくくった。

 お昼にアンドーさんの携帯から電話があったと思ったら、カナ&しおりペアがととろのイベントの森さんぽに参加していたらしく、晴れやかな声を聞かせてもらった。こんな日に森を歩くなんて、なんて最高の休日!他の皆さんにも、どうぞ最高の休日がおとずれていますように。

そらのうた

2010-04-27 23:48:53 | ともに生きる現場
 一足早く行われた、亡くなった教え子の一周忌の話。少しはやいとはいえ、もう1年たったのかなと思う。彼や妻である彼女の同級生たちを中心に、どこかでいつも残された彼女や愛息ハルくんのことをこころにとどめていた、この1年だった。彼女からの一周忌のお誘いに、一も二もなく応じたのは当然のことだった。 

 新調した喪服を飛行機にのせて埼玉へ。彼らの仲人でもあるモリカワ先生ご夫妻とともに、会場のお寺へむかった。駅で、お寺で、彼の悪友たちと再会する。あまりの輝きわたる青空のせいか、1年という時間のおかげか、なんだか皆、すっきりとした顔をしている。ハルくんと遊んだりご無沙汰の間の話をかわしあいながら、法要の席についた。約1時間の席ののち、会食会場「紅葉(くれは)」へむかった。アジアン色を随所にちりばめた、なんともおしゃれなお店でびっくりしたのだが、ここは彼が大好きだった家族と、よくおとずれた特別なお店だったのだという。店長のご厚意でお昼の席を貸し切りにさせていただいていた。お店のすみには、彼の写真とお位牌と花がかざられていた。よく晴れた春の日に、彼が大好きだったお店で、大好きな家族・仲間・親戚にかこまれてのあたたかなひととき。ご両親の彼への愛情をひしひしと感じた。

 宴もたけなわ、突然、誰も予測しなかったところで、うたが披露されることになった。彼の悪友のひとりハマちゃんは、福祉施設勤務の傍ら、ギター片手に音楽活動をしている。ハマちゃん曰く「僕の手元に、授業で書いた、彼の直筆の詩が残っていたんです。その詩に僕の思いをぶつけて、この歌ができました。歌ってみたら、CDにしてほしいという声が結構あって…」自家版録音のCDを、彼女とフジクボくんだけに届けたのだという。ギターをもちあわせないからと披露を固辞する彼に、私やまわりの皆が強く説得し、フジクボくんとともにアカペラ・ハモリ版で披露してくれることになった。

 その詩は、彼がこれまたいまはなきS大教育学部B棟(orF棟)の屋上にのぼり、空をながめながらうたわれたものだった。屋上で空をみていると、吸い込まれそうな気がする…。そんな彼の大学時代の一光景と彼のみずみずしい思いが託されたうただ。当時ちょうどつきあいはじめたばかりだった彼女は、彼がこのうたを作る様子をそばで見ていたと、懐かしくふりかえっていた。
 彼と彼女がたしかに生きていた時間を刻みこんだこのそらのうたは、つぶやくように、叫ぶようにうたう悪友二人の声を通して、はじめて私たちのもとへ届けられた。わたしたちは、一言一言聞き逃さぬよう、そのうたをうけとめた。でも悲しいわけじゃない。またひとつ彼との思い出が増えることを喜んでいるかのような、あたたかな空気だった。

 

おどろきの県民大会!

2010-04-26 10:15:41 | 旅の記憶・沖縄
 昨年亡くなった彼の一周忌のための上京をおえて福岡に戻った。心に残る一周忌だったので次回ブログアップはそのことだと思っていたら、それはちょっとあとにおかざるをえない大事件がおきた。

 昨日夜、沖縄にいるチアキさん(沖縄&社会教育研究者)からtel。
「どこにいるの?沖縄?」「???福岡だよ。」
彼女は昨日の、9万人が集まったという、また初の超党派・全市町村長参加・県知事同席という4・25県民大会に、青年団仲間たちと参加していた。
「県民大会でS大のあなたのゼミのこと、紹介されてたよー。私、うれしかったあ」「ええ???」

 あわてて、琉球新報が配信していた全180分の県民大会画像をチェック。オープニングセレモニーでは親しみ深い阿麻和利の子供たちが「ダイナミック琉球」と「肝高の詩」を披露していた。で、県知事以下つづくアピールのなかで、県内関係地域代表4名のトリで登壇した勝連漁協の赤嶺組合長が次のようなひとことをのべてくださっていた。
「さらに県外からは、S大学、Oゼミの学生たちからも今回の県内移設のことを心配していただき、建設反対と励ましのメッセージをいただいております」

