わたくしといふ現象

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鎌倉での年越し

2015年01月02日 18時17分05秒 | Weblog

明けましておめでとうございます。

 

例年通り鎌倉にて年越しをしました。

極楽寺と長谷の間、江ノ電線路沿いの御霊(ごりょう)神社で初詣をし、

 

長谷寺で初詣をしました。

長谷寺は、般若心経を参拝者が一人一文字、石に写経するのですが、今年は「涅」の文字でした。涅槃で、煩悩が消滅した安らぎの境地、ということですね。

 

東の空は曇っていて初日の出は拝めませんでした。

 

午後からこれまた自分の中で毎年恒例の、日本三大天神の一つ荏柄天神へと向かう途中で霰が降り始め、到着するころにはすっかり雪に。

 

梅の蕾もまだまだ固いですね。(単焦点レンズ初心者なので、枝先に焦点を合わせられていませんが。)

冬の厳しい寒さに耐えてこそ美しい花が咲くんです。受験生も一緒ですね。

 

陰ながら応援することしかできませんから、例年通り中3生徒分の合格鉛筆を購入して帰宅。実に寒かった。

 

さて、毎年この鎌倉での年越しをしていますが、僕なりに意味はあるんですね。

僕もそこそこの年になってきてしまったわけですが、鎌倉で年を越すことによって受験生だった時の気持ちを忘れないように、あるいは細部まで思い出すようにしているんです。

友人宅から江ノ電で帰るときに、住宅地からぱっと視界が開け、七里ヶ浜の海が目の前に広がります。自分が七里ガ浜高校を志願していた15歳のとき、この風景に恋焦がれて何としても合格したいと思っていたこと。高校受験のときにも大学受験のときにもお参りに行った荏柄天神に行って、最後に藁をもつかむ思いだったこと。

 

そういう受験生の繊細な気持ちって、この仕事をしていて忘れると致命的だと思うんです。だから、毎年一回「あー、そうだったなぁ、だから次に生徒にどういう話をしようかな。」ってちゃんと向き合って考えることができる鎌倉での年越しは実に大切なのです。

 

もちろん、少しの郷愁とか後悔といった気持ちも顔を覗かせてしまうんですけどね。


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