ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

モンゴル隊員 踊る

2012年01月24日 05時29分09秒 | 青年海外協力隊たちの活動

モンゴルから同期の隊員仲間がやってきた。
韓国で乗り換え、飛行機で9時間。
さらにバスで長い時間をかけて。
-27℃の世界から、23℃のタイへ。
気温差 50℃。
     





一人は保健師、一人は幼児教育の2人。
私の配属先第9特別教育センターにぜひ来たいと言って
遠路はるばる来てくれたありがたい友達。
それならば、ぜひ何かやってもらえないかお願いしたら、
モンゴルのダンスを見せようと、衣装も音楽も準備してきてくれた。


朝の集会で、モンゴルのダンスを披露。
前々から友達がモンゴルから来ること、モンゴルの踊りを見せてくれることを
伝えていたため、楽しみにしてくれている人もいた。

上半身はモンゴルの民族衣装のハンターズ、その下には日本のTシャツ、
下半身はタイシルクの伝統衣装のスカートをはいて、
インターナショナルファミリーな格好で、モンゴルの踊りを踊る。
     


タイの手先までも優雅なラムタイと違い、ゆるやかで激しい緩急のある踊り。
激しい寒さと暑さの二極性のモンゴルの気候、そして
そこで培われたモンゴルの人々の気性を表しているように感じる。
タイの人たちも釘付け。
     


もともと受け入れ体勢のよいタイの人々ではあるけれど、
ハンターズというモンゴルの衣装の美しさは、
美しいものを愛するタイの人たちのセンスにぴったりきたよう。
     


子どもたちは人なつこく笑う。
     






自閉症クラスにも入る。
見学者には慣れているセンターの先生達だけど、それでも
普段よりも気合いが入っているのが分かる。
     


幼児教育の隊員が「ミッキーマウスダンス」を踊るという活動をやってくれた。
音楽に合わせて子どもも大人も、2人の真似をして踊る。
これが、大うけ。
音楽はコミカルで楽しく、踊りが好きな人たちでもあり、
笑いながら、はしゃぎながら、熱気むんむんのダンスに。
     


ハンターズのきらきら光る衣装が気に入ったのか、
ダンス中の2人に近づいてにこにこと見つめる子。
     


途中「ギャッギャッギャ」という音楽になるとみんな大うけ。
その音が気になって音楽元を確かめに来る子。
     


わあわあ騒ぎながら、それぞれが楽しんだ時間。
言葉も全く通じないモンゴル隊員たちが、
言葉を媒介せずとも、歩み寄ろうとする気持ちと音楽で
ともに楽しみを共有できるのだと見せてくれた。




「ああー、楽しかった-。」
と口々にいいながら、ふうふう息を切らして休憩するお母さんたち。
誰かが気づく。
「あれ、そういえば、クーサーイはラムタイ(タイダンス)は踊れないの?」
「モンゴルに行ってた友達がモンゴルダンスを踊れるようになってるなら
 クーサーイはラムタイが踊れなきゃでしょ!」
鋭く突っ込みだした。
そこでにわかのラムタイ教室。
「こうやって、こうやって、指をそらして、もう一方の手は反対にして。」
「こう?こうかな?」
     

手ほどきを受けていたけれど、「きー! 指がつっちゃう!」
     

つりそうな指にひいひい言いながらやっていると
お母さんたちが大うけ。
今日は大うけまくり。
     


配属先のセンター内を見学しても、先生達の授業の様子を見ても、
設備の充実ぶり、先生達の自信たっぷりの堂々たるところ、
子どもたちを一人一人見た授業が成り立っているところに
驚き、感心しきりのモンゴル隊員たち。
     










3日をコンケンで過ごし、朝は2日ともサイバーツ(喜捨)をした。
私にもハンターズを作ってきてくれて大感激。
ハンターズはオーダーメイドで作るのだそうだ。
上はモンゴル衣装、下はタイ衣装、
そして、あいさつはワーイ(タイのあいさつ、合掌)。
      


このインターナショナルないでたちで、
朝日が昇るころに、僧侶がやってくるのを待つ。
     


タイは95%が仏教徒。それも大変敬虔な仏教徒が多数。
モンゴルも仏教が多く、チベット仏教を信仰しているという。
2人と一緒に、いつものナムプリック屋の前でサイバーツする。
    

    

  


僧侶もびっくりしたことだろう。
僧侶は笑ってはいけない、怒ってもいけない。
ただ「いる」だけなのだという。
心なしか、いつも見せない笑顔、いや、びっくりした笑いが見えるような・・・。
     


浴衣で待っていたり、赤ちゃんも一緒だったり、
まあ-、この日本人はいつも変わったことばかりする、なんて思われているのかな。
      (→ 過去ブログ 「タイの家族と初詣」   「ピーマイ行事」