 昨年9月のS大ゼミとしては最後の合宿で、私たちは勝連漁協をおとずれ、赤嶺組合長さんたちに楽しく印象的なヒヤリングをさせていただいた。
 勝連半島沖のモズク漁は産業として可能性が高く、青年層の就業が大変ふえていることを知った。それはまさに、地域経済を支える場として未来を感じるお話だった(しかしマスコミでは勝連の漁業に未来がないという報道も。勝連のもずく漁のことが正確に報道されていないことに、怒りを感じる。)。
 また赤嶺さんたちは「ほんものを子ども・母親たちに知ってほしい」と、私たちにもこれまで食べたことない本当に美味のとれたて新鮮もずくを、山もりふるまってくださいながら、生産者と消費者をつなぐ地道な活動のことを語ってくださっていた。学生たちはあまりのおいしさに、バケツいっぱいのもずくを、みごとたいらげていたくらいだった。

 私も、学生たちも、勝連の海・彼らの漁業や活動を守ることは、漁業者の生活を守ることのみならず、未来にとって、私たちにとってとても大事なことだということを、素直に、心と体全体で感じ取った交流だったのだ。
 だから、彼らは私のよびかけに応えて、一人一人のことばで勝連漁協に応援メッセージをとどけた。その文章は私の目からみても、実感がこもりながら凛としっかり書かれたものだった。きっと県外の若者の直接の、また一般論でなく赤嶺さんたちにこころで届けた声が、赤嶺さんたちのこころにも届いたのだろうと思う。

 S大Oゼミとしての沖縄とのつきあいが、こういうかたちで思いもかけず、まさに歴史の大事な1ページにのこったのだ。なんともありがたいことだと思う。


物々交換なひとびと

2010-04-24 17:35:59 | ともに生きる現場
 前回の「ちょっといい話」をみた、ゼミOBのいかちゃんから、メールがきた。

「ブログ見ましたー♪ちょっといい話よいですね☆報告するほどの面白い案件ではないかなと思ったのですが、ブログを見て「お。」とおもったのでメールします☆

ブロガーな先生ならもう見たかもなんですが、先日まりちゃんと物々交換をしました☆
そもそもはこちらに埼玉で売っていたTHE BODY SHOPの商品がなく、まりちゃんに送ってもらおーと思ったのがはじまりなんですが。せっかくだし、物々交換しませんかー?みたいなことになり、こちらからは富山の美味しいもの、まりちゃんはボディショップの私のほしいものとあと何か。

お互いわざわざ郵送する労力とか(まりちゃんに至ってはラッピングまで!)、価値観がズレて損させたらどうしようとか思ったところはあるんですが、なかなか面白い試みでした♪
「離れた・会えない=マイナス」というのではなく、離れた・会えないからこそのプラスというのが生まれたような気がして、ちょっとゼミっぽいことしたなーと思ったので笑。
先生にも九州の素敵な物々交換可能商品を見つけて、誰かに持ちかけたら面白いかもですよー☆」

 いかちゃんは富山在住。まりちゃんは埼玉在住。そして二人はともに昨年に卒業した同期仲間。なるほど。物々交換ってほんとは日常的にやりとりできる人と人の間でするものだろうけれど、「異なる環境で生きてる者同士が出会いかかわりあえる時代だからこそ」そして「日頃会えないからこそ」あたらしいヘルプを出し合う関係が生まれる可能性があるんだなあ。…交換するときにモノの損得をはかるのではなく、選ぶために相手がかけてくれた時間、包んでくれた時間、そうした「私にさしだしてくれた時間や思い」ぐるみをおしはかることができるならば、これっておもしろいことになりそう。

 九州はおいしいもの、素敵なもの、いろいろありますよ。きっと今度だれかと私も物々交換を。 

ちょっといい話 -できないから、つながりあえるということ

2010-04-21 21:46:15 | ともに生きる現場
 ゼミOBのカナさんとシオリさん。若いながら、どちらもものや社会をみつめる目に、他者にまねのできないなんだか素敵なセンスを感じていて、いいな、どんな年の取り方をするのかな、と楽しみな二人。
 その二人にこんなことがあったそうな。カナさんメールをお二人の了解済みで転載です。

