ソムタム学級通信 ★さちえのタイ生活★

2010年6月より青年海外協力隊、養護隊員としてタイへ。バンコクより北へ450キロ東北部のコンケンで日々試行錯誤の記録。

可能性と希望の続く道

2012年03月23日 03時50分08秒 | 青年海外協力隊たちの活動
                    この記事は写真・映像掲載者本人の了承済みです






タイのお母さんから電話がかかる。
「元気にしているの?家には着いたのね、日本は寒い?
 お母さんとお父さんはタイで日本の娘を思っているからね。
 この間電話したときに出た人はさちえのお母さん?」

東京で帰国プログラム中、タイ語で自宅に電話がかかったと母親から聞いていた。
やっぱり、タイのお母さんだったのか。

「さちえのお母さんが言った“JICA”と“東京”の言葉がわかったのよ。
 さちえは東京でJICAの研修を受けているからまだ家に帰ってなかったのよね。
 私は日本語はわからない。
 でも、さちえのお母さんが言うことはすべてわかったのよ。 全部よ。」

いつもいつも、タイのお母さんには感動させられる。
分かりたいと思うから、相手に近づいて、心で分かったのだと思う。
単語単語が分からずにあたふたする程度の私だけど、
もっと大きく、このお母さんのようでありたいものだと思う。
     


お母さんが伝えたいことがあるという。
お母さんのナムプリックのお店に来た、コンケン大学の関係者が
自閉症の子どもたち数十名と関わっている。
私の日本人の娘が書いたと、「よく分かる自閉症」を見せると、
ぜひ使わせてほしいともらっていったということ。
詳細は電話で全て理解することができなかったけれど、大まかにこういうことなのは分かった。
それを、知らせてくれたお母さんの電話だった。


あの本がその先、どう使われていくのか。
私の手は離れて、私はいないタイで、タイ人たちの手により、どう使われていくんだろうと
考えると、可能性は全くの未知数で、分からなすぎてくらっとするような感じがある。
だけど、その可能性は あの本を作るのを途中であきらめていたら生まれなかったもの。
あの本を生み出す過程で得たものも含めてすべて、なかったもの。
あきらめて途中で引き上げてしまっていたら、なくなっていただろう可能性。


様々な立場から様々な人たちが、叱咤激励してくれたこと、
黙って見守ってくれたこと、必要な支援をしてくれたこと、理解してくれたことに
日々感謝が募っていく。
     





私の理解者の一人、マハサラカムに住むある先生から連絡が来る。  
「ウドンタニーに住む日本人の女性に本が渡りました。
 彼女のブログでそのことが書かれています。」  (→ 「さとうきび畑 IN THAILAND」

ご本人からもメールを受けとる。
「冊子を受けとりました。覚えていてくれてありがとうございます。」 

タイのためにとか、タイの子どもに関わりたいとか、そんな思いがあったけれど、
タイにいる日本人や日本人の子どものことに、目を向けていなかったと気づいた。
すぐ近くにいる日本人を助けられなくて、何が国際協力だろうと、
協力隊員になる前に学校現場で常々思っていたことを思いだした。

配属先第9特別教育センターは無料の施設であり、給食も無料、宿舎も無料で寝泊まりできるが、
保護者が付き添わなければならないし、タイ人の中に日本人の親子が入って生活をともにするのは
かなり大変なことだっただろうと想像できる。
     
今は自宅にいるその親子は、また第9特別教育センターに通うことを検討しているという。
そういうタイに住む日本人に、日本人だからこそできることがあるんじゃないかと思う。
思ったところで、もう私の協力隊生活は終わってしまったのだけど、
何か役に立てばと、日本語版の「よく分かる自閉症」を送る。



日本語版も完成した。
これをタイ事務所に送って、あとのことをお願いする。
これで私のできることも、活動もとうとう本当に終わりかなと思う。

本からうまれるものも もちろんだけれど
タイのもつ、これからの可能性を考えるとわくわくする。
そこに関われたことを幸せだと思う。


潰えることなく、未知数の可能性がタイの未来にある。

     







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