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人に自然に耳を傾けながら、まちを歩こう。

共食の日

2012-11-17 01:13:44 | 今日のまちあるき
 「共食」って知ってる?おもしろいのよ! -と、糸島市図書館サービス検討委員会でご一緒している方に聞かれたことがあった。聞くと、普通のお宅にて普通の食事を共に食べる。お礼はワンコイン。必ずつてでかかわってくるけれど、知っている人も知らない人もいる。そんなラフでちょっと刺激的な場。とても興味深くて、ぜひ伺いたいと思っていた。ちょうど糸家というコミュニティハウスを運営している福井くんが最近がっつりかかわっているというので、紹介してもらって、お邪魔することに。

 19時すぎ、お宅に到着。木の香りのするようなシンプルで美しいおうち(賃貸と聞いてかなりびっくり)家にあげていただいて、まずは自己紹介。料理をつくってくださるカネコご夫妻ももちろん、自己紹介の一員だ。「ここはお店じゃないからおかまいはしませんよ」「僕のうちの夕飯をちょっと多めにつくって一緒に食べる感覚で」と主旨?説明。で、今日の料理をゆっくりならべてくださって、一品一品素材も含め紹介してくださった。野菜の多くは「共食」をいいだしたムラカミさん家の自然農でとれたもの。そこにカネコさんはじめ、ここでご一緒する方々も手伝いにいったりしているらしい。新米のなんて美しいこと。イノシシ肉のつみれ風や、しんじょう風の小鉢やら、たしかに家庭料理風だけど、だけどそれを一歩二歩つきぬけた、おいしい食事だった。

 お話が興味ふかかったなあ。というか、集まっている人たちは、糸島だからか、共食だからか、自分のやりたいことにしっかり向き合っている芯の通った人が多く、だからかはなしているとどんどん背後の世界がひろがっていく。演劇が好きで演劇をつかった場づくりをすすめている人、この場に刺激を受けて自分も料理でプロになって、共食の場をつくりたい、という一人暮らしの若者。自然農のご主人と、その独立に刺激を受けて暮らし服づくりのプロとして独立した方…。そうした方々が家族のようにつながりを深めていくごとに、相互の世界を助けたり見守ったりという関係も生まれていく。

 これはなんなのだろう。「一緒にごはんを食べる食卓」に象徴される何かを、私たちは一貫して失い続けてきた。そのパーツを失っても、私たちは生きていくことはできる。でもそこにはワクワクする思いも、発見もなくて。「家族のような」「親戚のような」つながりがうまれていくごとに、互いに自然農を手伝ったり、服の展示会にうかがったり、ひとりひとりの世界が意図せずして大きく広がる。共食は、「食事」だけでなく、一人ひとりが世界をおのずから広げていく、安心感の大事な基盤を提供しているのかもしれないと思った。