OMKSRU's monologue

なにはともあれ、生かされているうちは頑張らねばと、思いつつも・・・。

被災者になって分かったこと(神戸新聞1995年1月20日付「社説」)

2010-01-17 09:57:01 | une
New Yorkerさんから頼まれたので、UPします。

16日夜、TVで震災のドラマ、やってましたね。とても良くって、私なんかオイオイ泣いちゃいました。

それでね、あの社説。
結構長い文章だから、ドラマの中じゃあ、さわりしか紹介されて無くって、ちょっと消化不良。

「UNEちゃん、ブログに上げといてくれたまえ。YOU KNOW?」と半ば脅されて、探してきました。約束通り全文UPします。

神戸新聞さんへも、ちゃーんとお知らせしてのupですから...


▼被災者になって分かったこと(神戸新聞1995年1月20日付「社説」)震災から3日目、三木康弘論説委員長が書いた論説

 あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目後に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。
 だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。
 あの未明、ようやく二階の窓から戸外へ出てみて、傾斜した二階の下に階下が、ほぼ押し潰されているのが分かり、恐ろしさでよろめきそうになる。父親が寝ていた。いくら呼んでも返答がない。

 怯えた人々の群れが、薄明の中に影のように増える。軒並み、かしぎ、潰れている。ガスのにおいがする。
 家の裏に回る。醜悪な崩壊があるだけだ。すき間に向かって叫ぶ。
 何をどうしたらよいのか分からない。電話が身近にない。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。公的な情報が何もない。

 何キロも離れた知り合いの大工さんの家へ、走っていく。彼の家もぺっしゃんこだ。それでも駆けつけてくれる。
裏から、のこぎりとバールを使って掘り進んでくれる。彼の道具も失われ、限りがある。いつ上から崩れてくるか分からない。父の寝所とおぼしきところまで潜るが、姿がない。何度も呼ぶが返事はなかった。強烈なガスのにおいがした、これ以上無理だった。

 地区の消防分団の十名ほどのグループが救出活動を始めた。瓦礫の下から応答のある人々を、次々と救出していた。
 時間と努力のいる作業である。頼りにしたい。父のことを頼む。だが、反応のある人が優先である。日が暮れる。余震を恐れる人々が、学校の校庭や公園に、毛布をかぶってたむろする。寒くて、食べ物も水も乏しい。廃材でたき火をする。救援物資は、なかなか来ない。

 いつまで辛抱すれば、生存の不安は薄らぐのか、情報がほしい。
 翌日が明ける。近所の一家五人の遺体が、分団の人たちによって搬出される幼い三児に両親は覆いかぶさるようになって発見された。こみ上げてくる。父のことを頼む。検討してくれる。とても分団の手に負えないといわれる。市の消防局か自衛隊に頼んでくれといわれる。われわれは、消防局の命令系統で動いてくれるわけではない。気の毒だけど、という。
 東灘消防署にある救助本部に行く。生きている可能性の高い人からやっている、お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。そんな二日間だった。
 これまで被災者の気持ちが本当にわかっていなかった自分に気づく。″災害元禄″などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜さ、甘さを思い知る。

 この街が被災者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったかを、改めて思う。(了)
角川ソフィア文庫「神戸新聞の100日」

 文章のほとんどがが現在形で記述され、目の前に情景がありありと浮かんできます。また、涙。


                   New Yorkerさん、お約束は果たしましたよ。

さあ、それじゃお休みなさいっと・・・。

えっ、お前はだれ?かって、いやだぁ、ラルフ君の次に登場した雌猫ですよ。

あっ、そうか、あの時は気取ってブログ・パーツで顔見せしちゃったから・・・。

これが私の本当の姿ですから、覚えておいてくださいね、どうもごめんなさいです。

名前は、UNE(アン)です。
ご主人さまとはラルフ君よりも長く付き合いました。今は、星になっちゃいましたけど。

また、おじゃまします。はやくご主人様の夢の中に戻らないといけないので・・・。


追伸?
みんな、「テーマ」を決めてるみたいだけれど、ここでは何をしゃべっても良いんだよね?