いつものソイローポーショーをこんな目立つ格好で歩き、
いつもの屋台の人たちのところへ行くと、
「スーワイスーワイ!」とほめてくれる。
    


ナムプリック屋さんでもそうだが、
「スカートがきれい! 選ぶのが上手!」
「今日はなんてきれいなの! すてき!」
と、とにかくほめてくれるタイの人たちに、モンゴル隊員はびっくり。

タイ料理の種類の多さとおいしさにもびっくり。
私も張り切ってあれこれ食べさせたが、2人も本当によく食べてくれた。
    


常々、食文化は日本よりも断然豊かであると思うタイ。
1年中米がとれ、あたりにはバナナの木があり、外で寝ても死ぬことはない
食糧不安も寒さの恐ろしさもない。
島国、かつ四季のある日本にはない、のんびりとした命をつなぎ方をする国。

モンゴルでは1年のうち9ヶ月が冬で、最低気温は50度にも及ぶため、
野菜が育たない。
食事は肉が中心となり、バラエティも少ないという。
協力隊の行く国のほとんどすべてがなんらか食の問題があるものだが、
それがない、とにかく何でもかんでもおいしいというタイは
やはり、特別な国だと思う。
屋台でもこれだけの数がどこにでもあるというのは特別としか言いようがない。
    


私をいつも大切にかわいがってくれるナムプリック屋のお父さんお母さんも
モンゴルから友達が来るのを楽しみにしてくれていて
心からもてなしてくれる。
イサーン料理のフルコースを作ってくれたり、ラッキーの曲芸を見せてくれたり。
    


モンゴルにはないふんだんな果物をむいて食べさせてくれる。
      



2人も一緒にけん玉をしたり、フラフープをしたり。
     


モンゴルの踊りを披露すると、お母さんが喜んで一緒に踊る。
タイ人って大人も子どももお年寄りも、
音楽がかかると踊らずにいられないほどに、みんなが踊りが好き。
お母さんもモンゴルダンスを真似して踊る、その姿がかわいい。
言葉は違っても、一緒に楽しさを共有している。
    


タイの人たちに見せようと、モンゴルの風景や人々の写真のデータも
持って来てくれた。
写真を見ながら、全く別世界の雪景色、草原の景色、食生活
ヤギの血を一滴も大地に垂らさぬよう解体する技術、
ゲルと呼ばれる移動式の家、
部屋の中を彩る美しい色彩の刺繍
その暮らしぶりに興味津々で、
「これはなに?これは?」と質問がとまらないお母さんたち。
     


2人が持って来てくれたおみやげ。
かわいいゲル(移動式の家)型の箱に入ったチョコレート。
そして、モンゴルの乾燥チーズ。
「くせがあって、匂いがきついから食べられない人もけっこういる。」
と前置きするチーズだったが、私には甘くて酸っぱいこのチーズがとても美味しいと感じた。
    


けれど、お父さんは口に入れたとたんに泣きそうになり、出してしまった。
お母さんは匂いをかいだ時点から、「私は食べられない。」と断固として拒否。
2人とも私が日本食を作っていると口にする前から「アローイ!(おいしい)」を連発すような
相手にとても気を遣う人であるにもかかわらず。
よっぽどのことであったに違いない。
もともと、チーズ文化のないタイでもあり、輪をましてこの匂いには。
     

甥っ子のジアップは、すぐに飲み下せるように水を片手にもってトライしてみるものの
口に入れるとやっぱりダメ。
飲み込めない。
     
うーん、私はおいしいと思うのだけど、2人は
「モンゴル隊員でも食べられない人がけっこういる。」
と言うくらいだからくせが強いものなのだろう。
お母さんが
「さちえは食べられるの? さちえは嫌いな物が全然ない!」とびっくりして言う。
私はいい意味で、敏感じゃないのかもしれない。


モンゴルのミルクティーという塩味のきいたミルクティーもおいしくいただく。
お母さんたちは、チョコレートならば
「アロイアロイ」とやっと口にすることができた。
世界中、チョコレートならば多少の味の違いはあっても、大きく外すことがないなと思う。
どの国でもチョコレートの土産があるのは、大きく外さないからか。
     



乾季で涼しいとはいえ、モンゴルと比べれば気温差は50度。
暑さに参っていたモンゴル隊員だけど、タイの美味しい食べものには
好奇心旺盛、食欲旺盛で、モリモリと食べてくれ、
そのためか暑くてもなんとかバテずにすんでいた。


