どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設19年目を疾走中。

(超短編シリーズ)30 『恋焦がれ』

2010-04-16 02:32:43 | 短編小説


     (恋焦がれ) 
   

 父が亡くなったとき、葬式が始まる一時間ほど前に、一匹の揚羽蝶が迷い込んできた。

 少し汗ばむ季節で、喪服を着た葬儀社の男も、親類の参列者も、庭からひらひらと入ってきた大型の蝶に気を呑まれていた。

(仏さんになる前に、あいさつに来たのかな・・・・)

 少しでも父のことを知る者は、蝶の飛来の仕方に曰く言いがたい暗示を感じ取っていた。



 川を挟んで山が向き合う形の町だった。

 父は東側の小学校の校長をしていた。

 謹厳実直な紳士と思われていて、祝いの席があると親戚でもないのによく呼ばれたりしていた。

 趣味といえば囲碁と俳句、同年輩の囲碁仲間に先立たれてからは、俳句結社を主宰して隔月刊の同人誌を発行していた。

 立ち上げて三年ほど経つうちに、俳句雑誌『さわらび』の会員数も増えていった。

 古くさい趣味ばかりと思われていた父だが、校長を辞めてからは意外と新しもの好きの一面をあらわした。

 同人の女性数人と連れ立って、下流の大きな町まで社交ダンスを習いにいく行動力も見せた。

 もともと本格的に俳句の修業をしてきた俳人とちがって、結社といってもどこかサークル的な色合いを持っていたのである。



 一方、母はひとつ上流の町に生まれた農家の娘だった。

 平の教員とはいえ、社会的に敬われる夫の元へ嫁ぐことになって、天にも昇る気持ちだったという。

 見合いで結ばれた縁ということもあったろう。

 教養ある夫に仕えられる幸運を、密かな喜びとして長い年月家を守ってきた。

 夫は日を経るにつれて役職がつき、教頭、校長と地位をあげていった。

 そうした連れ合いに対し、母はひたすら目立たない妻の役に徹していた。

 旅行や観劇に連れて行ってもらうことがなくても、一度として不満を漏らすことがなかった。

 母自身は、一歩下がって付いていく生き方にあまり疑問を抱いたことがなかったのかもしれない。

 父は父で、そうした母の態度をいいことに会合や付き合いに時間を割き、母の身に気を配ることがなかった。

「今日は遅くなる・・・・」と言い残すのがせいぜいで、どんな理由でおそくなるのか説明することはなかった。

 二ヶ月に一度の合評会が済むと、二次会と称して別の場所に移動する。

 町なかの割烹料理屋のこともあれば、下流の町に予約したレストランのこともあった。

 俳句一筋に学ぼうとしている会員は、二次会へ流れることなく帰って行く。

 それはそれで大事にあつかう如才なさを、父は身に着けていた。



 わたしは一人娘で三十八歳になる。

 結婚して十五年が過ぎ、一男一女の母親となっている。

 銀行員の夫が本店に戻るのに伴い、わたしは父母の住む町を離れた。

 正月と旧盆に里帰りする以外は、身の回りの家事をこなすので手一杯の状況だった。

 父が定年になったあと、それまでの貯えと年金で悠々自適の余生を送っているものと思っていた。

 ところが父が母を家に残して、俳句の弟子と下流の町で同棲をはじめたとの知らせを受けた。

 知らせをよこしたのは、幼馴染の同級生からだった。

 いまも町なかに住み、亭主とともに家業の豆腐屋をやっている。

「あなたのお母さんが心配だから、一度見に行ってあげて・・・・」という内容の手紙だった。



 父をめぐって女性同士の鞘当てがあったとの噂も、その手紙に書かれていた。

 (父にそんな魅力があったのかしら?)