ポルトープランス (from 17/Jan/'95 to 12/Jan/'10)

2010-01-15 21:20:41 | Report


2010年1月12日、カリブ海の小国ーハイチーで地震があった。
国連平和維持活動(PKO)の国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)の監視を受けながらの現状に有って、第一に早急な被災者の救出と、治安の維持が求められている。



ハイチ共和国(ハイチきょうわこく)、通称ハイチは、中央アメリカの西インド諸島の大アンティル諸島内のイスパニョーラ島西部に位置する共和制国家である。東にドミニカ共和国と国境を接し、カリブ海のウィンドワード海峡を隔てて北西にキューバが、ジャマイカ海峡を隔てて西にジャマイカが存在する。首都はポルトープランス。

1804年に独立したラテンアメリカ初の国家かつ、アメリカ大陸で二番目の国家であり、世界初の黒人による共和制国家でもあるが、独立以来現在まで混乱が続いている。(wikipediaより)
          
     その他ハイチについての詳しい説明は、下記サイトに譲る。
           読者には、どうぞ目を通してほしい。


    wikipedia  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%81       

(ポルトープランスで、がれきの下敷きになった被害者を救出する住民ら)

日本のジャーナルも速報から現状へと伝えてはいるが、政治むきの話題の方が喧しく、詳しい情報にかけている風に見受けられる。

今速報で、議員が逮捕されたとのこと。18日過ぎると「不逮捕特権」がネックになるからだろう。この話は別の機会に、今回は地震。

リンクできるいくつかのサイトを示す。ごらんください。

    New York Timeshttp://global.nytimes.com/

    CNNhttp://www.cnn.com/video/

    Roiterhttp://jp.reuters.com/news/video?videoChannel=200&videoId=27387572


実を言うと、この回は1995年1月17日の話を予定していた。
予期せぬ事態が、いや不幸が、偶然出現し、多少戸惑っている。
情報は、読者もご存じの事が多々有るだろうけれど、今私が伝えたい事に絞って書くことにする。


日刊紙各紙(朝日、毎日、その他)の報道やweb上各サイトの情報は、まだ錯綜しているところだが、
今日(1月15日)の読売新聞によると、今回の地震と'95「阪神淡路大震災」は、学術的にも酷似しているらしい。記事を「まま」引く。

*** 
 ハイチ大地震、規模・仕組み「阪神」に酷似
 中米ハイチを襲った地震は、発生の仕組みや規模、地理的状況などが、1995年1月の阪神大震災とそっくりだった。
 米地質調査所(USGS)の速報値などから、日本国内の専門家らが指摘している。
 どちらの地震も、断層の岩盤が左右にずれる「横ずれ型」で、ずれた断層面の長さは約40キロ・メートル。地震のエネルギーを示すモーメントマグニチュード(Mw)は、ハイチが7・0、阪神大震災が6・9。震源の深さも、ハイチが13キロ・メートル、阪神が約15キロと、ほぼ同じだった。

 八木勇治・筑波大准教授は、「ハイチの地震波からは、激しい揺れが約15秒間にわたって続いたことが読み取れる」と指摘。「近くに大都市があると、悲劇的な破壊をもたらすタイプの地震。首都が断層のすぐ近くにあったことで、大きな被害につながった」と話す。

 一方、USGSとは別に地震波を解析した名古屋大地震火山・防災研究センターの山中佳子・准教授によると、今回の地震では、長さ30キロ・メートル、幅15キロ・メートルに及ぶ断層面が約10秒かけて最大3・8メートルずれた。震源の深さは約9キロ・メートルで、Mw7・1と計算された。
 Mwが0・1増えると、地震のエネルギーは約1・4倍になるため、ハイチの地震は阪神大震災に比べ、1・4~2倍程度、エネルギーが大きかったとみられる。
 阪神大震災の時と同様、今回活動した断層も、大地震を引き起こす可能性がかねて指摘されていた。