ソンテウを初めて自分たちで止めて、身振り手振りで支払いもする。
優しいタイ人たちから見守られながら。
     


モンゴルにもこういう乗り物はあるの?ときいたら
「あるわけないじゃない!死んでしまう!」
たしかにそうだ。
時には気温マイナス50度にも達する寒さがあるのだから。
ついつい、自分のいる世界が基準となり、それが全世界のような気持ちに
なってしまっていると気づいた。
    


コミュニケーション上手な友達は、すっかり近所の人からも気に入られ、
近くの商店のおじちゃんは、友達の写真をこんな風に加工して
たくさんたくさんプレゼントしてくれた。
「おもしろいだろう? iPad。 アメリカニュース」といって嬉しそうなおじちゃん。
腹がよじれるほどに、笑った。
      



2人がタイに来て驚いたこと。
  食べ物がどれもこれもおいしいこと。
  種類がとんでもなく多くとてもじゃないが食べ尽くせないこと。
    (モンゴルでは1週間あればひととおりのメニューは出尽くしてしまう)
  人が優しいこと。
  みなが微笑むこと。 
  よくほめること。
  治安が(モンゴルに比べて)とてもよいこと。 スリに遭わないこと。
 
果物も、食べものも、残そうとせずしっかりと食べた2人。
買い物から帰ってきて、うれしそうにチューブのたまご豆腐を取り出し
「食べたかったの。」と、
チュウチュウすすっておいしそうにしているではないか。



心に残ったこと
  私の配属先センター
  ナムプリック屋のお父さん、お母さん、ジアップの見返りを求めない優しさ。


お母さんに初めて会ったのは朝のサイバーツ(喜捨)。
その時のお母さんの言葉。
「一緒にサイバーツできて嬉しい。初めて会ったけど、一緒にサイバーツしたから
 また必ず会えるのよ。」
こんなことがさらりと言えてしまうお母さんの人間性、心のあり方に
友達は驚き、感動したのだという。
    

敬虔な仏教徒であり、微笑みの国の人々であり、優しいタイ人たち。
確かにそうなのだが、それは大まかなイメージであって、人それぞれの個性も性格もある。
ナムプリック屋のお父さんやお母さんたちのように優しくて、
思いやりがあるのが当たり前のタイ人というわけではなく、特別な人たちだと思う。
       


お母さんたちを見ていても、近所の人たちを見ていても
そのお母さんたちに踊りや写真を見せ、
身振り手振りとカタコトの英語で接するモンゴル隊員を見ていてもまた思うことがある。
言語が違っても、近づきたい知り合いたいという気持ち次第でどんなにだって近づけるし
反対にその気持ちがないもの同士は、最初から相手をシャットアウトした状態で、
それ以上近づくことも知ることも、楽しさを共有しあうこともできない
異世界のもの同士で終わってしまう。
まったく距離は遠いままなのだと。


人と人との距離は、
その人が今いる場所によるものでも、言語の隔たりによるものでもない。


相手に向ける関心や、思いの強さ次第で、
場所や言語は大きな意味を持たなくなる。
     


タイはすごい、タイ人はすごい、タイってすばらしいと言ってくれたモンゴル隊員は、
タイも好きになったけど、やっぱり
自分の暮らすモンゴルを恋しく思い、この旅でより考え、より好きになったのではないかと思う。
離れてみて分かることや、比べてみてわかること、痛感することがある。



私も、モンゴル隊員からは刺激をもらった。
タイでの当たり前と思っていたタイ人の優しさや、この近辺の治安にしても
食事にしても、全て当たり前のように思うようになっていた自分にもハッとした。


モンゴル隊員が帰ったあと、私の部屋にこっそり置かれていた一通の絵はがき。
そこには、お礼の言葉と一緒にこう書かれていた。
 「これまでにさっちーが関係を築きあげてきたタイの人たちと会えて
  その生活に入り込ませてもらって、嬉しかった。」


寒い国からタイにやってきて、私の任地にも来てくれた友達。
2010年4月、派遣前訓練をうけるために福島の二本松訓練所に入り
2ヶ月間をともに過ごした。
7月にそれぞれが任国に旅立ち、もう1年7ヶ月が過ぎた。
仲間みんなそれぞれに、いろんな出会いがあり喜びがあり苦しみがあり、
実りがあった時間。



ふりかえると、私のタイ生活。
家族、隊員仲間、同僚、たくさんの人たちが私の任地コンケンにも来てくれたが、 
彼女たちが私のタイでの生活、最後の訪問者になるだろうと思う。


現職参加の私の任期は1年9ヶ月。
一般の隊員よりも3ヶ月短く、一足先に日本に帰る。
彼女たちがいる間に、私もモンゴルに、彼女たちの暮らす任地に
日本から恩返ししに行けたらと思う。
     


私も、彼女たちの生活に入って 彼女たちの見るものを見てみたい。
    

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