海士町ついでに考えさせられた、青少年が「夢を語る」ということについて。
いまこの島では中学生が夢語りをするステージが用意されている。そのことが、教育施策として、推進されてもいた。島では、夢を語りにくいのが今のご時世。島に生まれたということだけで、あきらめなければならないことがたくさんある、というのが島に生まれたゼミ生イトウくんの嘆きでもある。
その夢語りの場で、子どもたちの半分は福祉職を夢としてかかげるらしい。地元に帰ってくる可能性が高いからだろうか。また意欲的なとりくみで有名な高校では、キャリア教育にも力が入れられていて、次々とビックネームがよばれている。わが大学のオカザキ先生経由で、バングラディシュのユヌスさんのメッセージまでとどけられていたのはびっくりした。
でも、とくに地の人々からすると、なにか違和感がある、ということらしい。たしかに「夢」って、内側からうかびあがってくるもので、語らなければならないものじゃない。そのとりくみが注目され、大人のまなざしが集まるほどに、もしかしたら自然体をこえて、大人の期待する何かをつくりはじめなければならなくなってしまうかもしれない。「オレなんて、中学高校のころはふらふらしていたよ。それじゃいけないのか?」という声もあった。そうだよなあ。
うーむ。教育ってほんとむずかしい。「思い」を教育することができるのだろうか。
ちなみに「夢」に近いので言えば、昔そういえば、まちづくりやる若い仲間たちと「ほらふき大会」はよくしていたな。うん、「ほら」のほうが、なんだか健康的なのでは?できるかどうかわからない。半分本気だけどかなり、ほら。でも、いっちゃえ。でもそれを大声でいって、それを笑ってしっかり聞いてくれる仲間や関係があって。そういう信頼関係の下地こそが、大事なことなのかもしれない。夢を語る子どもたちは、私の夢を聞いてくれてありがとう、と思っているのかな。聞いた大人たちは、その夢を語ってくれてありがとう、と思っているのかな。そういう意味では、子どもたちの夢は、子どもと大人がともにつくっていくものなのかもしれない。それを外からうかがい知るのはなかなか難しいことだよな、とも思う。
いまこの島では中学生が夢語りをするステージが用意されている。そのことが、教育施策として、推進されてもいた。島では、夢を語りにくいのが今のご時世。島に生まれたということだけで、あきらめなければならないことがたくさんある、というのが島に生まれたゼミ生イトウくんの嘆きでもある。
その夢語りの場で、子どもたちの半分は福祉職を夢としてかかげるらしい。地元に帰ってくる可能性が高いからだろうか。また意欲的なとりくみで有名な高校では、キャリア教育にも力が入れられていて、次々とビックネームがよばれている。わが大学のオカザキ先生経由で、バングラディシュのユヌスさんのメッセージまでとどけられていたのはびっくりした。
でも、とくに地の人々からすると、なにか違和感がある、ということらしい。たしかに「夢」って、内側からうかびあがってくるもので、語らなければならないものじゃない。そのとりくみが注目され、大人のまなざしが集まるほどに、もしかしたら自然体をこえて、大人の期待する何かをつくりはじめなければならなくなってしまうかもしれない。「オレなんて、中学高校のころはふらふらしていたよ。それじゃいけないのか?」という声もあった。そうだよなあ。
うーむ。教育ってほんとむずかしい。「思い」を教育することができるのだろうか。
ちなみに「夢」に近いので言えば、昔そういえば、まちづくりやる若い仲間たちと「ほらふき大会」はよくしていたな。うん、「ほら」のほうが、なんだか健康的なのでは?できるかどうかわからない。半分本気だけどかなり、ほら。でも、いっちゃえ。でもそれを大声でいって、それを笑ってしっかり聞いてくれる仲間や関係があって。そういう信頼関係の下地こそが、大事なことなのかもしれない。夢を語る子どもたちは、私の夢を聞いてくれてありがとう、と思っているのかな。聞いた大人たちは、その夢を語ってくれてありがとう、と思っているのかな。そういう意味では、子どもたちの夢は、子どもと大人がともにつくっていくものなのかもしれない。それを外からうかがい知るのはなかなか難しいことだよな、とも思う。