 八木准教授は「適切な対策が行われていれば、犠牲者を減らすことができたのではないか」と話している。
                                                   (2010年1月15日07時08分 読売新聞)
                                                                        ***

この災害の学術的、科学的、解明は、時間の経過に任せる他無いが、生命の救済と、社会の安定とは、待った無しに行われねばならぬ。

世界各国は、救援策を打ち出した。

<ハイチ大地震>各国が支援表明 救援活動始まる
1月14日21時40分配信 毎日新聞

 ハイチに対し、国際機関や各国政府は14日までに相次いで緊急支援を表明した。主な支援額は米国と世界銀行がそれぞれ1億ドル(約92億円)、国連1000万ドル、オーストラリア930万ドルなど。

 ハイチの首都ポルトープランスには14日、中国の救助隊60人や支援物資を積んだ米空軍輸送機が到着、外国からの救援活動も始まった。米国は陸軍空挺(くうてい)部隊最大3500人や海兵隊2000人、空母、病院船を派遣する。

 オバマ米大統領は14日、ホワイトハウスで会見し、「米国の軍事力や外交の総力を挙げてハイチを支援する」と述べ、長期的な支援をする方針を示した。ロイター通信によると、米政府は医療関係者1万2000人をハイチ派遣に向けて待機させているという。
                                                 【ニューヨーク小倉孝保、ヒマニ庭田学】

ニュースに有るように、
 米国は「隣人として」と「隣人であるが故に」との大きくは二つの理由で即座に行動を起こしている。
この時期に、不遜ではあるが敢えて記すと、
米国にとっての最悪のシナリオは、ハイチからの「難民」の流出と、その流入であろう。カリブの海に出張った空母のミッシヨンにおける「First Priority」は?と、少々勘ぐってしまう。

中国の素早い行動は、既に国交の樹立している台湾をにらんでの、自国の存在感のアピールと、将来的な外交関係樹立に向けた「地震外交」を推進する狙いとみられる。

 新華社電などによると、国際救援隊50人は現地時間14日未明に、救助機材と救援物資約20トン、救助犬3頭を伴ってハイチに到着。工兵チームが直ちにPKO隊員の捜索を行うとともに、医療チームも臨時病院を設置し、ハイチ住民への診察治療に当たっている。無事だった中国のPKO隊員も救援活動に加わったという。(毎日新聞)

日本は、14日時点で、500万ドルの無償供与を決めたが、15日に成ってやっと、人的援助の(医師団)決定に至った。NGO活動団体の方が、はるかに対処が早かった。

広義には、「天災」は防ぐべくもない。しかし、狭義には『防ぐ事の出来た「天災」』があろう。
だが、今はまだそれは語らず、被災者の無事と、ハイチの救済を、ただひたすら祈ろう。

この先、「天災」が「人災」として紙面を賑やわすだろう。既に、建物の瓦礫の山に、その兆候を指摘する声が多々ある。その時私たちは、再度熟考し、声をあげよう。


                       

ブログトップの、ポルトープランスの写真とそっくりである。上の写真は、1995年1月17日の神戸である。

  1995年(平成7年)1月17日火曜日午前5時46分、兵庫県南部地震によって「阪神・淡路大震災」は発生した。 

死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名
避難人数 : 30万名以上
住家被害 : 全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟
火災被害 : 住家全焼6,148棟、全焼損(非住家・住家共)合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯
その他被害 : 道路10,069箇所、橋梁320箇所、河川430箇所、崖崩れ378箇所
被害総額 : 約10兆円規模
以上が、2010年現在の公式な発表。

15年たった今でも、震災の傷跡は、其処此処に、寧ろ外形に表れないところに残る。
心の癒しは、被災者たちには、訪れがたいやもしれぬ。
しかし、彼らの忍耐強い頑張りと、その精神力とは必ずや、他人の人生をも含めて、被災者個々の血となり受け継がれるはずだ。

2010年1月17日午前5時46分、日本のあちこちで鐘が鳴るだろう。
読者は、観光として定着した、ルミナリエのある、東遊園地公園に鐘があるのをご存じだろうか?