 予想もしない知らせを受けて、最初に感じたのは驚きだった。

 娘の目には、父の容貌も生活態度も面白みに欠け特に魅力を感じなかった。

 もしかしたら、外づきあいが増えるに連れ、くだけた男っぽさが出てきたのだろうか。

 服装も少しは派手になって、女性たちから見直されるようになったのかもしれない。

 そういえば昨年帰郷した折、帽子やネクタイの趣味に以前とは違うものを感じた。

 わたし自身、娘の高校受験を控えていて、それ以上詮索する余裕はなかった。

 今回大騒動のご注進に接し、あらためて父の身に変化が生じていたことを思い知らされた。



 相手の女性は、川向こうの生け花の先生だった。

 四十歳のとき亭主に先立たれ、女ざかりを寡婦で過ごしてきた。

 再婚をうながす動きもあったが、女性の気に染まなかったのか話は何度も流れた。

 気心の知れた同性の弟子を相手に日を送るほうが、よほど楽だと感じるようになっていたのかもしれない。

 そうして五年が過ぎ、弟子に誘われて『さわらび』に入った頃から、生け花教師の心に変化が生じた。

 華やいだ気持ちが抑えられなくなり、ダンス、飲み会、カラオケに繰り出すことになった。

 父に出会って、生け花教師の心がときめいたらしいのだ。


 
 いったん火がつくと、女の芯は果てしなく燃える。

 稚拙な俳句も、ひたむきさで他を圧することもある。

 「恋焦がれ蝶かがり火に舞ひ寄るや」

 生け花教師の句を、父が『さわらび』月例会の特選に選んだのは、奇しくも昨年の夏だったという。

 席上、同人の多くは父の選考に異論を述べたという。

「先生、かがり火に寄ってくるのはガじゃないんですか。チョウが火に近寄るなんて、聞いたことがありません」

「そうかな」

「そうですよ、速水御舟に<炎舞>という作品がありますが、あれも蛾だからこそ凄艶なんじゃありませんか」

「いや、ぼくはこの句にかぎって蝶でもいいんじゃないかと思う。蛾では平凡すぎて面白みに欠けるし、焚火に蝶が舞い来るのを見たこともある」

「どこでですか」

「暗淵で川遊びをしてた時だ。中学生時代、冷えた体に暖を取っていたら、山影から蝶が迷い出てきて焚火の周りを舞っていたよ」

「へえ・・・・」

「それにこの作品は、事実がどうのというより、心象を詠んだものです。小さな事象を呑み込むほどの心の滾りを感じませんか」

 一般的な作品評の枠を超えていた。

 異論を唱えた弟子たちも、最後には諦め顔で主宰の意見に従った。



 次回の集まりからは、あからさまな表現の句が多くなった。

 互いに馴れ合う雰囲気が句会を支配し、それまで抑えていた願望を吐露するようになったのだ。

 初めから目的を明らかにしてあると、集まりに要らぬ気兼ねをする必要がなくなる。

 ある意味、今風の合コンみたいなものだった。

 父と生け花教師のあいだに割り込もうとする女性も出てきて、句会の席は臆面もない風俗店の様相を帯びてきた。

 二次会のあとは、アルコールの勢いもあって何組かが夜の街に消えた。

 自分だけが置いていかれるのは損とばかりに、適当な相手を見つけて欲望を発散するものも出た。

 父の心を射た生け花教師は、腕を絡ませて他の女性を近づけることはなかった。



 実家に戻ったわたしにも、住人の好奇の目が向けられた。

 校長まで務めた町の名士が、こともあろうに生け花教師の未亡人と駆け落ちをしたのだ。

 しかも、れっきとした妻がありながらの破滅的行為である。

 それでなくても口さがない田舎町では、蜂の巣を突っついたほどの騒ぎになるのは目に見えていた。

「あなたも大変ねえ・・・・」

 同情の言葉をかけられても、素直に受け入れる気持ちにはなれなかった。

 わたしは、下流の町まで行って父と生け花教師に会った。

 会って話をすれば、二人が事を収めてくれるだろうと期待したからだ。



「ごめんなさい、わたしに十ヶ月だけ時間をください。あとはお父様をお帰ししますから・・・・」

 生け花教師は、面を伏せることなくわたしを見返した。

 理由こそ述べなかったが、きっぱりとした言葉には逆らえない力があった。

 父はひと言も発しなかった。

 何を言ってもまやかしに聞こえる。だから、ひたすら、その状況をやり過ごそうとしているように見えた。

「わたし帰ります。母は四十年耐えてきましたから、あと一年ぐらいだいじょうぶだと思います」

 皮肉ではなく、本当にそう思ったのだ。

 まさか父が長い出張に出ていると仮想したわけでもあるまいが、母は周囲の騒ぎをよそにひっそりと暮らしていた。

 枳殻の生垣に囲まれた庭を、野菜畑と果樹の育成場所に分け、トマトや胡瓜、蜜柑やブルーベリーなどを育てていた。

 わたしは、生け花教師が言った「十ヶ月・・・・」のことばを、母には伝えなかった。

 馬鹿にしてると怒り出すのを恐れたわけではなく、暗い運命的なひびきに気を殺がれていたからだ。

 実家には三日いて、子供たちのもとに戻った。

 それでも、月に一度は母の様子を見に実家へ通った。



 そして事件は起こった。

 急流がつくる地形の死角ともいえる澱みの傍で、男女の遺体が見つかったのだ。

 父が子供のころ泳いだという暗淵という場所だった。

 一日のうち二時間ぐらいしか日の当たらない東岸の岩陰で、子供たちはみな「くらぶち」と呼んでいた。