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 昨日、しおりちゃんと錦糸町にタイ料理を食べに行きました。
 「食べログ」ランキングで3位に入っているという名店。
 非常にきどってなくて、庶民的で、イイ感じだったんです。御値段も。
 
 で、ご飯を食べていたら電話がなり、タイ人のオーナーがかなりの片言日本語で「日本語は流暢ですか」といって、受話器をしおりちゃんに向けてきたのです。
 何のことかさっぱり分からず、しおりちゃんがとりあえず電話に出ました。

 そしたら店の場所を知りたいお客さんからだったんですね。
 で。しおりちゃんも、「かわります」といって、インターネットの地図を印刷し、持参した私に電話をかわってくれ、私が道案内をすることになりました。
 なんだかお店はなごやかな雰囲気になりました。

 で、無事にそのお客さんも到着しました。
 
 お会計の時、二人で3950円だったんですが「50円はいらないです」と、電話代をサービスしてくれ、更に、そのお客さんにも「ありがとう。お店のお勧めは何?」と話しかけられ。
 
 なんだかとってもあったかい、確かに食べログ3位だけある、と思って、しおりちゃんとふたりでかなり好印象をいだいたのです。

 日本でタイ料理のお店をするのに、まず一番は日本語!ではないんですね。
 し、そうでないから助け合っていけるんだなあ~とおもいつつ。
 こんなのマニュアルだったら何より一番に「だめ」だとされることですね。

 お礼も50円っていいですよね。なんかそれもいいなあって。
 なんだかとってもしあわせな気分になったのです。
 ほんとに。

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 「できない」から、つながりあえるんだよね。

 この話を、火曜日の学部ゼミ、ちょうど「ヘルプを出し合える社会へ」という議論をしていたこともあり、話の延長でだしたら、就職活動に奮闘してきた4年生のぐっさんが「就職活動では常に、“なにができるのか”しか聞かれないんです。できないことは、アウトなんですよね」とホットに語ってくれた。

 できることが大事なんじゃなくて、何ができて何ができないのか、社会や他者との関係のなかで自分をわかっていること。「つながりあえる」レディネスとなる、それがきっと大事なんだと思う。 
 


ご着任!

2010-04-20 23:52:42 | Weblog
 わが研究室前に、分身殿が、9か月おくれで、ようやくご着任とあいなった。前任校S大で、ゼミのOBたちがゼミ10周年記念にくれた、大事な大事な分身殿だ。

 S大では、もともとどの研究室もにぎやかにポスターだの呼び鈴だのステンドグラスだの、思い思いに飾り立てていたから、たとえフィギュアつき赤いポストでもそうは目立たなかった(…か???)
 ところが、K大の場合、戸の前にはなにもなく簡素、白い壁がひたすらつづいている。はっきりいって、めちゃくちゃ目立つのだ。「赤」なんて。しかも上に何かのってるし。
 厳格で空気が重いこの空間にフィギュア。ほんとはすこーし、勇気がいる。でも、いいよね。もうかぶりものデビューもしちゃったし。このまま「色つきの女」ということで、突き進ませていただきます!

礼儀です! -のだめ最終楽章後編ついに公開

2010-04-19 01:05:11 | Weblog
 実は原稿におわれていて、ブログに書くのもはばかられた最近。なにせ、当の原稿をおいかけてくださる編集者さん、このブログをみてくださっているのだ。(堺雅人ファンのヤマソエさん、篤姫記事に共感し、原稿を催促しつつ「お時間がございましたら、「ゴールデンスランバー」をぜひご覧になってください(笑)」とかいてこられる。なんていかした編集者さん!)

 とかなんとかしていたら、はや、のだめ最終楽章後編が昨日初日を迎えた。いかん。のだめの成長を見つめ続けてきた私としては、映画館にいかねば礼を失す。あわせたわけじゃないけど今日午前ようやく当の原稿を脱稿した。さて。先着順に配布される特別付録もゲットしたいし、原稿を添付ファイルにのせてメールを送信し終え、あわてて自転車で映画館に駈けていった。