      東遊園地公園の鐘http://www.youtube.com/watch?v=I0f2Rwjx8Dw

澄んだ大気を震わせて響く鐘の音に乗せて、静かに、穏やかに、哀悼と感謝の黙祷を捧げたい。


最後に一通のコメントを紹介して、この回を終えよう。あの日、日本では、全ての人が被災者であったという事を心に刻みながら・・・。


***
   2010-1
    1月17日が近付くと、15年経った今でも胸が騒ぎます。

遠く九州の地で震災を知り、すぐに神戸の弟と友人達へと電話を入れたのですが、通じるわけもなく(そんな当たり前の事に気付かぬ程動揺していたのです)後ろ髪引かれる思いで出勤した事が、ありありと蘇えります。
その後、被災者達からの連絡があるまでの何日か何時間か、私自身と私の家族とは、心情としての被災者でした。現地のあわただしさは、彼らの生活の変化と、行動とにより、遅ればせながら、ほんの少しではありますが理解しましたが。

友人は、全壊した西宮の借家を引き払い九州に戻り、当時高校球児だった彼の息子は、今では元気に長唄を教えています。時は留まる事がありません。○○さん達もご無事で何よりでした。
15年目の冬がまたやってきます。どうぞ健やかにお過ごしください。
                                        ***


・・・お詫び・・・

  この回のブログ記事は、1月16日の夜にUPするつもりで、下書き草稿として保存してあった積りでしたが、操作を誤り、15日に中途半端な形で公開に成っていました。訪問して下さった読者の方々にお詫び申し上げます。
今後注意致します。どうぞ、ご容赦のほど。


***
1月16日(土)14:00現在、ハイチの地震による被災死者は、15万人に上るであろうとの速報が伝えられた。


わたしの屍体は立棺のなかにおさめて直立させよ !

2010-01-14 03:48:04 | Joan
僕は、Joan。

自己紹介。

処女だったから、魔女ではない。
声を聞いてから、男として過ごし、色々あって女に戻された。

そして、閉ざされた場所で、女で在った事で、処女で無くなった。
恥辱に耐えかねて、再び男に戻ると、灰になった。

こんな人生でした。


写真は持ち合わせないから、誰かが描いてくれた絵を借用した。
一般的には、皆が良く知ってくれている絵画が有るんだけれど、それは乳房を晒していて、少し恥ずかしい。

日本の歌姫が、コスプレしてくれた、
 この姿が、僕としては一番気に入っている。

      これからは、この姿を想像してほしい。

次に、僕にとって一番大事な、僕の声。そう、それは・・・ アニメの例えば・・・

       例えば、「もののけ姫」のヒロインの声{サン(石田ゆり子さんかな)}が良い。

       これから先、僕が出現したときには、どうぞこのイメージで付き合って下さい。


このブログを借りて、僕は「正義」を語ろうと思う。
今、日本を見下ろせる座標に久しぶりに位置して、何十年か前同じ位置にいた時に比べて、日本には「正義」の気概が薄れているように見える。

もちろん、僕の行動も人生も、「正義」とは程遠い、「抗争」と其々の立場における「大義」とが渦巻くものだった。

救うべき魂の指針の在り様も、「正統」と「異端」との対極が、メルクマークとして其処此処に張り付けられていた。

大そうな事を言える立場で無いのは百も承知だけれど、長く世界を見てきた者の責任として、敢えて
               
                    『檄!!』

                         を飛ばそうと思う。

この先、「革命」せよ、とは言わないにしても、気概を持って「正義」を為す、昔の日本に戻れるように、
あのころ読んだ在る詩人の詩の一部を引っ張ってきて、表題にした。  

   
         田村隆一詩集 『四千の日と夜』より 『立棺』


            『立棺』
http://hp.kutikomi.net/meigennshuu/?n=page12                      

                 さあ、楽しいお説教の始まりです。


                                           

