10月23日は上野の美術館で冷泉家展を慌ただしく見た午後、すぐさま三鷹の中近東文化センターに向かいました。設立30周年のセレモニーが行われ、そこに臨席される三笠宮殿下に私をご紹介したいと、宮家に親しいある知人から話しを受けていたからです。
殿下は昭和天皇の弟君です。文字通り大変に貴重な機会であり、またオリエントや西域に若いころから関心を持っていた自分にとって、オリエント学者としての殿下にお会いすることは何とも慶びとするところでした。
ただご紹介いただくだけではいささか寂しい。何か殿下に印象に残ることをお話しできないだろうか。浅薄にもこう思いついたばかりに、その経緯は、以下のような顛末となりました。恥ずかしながら書き記すことといたしましょう。
ご夫妻でお茶を召し上がっていた席に知人に連れられて伺うと、殿下はわざわざ椅子から立ち上がられて、対応して下さいました。そこで私はこう申し上げたのです。
「殿下、きょうこうしてご挨拶できることになりましたことを、たいへん光栄なことと存じております」
「あ・・・」
「実は私、殿下の書かれたオリエント学の本を高校時代に読まさせていただきました。大変に触発され、それ以来オリエントやシルクロードに魅かれ、当時この分野の権威であった京都大学に何としても進学したいものと心に決めたのでございます。」
「・・・」
「しかし受験に2年続けて失敗いたしました。高望みしたことで、それ以来東京に参って、意に染まない人生を歩むこととなりました。それだけに殿下の本を40年間、お怨み申し上げておるところであります(笑)。」
「・・・」
殿下は終始無言でありました。こうした話に少しは微笑まれるのではないかと考えておりましたのに、およそ場は盛り上がることなどなかったのです。私はいささか戸惑ってしまい、同伴した知人の声かけを機に、早々に退散した次第でした。
いやあ、焦りました。シモジモの発想がために、かように殿下とのやりとりは汗顔の至りというものでした。まことにもって歴史的な日(?)であったという他ありません。