 今回で大団円となる最終楽章後編。もともと人間ドラマとしてのだめをかってきた私としては、その色がとみに増した後編、とても満足のいくものだった。
 自分らしく自らを生きることと音楽をいきること。その両立の難しさ。後編でのだめは、いったん真剣に音楽に向き合おうとしたからこそ、ついにその距離をはかりかねて、困窮し苦悩する。パワーがあるだけに、自滅寸前まで至ってしまい、千秋さえ彼女を見失う。しかしのだめも千秋も自らの苦悩をくぐりぬけつつ、最後には共に生きてきた二人で、共に出会いのきっかけとなったピアノ連弾を奏でることで、「今」を協奏することの喜びに再会する。それは二人が恋人として新たな段階にむかうことであると同時に、とくにのだめにとって、ゴールではなく「今」の連続としてのプロセスを生きるスタンスをつかむことでもあった。最後のピアノ連弾シーンとその前後がかなり胸にしみいって、私にとっても「のだめハイライト」となった。
 
 「のだめカンタービレ」って、おちゃらけていながら、ほんと優れたビルドゥングスロマンだったなあと改めて思う。青年の成長が、そのままにでなく「音楽」と音楽家たちの生きざまという鏡とひびきあって描かれることで、逆にリアリティをもって表現されている。そして、もうひとつその裏ドラマとして、それを演じていた上野樹里や玉木宏という俳優たちが、このドラマを愛しとことん努力して役に向きあっていったことで、この3年間のうちに見事に主役級に成長していった。「のだめ」は役者たち自身の青春群像・成長に支えられて大きくなった映像というリアリティをももっている。
 なにせ生っぽく描かれた「のだめ」がますます自分にかぶってみえてきたりもして、ちょっとびっくり、でもあった2時間だった。特別付録はあの「大川ハグ」「こたチュー」など話題ののだめ三大ラブシーンのポストカード。これも貴重。鑑賞ご予定の方、お急ぎください(笑)。


野にかえる、研究所

2010-04-19 00:10:05 | まちづくり
「さようなら農と自然の研究所 野に帰りなさい ー百姓仕事のカネにならない世界の発掘と表現と評価の思想と仕組みづくりに賭けた十年」…このことばが大きく、ホール前方に掲げられていた。「野に帰りなさい」ということばが強くとびこんでくる。なぜ?どういうこと?それはこの場にゆっくり身をおいていることで、自然にわかってきた。

 宇根豊という人がいる。福岡で農業普及改良員をしながら「百姓」たちが田畑に対して自らの身体で向き合い自らの目でみつめる力、減農薬にとりくんでいける力をつけることに全力をつくしてきた人だ。宇根さんは10年前、県の仕事を49歳で辞し、民の立場から「農と自然の研究所」をたちあげた。この研究所はたちあげ当初より10年の時限つきとされていた。今年でちょうど10年。この4月17日に、解散記念福岡座がひらかれると、西日本新聞の記事で知った。
 10年といえば、私がすっぽり福岡を離れていた時間だ。宇根さんの文章は当然読んだことがあったが、恥ずかしながら研究所の設立のことは知らなかった。しかし報道記事を読むにつけ、「百姓」にこそ「もうひとつの知の思想家」ととらえ、その世界をよみとり表現しようするというこの研究所のスタンスに、私は深く共鳴した。そしてそのフィナーレという歴史的場面に、どうしてもたちあいたいと思った。

 午前は西日本新聞佐藤記者による、映像と写真でふりかえる研究所の10年という特別企画。午後から内山節理事の記念講演と、関係者のトークリレーと、最後に宇根さんの講演。前々から学ぶことの多かった内山さんの話をどうしても聞きたかったけれど、13時から2時間大学で会議が入っていてそれは断念。いったりきたりしながら、最初と最後をみるという変則的な参加で臨んだ。

 印象的だったことがいくつもあったが、ここでは2つだけ。ひとつは宇根さんたちの仕事と科学とのつきあいの難しさが、幾度も強調されていたことだ。「(田の虫を数えみつめる)虫見板は、科学(の道具)だと思いませんか?ところが、そのうち虫見板で数えなくてもよくなるんです。身体全体でわかるようになるからです。いつのまにか、百姓は身体に戻っていく。それがいいところなんです。深くなるほど人間はデータから離れていくんです。ところが科学はそれを理解しない。」
 …「データ・数字・文字」「科学」を主としがちな現代社会で、宇根さんたちは、そうではない、主は「生きものとつきあっている」こと、つきあう身体と目ができることなんだという。なるほどなあ。だから「研究所」には時限をつけ、野にかえす、となるわけだ。
 このことを宇根さんは「内側のことば」と「外側のことば」とも表現していた。昔の百姓は田んぼの生きものの名を600ぐらい知っていた。ところが今は知っていて150。近代を受け入れていくなかで生き物との付き合いを失った現代の農民。だから田んぼの生きものの「指標」をつくるところからはじめようと提起されているが、しかしあくまで「指標」は、「外側のことば」。主は「内側のことば」をとりもどすことだという。たとえば前者で役所や科学者が「生物多様性」ということばを最近持ち込んでいるが、後者として百姓ことばで昔から「生きものはいっぱいいたほうがよかもんな」といわれていたように。 
 「この研究所は生きもの調査をやった団体だといわれるが、田に生き物がたくさんいる、生物多様性があるというのが大事なんじゃない。大事なのは現代的に生きものへのまなざしを取り戻すことです。昔はあんなに生き物の名をよんでいた。なんで?という思いを誘うことなんです」ということばに、つきているものがあると思う。
 