H君

2010-01-12 17:25:37 | 飼い人の友達
 飼い人が外出したのでPCを使う。
今日は睡眠不足も甚だしい。
ここのところ毎晩、チープスリルが聞こえていたけれど、昨夜は、なんたらチューブでだみ声のこのおばさんが、メルセデスを買ってくれと神様に向かって大声で叫んでいた。


a href="http://www.youtube.com/watch?v=C-GFqhCq2HA">Janis Joplin - Mercedes Benz

安眠妨害だ、まったく。

これまでの経験から推し量ると、我飼い人は、気分の滅入った時に、自分自身を鼓舞する目的で、このおばさんの歌を聴く。
今度は何があったのかしらん。

昔、酒に酔った飼い人が、このおばさんのレコードについて語っていた事がある。本人は忘れてしまっているかも知れないが、私は良く覚えているので、ここに書いてしまおう。
ご心配なく、飼い人は犬語を理解しない。だからして、ここに書いても、彼には読めやしないのだから。


H 君

1970年、大学受験に失敗して、我飼い人は地元で浪人生活に入っていた。
この年の秋口、彼の親友から一通の長い手紙が届いた。
親友、小中高と同じ学校に通い、近所に住んでいたこの男も同様の一浪の身なのだが、この友人は(この先H君と呼ぶ)
はるか遠く東京の地で、上野の油を目指して勉強?していた、・・・筈だった。
高校三年の二学期を終えるとすぐに東京に昇り、そのまま卒業式にも帰らずに、木炭と食パンと羽根毛とを振りかざし、狂気の日々を過ごしていると誰もが疑わなかった。

H君は恋をした。
美しい言葉で書こう、H君は大人の恋をした。(吉田拓郎 / 青春の詩)青春の詩 吉田拓郎 歌詞情報 - goo 音楽そのものだった。
そして悪い事に初めての恋が、「大人の恋」だった。

長い手紙にはこうあった。

「この一年、女神(これは原文どうり)と過ごしてきた。めくるめく幸福感に包まれ、なぜもっと早く東京に来なかったのかと悔やまれた。冬の寒さも夏の暑さも、僕らには何者でもなかった。ラスト・タンゴ・イン・パリのように二人でお互いの存在を確かめあった。

(中略)-長々とのろけ話が続くのでー
    ー二十枚程の手紙の最後の一枚にー 

三日前、彼女がアパートを出て行った。理由は分からない。何故なのか、どうして。理由が知れず、頭は混乱して身体は震え続けている。もう一日も耐えられない。Sよ、世話になった。この手紙を投かんしたら、ウイスキーを飲んで、何か好きな曲を聞きながらホースをくわえることにした。悪いな、それでは。」

消印は二日前、速達だった。
飼い人は、東京在住の口の堅いもう一人の友人にすぐさま連絡を取り、彼自身も何とか金を工面して、東京へ向かった。彼の家族は、彼がどこに行ったのか知らなかったそうだ。
電話連絡は取れなかった。東京の友人がアパートを訪ねても、応答はなかった。人の気配も無かったという。

八重洲口で待ち合わせ、中央線に乗り換えて高円寺へと向かう。南口から商店街を抜け、歩いて十分位の所に、H君のアパートはあった。案の定返事はない。大家を探そうか、どうしようかと近くの喫茶店で思案し、一時間ほどして再度階段を上ってみると、二階中に響き渡るジャニス・ジョプリンの叫びが聞こえたそうだ。

そのときのジョプリンがこれ。「チープ・スリル」



H君は、郵便局からの帰り道、秋晴れの日差しに包まれた時、身体の中にふわふわとした癒しの啓示を感じたのだという。

結局、思い悩むよりも、大事は自ずと小事へと漸近する。

今となっては酒の肴の笑い話ではあるが、青春そのものの清々しくも切ない思い出である、との事。

それ以来「チープ・スリル」は彼らの癒しの定番となったらしい。
しかしその寿命も、一年足らずだった。

1972年、ジョプリンの遺作となる「パール」の出現とともに、その座は取って代わられた。

           

