写真:「城市創ジェイクリト社長」
畏友、城市創(はじめ)さんが亡くなって一か月。「お別れの会」が神田の学士会館でありました。中国電力の広報誌「碧い風」や日観協の季刊「観光とまちづくり」などを編集する、ジェイクリエイトの社長です。200人を超える知人が集まり、彼との別れを惜しみました。
そこでのスピーチを指示された私は、以下のような語りを彼の遺影に伝えました。少しでも彼の心に僕らの失望の念が伝えられればと願ったものです。
「城市さん…。あなたが逝かれてもう一か月がたってしまいました。
そちらでは何をやっておられますか。
大好きだった益田の先輩、徳川無声さんにはお会いになりましたか?
新年を迎えるこの季節ですから。来年度の季刊「観光」や「碧い風」の企画を練っておられるんでしょうか?
そんなあなたの近況が聞きたくて、今日はこんなに仲間が集まりました。
それなのに、あなたの生の声が聞こえません。
残念です。寂しいです。
それにしても皆な、あなたの突然に逝かれたことを怒っています。
手がけていた仕事が山ほどあり、皆な、あなたをとても頼りにしていたのに、突然に姿を消されたのですから…。ご家族だけではありません。
でも今日はあなたが60年の間につちかった友人たちが集まりました。
この名簿を見て下さい。あなたの60年の笑顔と汗で結びついた貴重な仲間です。
この仲間は、あなたが残してくれた財産です。そしてこの「島根のご縁」を、今後僕らが大切に活かしていくことを、あなたにお伝えします。それが残された僕らの、あなたに対する恩返しだと思っています。
城市さん…、僕らは、あなたが、大好きでした。
どうぞ、ゆっくりお休みください。」