 短くもうひとつ。それは、虫見板という手法は、田圃をひとからげにとらえて対処するのでなく、田んぼ1枚1枚、生きもの一種一種をみる・それらとつきあう方法だったということだ。…そうでもしなければ、「見ているのに、見えていない」世界が厖大に広がっているのが、今の社会・労働世界なのともいえるだろう。「生きもの」とのつきあいって、きっとそういうことだ。どうしても「個々」とのつきあいになることに、特徴がある。

 私も、教育という私の仕事の世界で、同志でありたいと強く思った。近代教育・文字の教育の世界と、生きものとしての育みあい・非文字の教育の世界。それを行き来させ、後者を土台とした多元的で個性的な世界とそのまなざしへの方法を探しつづけていきたい。この福岡に根を張って、その先陣をきっていった人たちの姿がとてもまぶしかった。


ポロロッカ!

2010-04-13 19:16:05 | 学びの場
 埼玉をはなれてしまって、もう簡単には観にいけないなと思っていた、浦和商業定時制発の太鼓集団「響」の公演。ところが、以前ブログに書いたゼミ春合宿にて、ゼミに1年間参加してくれたいーじー(「響」に人生を賭けようと奮闘している青年@浦商定時制&マサオゼミ出身)が、4月10日の公演にむけて疾走中という話をぽつり。あれ?10日ならば上京中だ。やはり、私は「響」と縁があるんだなあ。ということで、チヅコ姉とマサオ先生をお誘いして、響の公演にいそいそと、出かけた。場所は南浦和駅近くの文化センター。以前は自転車でのりつけていたこの会場に、今回は電車で向かった。

 今回のタイトル「ポロロッカ」とは、スーパーの名前じゃなくて、アマゾン川が逆流する現象をあらわすことばなのだという。うねる社会の流れにたちむかい、すっくと立って生きようとする、「響」の青年たちの生きざまになるほどぴったりだ。しかもというか、だからこそ、今回の公演は初の全12曲オリジナル公演。さぞかし勇気がいっただろう。自己満足じゃすまない。チケットを買ってもらって「魅せる」「届ける」ための公演なのだから。
 「響」は、地域に根ざした活動を志す一方で、志高く、いまや全国へその音を届けることを近い目標としている。きっとオリジナルにこだわる思いは、オンリーワンでなければ、全国に届けるべき音とはいえない、ということでもあるのだろう。その段階へむかって彼らがすでに両足を踏みいれていることが、公演全体から感じられた。
 マサオ先生の感想同様、照明効果も抜群で、音・光・姿全体で魅せいった最終曲「輩(ともがら)」がやはり絶品。と同時に、2つのかつぎ桶太鼓の音がここちよく共鳴し、響き渡った「ツーバーズ」が個人的にはお気にいりだった。
 もうひとつ記しておきたいのは、私のゼミ生でもあるいーじーのこと。「鼓童」からもどりこれからの人生を模索しようとしていた1年前の彼は、まだストイックさを前面にだした表現ぶりだった。ところがいま、家族の事故やいくつもの掛け持ち生活など決して楽ではなかった1年間をへて、とても柔らかな身体と表情で表現するようになっていた。人の身体が柔軟に変化していくって、なんて素敵なことだろう。彼の変化がとてもうれしかった。