 最終的に、 二人の出した結論は、「こっち(パール)のほうが、なんかカッコいい、元気もでそうだし・・・」だったという。

このようにして彼らの間で抗鬱用には「パール」だ、というコンセンサスが成立したという。

微笑ましいというか、アホラシイというか、何ともはやなお話である。でも、若いとは良いなぁ、飼い人もH君も追憶の中にあの瞬間を惜しんでいる事だろう。

という事で、
今回はH君の話。次回は、そうJ君の話をしようか。

お楽しみに。

ところで、「チープ・スリル」にも「パール」にも(MOVE OVER)は入っていないよね?僕はあれが一番好きなんだけれど・・・。

        
           

greeting

2010-01-11 23:39:51 | Report
Hi Guys,

I wish you and your loved ones a very happy and musical 2010!

2010 will be a busy year for Jazzguitar.be, I have lots of new
ideas in the pipeline. 2009 was a bit of a slow year for the
website because I had other things to do, like remodeling my
house and office, which is nearly finished.

2009 has been good to the forum though, thanks to you and the
other members.

That's all for now, you'll hear from me soon...

Best Wishes,


とまあ、別のサイトでの挨拶を流用したところで、ここからは日本語で。

僕が管理人のs23k16です。何人かのomksruのうちの一人ですが。
このブログで独り言ちてくれるメンバーはまだまだ沢山居るのですが、管理人としても、ご挨拶をしない訳にはいかん、との思いで書きこんでいる次第です。
ただ、僕は日本語でしゃべると話が長くなる傾向にあって、仲間内からは少々敬遠されているみたいですが、何とか肝に銘じてそこのところ、気を付けようとこの正月誓ったところであります。
どうぞお見知りおきを。

さて、基本的に僕の順番では主に、音楽の事を独り言ちる事になります。それしかないから・・・。
しかし今日は、pre-settion という事で、昨年の事を語りたいと思います。音楽とはあまり関係が無いけれど、悪しからず。「物言わぬは腹膨るる業なり」との言い伝えもありますし。

昨年は、多くの友人や、一方的に憧れていたり尊敬していたりした人々が鬼籍入りした。
○○さんや△△さんと書いても、読者は興味がないだろうから、皆の良く知っている人の事。


緒形拳。



『白野ー』、女子大の小さな箱での公演だったが、チケットがとれなかった。とても残念。昨年NHKの追悼番組でやっと観れた。普通の一人芝居だけれど(歌舞伎ではないのだけれど)最後の台詞に、大向こうから掛け声がかかった。

「~それは男の、心意気ー。」
「緒形ッ。」
新国劇は、良く知らないのだけれど、島田正吾の時も掛け声はあったのかしらん。



『ゴドー』、写真の共演者は、串田和美。調べればわかるけれど、めんどくさいので、確か2003年か04年。とてもよかった。

個人的には、『復讐するはー』のギラギラした彼が一番好きかもしれないが。
ご冥福を祈る。


筑紫哲也。



写真は左から
「こちらデスク」の頃、「週刊金曜日」創刊準備のころか?、そして晩年。
 
生前二度ほどお会いした。
1992年夏、
「週刊金曜日」の創刊準備九州地区の幹事会。
読者及び九州地区拡販員代表の一人(創刊前の読者とはおかしな話だが)として、初代編集長・発行人の和多田進氏と共に訪れた筑紫さんと、半日ほどご一緒させていただいた。
その後、「月刊金曜日」という準備号の発行までおよそ一年間、faxや手紙でのやり取りがあって、はれて創刊?された「月刊金曜日」の第二号には、僕の冗長な投稿を採用していただいた。「金曜日」の第一号の投稿として、投稿欄の最初に掲載された我が名前を見つけた時、どんなに嬉しかったことか。懐かしい。

