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「あなたと過ごした時間、幸せでした」

2006-03-04 11:05:40 | 学びの場
 おひなさまの日の夜、1年のアサミさん・マリさんと一緒に、浦和商業高校定時制の卒業式に出向いた。1年生向けの授業でお世話になった平野先生のクラスの生徒さんたちが卒業を迎える。去年の経験で4時間はかかると覚悟し、腹ごしらえしていざ高校へ。

 募集停止後はじめての卒業式。送り出す側が2学年に減り、寂しさはあるが、卒業式は去年同様まさに「ノックダウン」されるものだった。今年の主役入場シーンは、スクリーンに映し出される名前と紹介をバックに、マントと仮面に身を包んだ卒業生たちが、壇上にのぼって顔をあらわす。「ひとりひとりに光をあてる」これは長い長い卒業式に一貫した姿勢だ。去年はじめて卒業式に参列した私は、この登場シーンでもうだめだった。学校が社会が、この子たちの存在を消そうとしたこともあったかもしれない。だけど、だからこそ、ひとりひとりが主人公。その場を在校生たちが実行委員会のもとに懸命にかたちづくり、教師や親たちも加わって思いをくばり、社会へ送り出そうとしていた。それがここの卒業式だ。

 4年で卒業する子も、7年かかった子も、そして10年かけてとうとう卒業できなかった子もいた。ことし一番の驚きは、ひとしきり卒業証書授与と涙なしでは聞けない「担任からのメッセージ」のあと、その10年かかって時間切れで卒業できなかった子への「退学証明書授与」が行われたことだった。すっと一人の女の子が壇上にあがり、担任の平野先生が「よくきてくれたね」と声をかけた。他の卒業生全員に担任が時間をかけてメッセージをおくったように、その子にも、彼女がどうやって入学し、どう時間を過ごし働き、仲間たちのためにどう心をつくしたかが語られる。しばらくは沖縄に住んで去年の秋の修学旅行では現地の人たちと旅行生たちのつなぎを懸命に行ったという。丁寧に語られる彼女の10年。でも、時間がきてしまった。卒業か退学かではなく、彼女がこの高校で過ごした10年間のかけがえのなさ、なにより彼女が確かにそこにいたということを証明する「退学証明書」だったのだ。
 平野先生のメッセージはすべて、「あなたと過ごした時間、幸せでした」で結ばれていた。未熟だった自分に何が見えていなくて、何がその後みえたのか。その子が教師である自分に何を教えてくれたのか。入学式で父兄に「何があっても私は生徒の味方です」と断言し「花」をうたった平野先生は、この4年間、思い切り生徒にぶつかり、ときにつきはなされながら、いかに生徒のそばにいるかを模索し続けてきた。それがよくわかる「メッセージ」でもあった。ここまでプロセスのなかでうけとめ「観て」もらえる生徒は、なんと幸せなことか。それは、長いメッセージをおくられた生徒たちの「顔」によくあらわれていた。照れていたり、そっけなかったり、泣き崩れたり。でもなんとキラキラと幸せそうだったことだろう。

 卒業式でみえるのはまた、そんな教師が、ひとりではないということだ。教員企画をはじめ、卒業生にメッセージをおくる他の教師たち。親たちのおくる唄もあった。転任で他の学校に行った教師がかけつけて壇上にてパフォーマンスとメッセージを送った。沖縄修学旅行で現地キーパーソンだった方がスペシャルゲストでわざわざ沖縄からかけつけた。学校を離れた給食のおばさんが何人も「仕事でいけなくてごめんなさい」と祝電をおくってきた。…こんなにたくさんの「先生たち」に囲まれて、彼らは卒業を迎えていた。
 在校生企画、卒業生企画、ゲストの飛び入り、ひとりひとりへの実行委員会からの記念品授与…。すべてがおわって時計をみるとなんと夜11時、開始後すでに5時間をすぎていた。マリさんは終電をのがして友達の家に泊まることになった。5時間にわたる「思いの交換」をしっかりと参列席からうけとめた私も、重労働あとのようなずっしりとした、しかし心地よい疲労感を携えて家に帰った。

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