 とびきりの再会もあった。昔のご近所さんのイケダさんが突如壇上に登場され、後援組織「打てば響く伴の会」へのお誘いを会長として流暢になさっていたのはなんともうれしい驚きだった。イケダさんは浦商のおひざもと岸町の元自治会長さん。公民館長カタノさんとのご縁や彼にたのまれてまちづくりに若干からんだことから、私は及ばずながら響とイケダさんが出会う橋渡し役をさせていただいたことがあった。元校長のイケダさんとヒラノ先生が同じ研究会に所属していたという貴重できっと必然のその出会いが、ここまで進化していた。「彼らとつきあっていると元気になる」というイケダさんのその言葉は、お顔をみれば、おべっかじゃないってわかる。浦和、そして事務所をかまえた桶川、2つの地域がしっかりと存在感をみせつつあった。

 ぜひうちあげにも、と何度もさそってくださったヒラノ先生のあたたかなよびかけに背を押してもらって、若者たちばかりだよねえと遠慮気味のマサオ先生をもひきつれて、いーじー宅でひらかれた打ち上げまで参加した。会館のスタッフまでふくめたサポーターたちが響メンバーによせた一言をきいていると、彼らの間の緊張感のあるいい関係がひしひし伝わってきた。伝統を大事にする音の選び方や舞台での身体表現まで、地域の大人たちがしっかり意見をぶつけてくる。思わず終電まで長居して新宿のホテルにたどりついたのは午前1時だった。
 響は将来的に沖縄での公演をめざしている。その途中には、わが福岡がある。私には「阿麻和利」を埼玉へよんだ経験があるから、それをおもいだしながら、こんどはこの響を福岡によぶ近い未来が、みえてくるような気がした。
 この社会のなかで「声」を一度は失った青年たちが、太鼓を通して、この身体と音色を自らの「声」として、とどけはじめている。学校化社会の抑圧を一番繊細に感じとったからこそ再生した自らの表現。言葉にたよらないからこそむしろよりのびやかに、音と身体が伝えうるものがある。彼らがもっと「伝える」ことのプロとしての自覚とワザを高めていった時、それは浦和をこえて響き渡っていくと信じている。


「テラス・教育委員」

2010-04-12 16:04:08 | 今日のまちあるき
 某アンdo教授はあきれていらしたが、関東を離れてウレシイことは、それでも関東にくることの多い私、知人のおたくへのおとまりあるきという、思いもしなかった楽しみができたことだ。しかも私がずうずうしいのは、「友達」というより「尊敬する先生」とか「尊敬する姉さま」という通常そんなにあまえていいの、というお宅へのおとまりだらけなこと。

 今回は、この春はれて地元で教育委員にご就任とあいなったチヅコ姉のおたく。まあ、私のブログ師匠であり、旅仲間であり、社会教育&NPOを忌憚なく語れる貴重な友人であり、とその関係はいろいろありつつ心おけない友人感覚に近い。気づくと母といってもいい年齢差なんだけど。
 金曜日、社教研例会にでて、そのままおとまりさせてもらった。当初は例会があるだけの予定だったけど、急きょチヅコ教育委員就任祝いも重なって、帰宅は午前様。さらにその後「夫がこんなの用意してくれてたわよ」と赤ワインがでてきたりして、いいかげん飲んでたのに、続々出てくるおつまみといっしょに2時すぎまでチヅコ姉と杯を重ねさせていただいた。私からはおめでとう記念に、彼女に似合う赤い旅グッズをプレゼント。

 驚いたのは翌日の食事だった。びっくりした。一見したとたん、あわてて写真撮らなきゃとパチリ。まるでご一緒したドイツの素敵ホテルの朝食のようだった。「だって、火をとおしたのは卵料理だけよ」とおっしゃってたけど、チーズ、ハム、バター、ジャム、岩塩…と、その素材や器具や飾り付けがフツーじゃないし、朝日がさんさんとふりそそぐ窓辺の雰囲気も抜群。。
 私も含め、彼女の周囲は一同、チヅコさんが教育委員になったことで、きっとなにかやりはじめるだろうと期待している。前日の祝う会では、「教育委員日記」をwebでだす、そして本にしようとかもりあがってたけど、おうちにもどって飲んでるときにはチヅコママで居酒屋ひらいて教育について何かかたりあいたいひとや言いたい人がどんどんよってくる「小料理・教育委員」とかいいね、なんて会話に。その延長でいえば、おしゃれなカフェで、「テラス・教育委員」ももうこのままいけちゃいますよ、チヅコさん!ほんとうにお世話になりました。またぜひいつか、お庭の花萌えるころにおじゃまします!