2005年5月?(記憶違いかもしれない、もっと前かも)
 別府のビーコンプラザ。
 マイスキーをどうしても聞きたくて出張ったホールのロビーでバッタリお会いした。コンサート終了後、のこのこと筑紫さんの後に従い楽屋まで訪問させてもらった。狂喜乱舞。
その後、近くの居酒屋で酒とタバコを供に話が弾んだのは言うまでもない。「金曜日」の話よりも、その夜のマイスキーの話から始まり、(マイスキー)~(オペラ)~(リング)~(丸山眞男)~(1969年)~~(アンドレ・カンドレ)~(また音楽)~、止めどなく話が弾んだ。
驚いたことに、(アンドレ・カンドレ)を含めて、筑紫さんの膨大な交友の集合と貧弱な僕のその集合に、CAPしている部分があって、とうとう二人とも入店したときに買い求めたタバコが空になるまで話し込んでいた。
そうか(アンドレ・カンドレ)は「ニュース23」のエンディング・テーマ歌ってたもんなぁ。

そのようにして、月日が過ぎ、09年11月彼の死を知った。
TVを通して(こちらデスク)、雑誌を通して(朝日ジャーナル)、そしてまたTVを通して(ニュース23)、さらに(金曜日)、(たくさんの著書)(2回の面談)を通して僕は人生の指針を示す人に出会い、そして失った。

それでも、今でもこれから先も、筑紫さんは僕の心の中にいてくれるだろう。彼の死から二カ月余りすぎて今、「丸山眞男集」をまた読み始めた。ご冥福を心から祈る。

尊敬するもう一人の顕学、立花隆氏も病を得ているとのこと、世の常とはいうものの、心が寒い。

というわけで、長々とセンチメンタルな昨年の思いを綴ったけれど、これですっきりと今年の独り言へと進める気がします。お付き合いありがとうございました。

このブログで、色々な事を吐き出して、より良い明日が迎えられるようにと、祈りつつ、次回からは、楽しいレッスンをお届しましょう。

今夜はこの辺で、もうじき夜が明けますから。



昨日の続き?

2010-01-11 01:44:26 | 
昨日の独り言に、自分の顔を張り付け忘れたので、今日はちゃんと登場する事にした。芳雄ちゃんの顔を拝借するわけにいかんので。

別にどうでも良い事なんだが、これから先の事を考えると、そこはやっぱり顔を晒す方が「漢」としては潔いだろう。

とまあ、こんな顔です。名前は「礼門度」、年齢は不詳という事にして、先々正体は明かされるのだ、いや明かされるだろう、うん?明かされるかも。

実の事を言うと、写真の貼り付け方法が容易に理解できずに、昨日のような無様な事になった次第。年寄りにはキツイなぁ、このブログの使い方に慣れるまで、だれか口述筆記してくれぬものか。麗しいお嬢ちゃんであれば何の文句も無いのだが、とにかく、アウトプットすることは時間の浪費だとつくづく思う。

頭の中では色々な命題があっという間に並列処理されてゆくのに、他人に伝えるためにそれらを起こしてゆく事の何と時間のかかる事か。

真賀田四季博士程の処理能力を持ち合わせている訳ではないのだけれど、それでもいつもこんな風に思う。

であるからして、綺麗なオネエチャンが傍にいてくれなければ、僕の独り言は、続かぬやもしれません。

というわけで、僕の独り言の次回は、何時に成るかは定かに出来ない。

但し、テーマは決めておこう。犬や猫にだらだらと語られる独り言よりも、格調の高いテーマを。

   ~あ、はい。すぐ行きます。

え~っと、一寸野暮用が入った。

次回の独り言のテーマは「この独り言のテーマは?」にしよう。
なにせ、忙しい身なもので・・・。




Hard Boiled

2010-01-10 02:10:33 | 
Hard Boiledとは直訳すると、「堅茹」という意味だね。僕は「半熟」が好きなんだが。

ただし、探偵小説に出てくる主人公は[hard-boiled-guy]に限ると僕は思っている。このブログは始まったばかりでまだ先は長い?から、今日はここまでしか書かないけれど、ゆるキャラの探偵が、実は・・・という設定のシリーズ物はいかん。「漢」は直球でなければ。
まあ、これから僕が「漢」のなんたるかをこれから先紐解いていこう、うん。