 生け花教師は「お父様をお帰しします」と言ったが、約束を守らなかった。

 それとも「お返しします」といったのか。

 それなら全くの嘘とはいえない気もする。



 下流の町のメモリアルホールで葬儀をすることもできたのに、母は自宅での斎事にこだわった。

「お父さんは、家に帰りたがっていたからね」

 わたしが伝えたわけではないのに、父の気持ちを汲んでいたような物言いだった。

「・・・・あの方に余命がないのを知っていて、最後まで付き合ってあげたのよ」

 薄々感じてはいたが、そこまで断定できる確信はなかった。

 あるいは、その言葉は母の強がりだったのだろうか。

 わたしは葬儀に訪れた客に深々と頭を下げながら、顔をあげるたびに忌中を示す提灯の黒い模様を見つめた。

 白と黒のコントラストが鮮やかな「ナミアゲハ」の家紋だった。

 (ああ、これがわが家の家紋か・・・・)

 中学生の頃、平家の末裔だと言いながら父が自慢げに説明してくれた言葉を思い出していた。

「平家の武者は、いざとなれば潔く殉じたものだ」

 記憶に甦った言霊の力におののいたわたしは、しばらく受付の椅子に凭れていた。

 葬儀の翌日、母は生花の匂いでむせ返る仏壇に手を合わせながら、後ろに控えるわたしを振り返った。

「人間はみな、自分の想いを生きてみたいのよ。あれもしたい、これもしたいって、限りがないのを知っているくせにね」

 一瞬、家紋の霊力を脳裏に浮かべたわたしに、母が思いがけないことを言った。

「あの方も、本当の恋がしてみたかったのね。お父さんみたいな人、滅多にいるもんじゃないもの」

 ホホホと口元を手で隠した。

 母にとっては、事件で生じた面倒な事態も、世間体の悪さも、あまり堪えていないのだろうか。

 わたしは訝るように母を見た。



     (おわり)

 

 

 

 

 

 


 
 



 

 








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4 コメント

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押し込められたこころのエネルギー飛翔のきっかけを求めて (知恵熱おやじ)
2010-04-17 02:51:26
普段どれほど実直で目立たない人であっても、いや、そうであるからこそこころの深間には案外意志の力でねじ伏せてきたような原始の火さながらのエネルギーを密かに貯め込んでいるのかも知れませんね。

この校長先生、いつか力価が高まりすぎたそれを解き放たなければ生きたという実感をもてなかったのでしょう。
きっと長年連れ添った妻はそのことを一番よく知っていた。

一緒に死んでくれた生け花の女は、夫が魂を飛翔させるきっかけに過ぎなかったことを知っていたのかもしれないな、と想像しながら最後のシーンを堪能させていただきました。

妻にとっては多分、田舎にしては品格があって実直でインテリでもあるこの夫と結婚したことそのものが、人生最大の飛翔だったに違いありません。

蝶のイメージがこの静かなる男のそれぞれの人生シーンを繋いでくれる見事な構成に、作者の詩人としての結晶化能力の凄みを実感させられ改めて脱帽です。

もしかしたらこれは作者にとっても、生涯の秀作の何本かのうちの一作に数えられることになるなるのではないでしょうか。
震えてしまいます (窪庭忠男)
2010-04-17 19:00:07

(知恵熱おやじ)様、いま風を受けて空を飛んでいるような気持ちです。
主人公に願望の成就を担わせて、さて自分はどうなのかと振り返るばかり。
30話で一区切り(400字詰め350枚程度)、つぎの31話から60話をめざして再スタートの気分で臨みます。
ありがとうございました。
古女房にも気が惹かれて (くりたえいじ)
2010-04-21 14:55:03

この『恋焦がれ』は深みのある劇的な掌編ですね。元校長と生け花師匠との意志の堅そうな恋が、やがては霧散してしまうところまで。

ですけど、全編を通して心が揺さぶられたのは、校長先生の奥さんの真理や去就でした。
いかにも典型的なニッポンの妻ではありませんか。
作者はそれを前面にはあまり押し出さず、さらりと書いてのけているだけに、気がひかれてなりませんでしたよ。

そういえば、著者は俳句の創作でも秘めたる実力を有していることを思い出しました。
その片鱗がこの一篇に覗いてみえるのもまた、魅力でした。
秀作、読ませてくれてありがとう!
女房のちから (窪庭忠男)
2010-04-23 16:10:05

(くりたえいじ)様、コメントありがとうございます。
いま『ゲゲゲの女房』をやっておりますが、奥さんあっての水木しげるなんですよね。
普通、内助の功とか二人三脚とかが一般的ですが、女性の中には時に夫を超えて屹立する人格もあるようです。(先読みですが・・・・)
ところで、こちらの奥さん、農家の娘でありながら校長のスキャンダルに動揺することなく、真理を見据えることができたようです。
妻としての去就にまで言及していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

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