ということで、初登場したけれど、去年の暮れにTVを観ていたら、大好きな男の歌が聞こえた。

a href="http://www.youtube.com/watch?v=ztGvXVxn0PE">Tom Waits - Tom Traubert's Blues
http://www.youtube.com/watch?v=ztGvXVxn0PE

TVドラマのエンディングクレジット。おっ、制作現場にも「漢」がいるなと思ったら、出演者に芳雄ちゃんがいる。あっ、そうか、これはきっと芳雄ちゃんがMAに進言したんだな、と勝手に決め付けた。そうに違いない、いやきっとそうだ。

優作や芳雄ちゃんのBluesは「漢」だねぇ。

今夜は、久しぶりに芳雄ちゃんの「Just some bluea」を聞きながら仕事しようか。

それにしても、もう歌わないのかなぁ芳雄ちゃん。「りんご追分」も聴きたいし・・・。

おじゃまします

2010-01-07 16:07:16 | une



おじゃまします。とりあえず顔見世です。南座は先月でしたが

これから時々お邪魔する事にします、そこはまあ気まぐれな猫の事ですから・・・。

ではまた。

追伸。
雪が降っていて、とても寒いけれど、空気は澄んでいるようで気持ちの良い日々です。

続いて登場

2010-01-07 12:26:36 | 飼い人の友達
はじめまして。続いては僕の番ですか・・・。

僕は、音楽好きの ヨーキー。名前は(気に食わぬ事に自分で付けたのではないけれど)『ラルフ』です。まぁ、結構気に入ってはいるのですが。

僕の飼っている人間から、独り言でもしゃべって、日ごろの憂さ?を晴らしてみれば、とアウトプットを勧められて今ここにいる次第です。

昨日の洒落た外人は、New Yorker さんでしたか。いやいや相変わらずのGood-Looking ですなぁ。

閑話休題。

冬に入ってから、僕の周りで(僕の飼っている人間・これをこれからは飼い人と呼ぶ)旅立つ人が続きました。
飼い人も、もうそこそこの年齢だから、周りでは自然の事なんでしょう。

寿命という事で言うと、僕らはどんなに頑張っても20年、飼い人達は100年ですか。

お互いに、長いような短いような。まあ、精一杯頑張って過ごしましょうか。

正月の間、飼い人の本棚からちょっと拝借して『徒然草』を舐めました。
兼好さんも New-Yoker さんみたいな事を書いてますね。
『生きる』の反対語は『死ぬ』ではないと。

森羅万象、死は生の一部なのですね。
僕らは何の疑いもなくこう思っているのに、人間社会では対極として取り扱われているようで、微笑ましくもあります。芦屋の鼠と仲の良かった pre-novel prize 作家も何かの本で書いていたような気がしますが・・・。

さて、これからギターでも弾きますか。
なに、肉球で引けるのか?ですって、何をおっしゃいますか!
この麗しい肉球で奏でると、まるで Wes Montgomery のようなメロウで芳しい音が空気を震わせ、あまたの雌たちを引き寄せ、尻尾を挙げて、あゎゎ×××。

では、お後が宜しいようで。またいつの日か。

まず第一にー。

2010-01-06 22:24:36 | Report
2010/01/06

登場人物をとりあえず設定しましょうか。

   何人かの男女、雄雌、たちが独り言を綴ります。

   いろいろな事、楽しい事、辛い事。

   今日は私です。お見知りおきの方もあるやもしれませんが、名前は伏せておく事にします。

  今日の独り言。


   朔日の清潔き寒さに

   我は知る

   死はまた生の一部成りしと


       とまあこんな所です。

       人生色んな事がありますが、まぁ順番が狂っていなければ、それで良しとしましょうか。


                       ではまたいつか。