知多半島は、愛知県名古屋市南部、伊勢湾に突出する南北に細長い半島。長さ40km、幅5~14km。伊勢湾と三河湾を分ける。
知多半島では、大きな河川がなく、田畑で使う水を川から取ることができなかった。水不足は深刻で人々は井戸やため池をつくって渇水に備えていた。しかし、1947年(昭和22年)は日照りが長く続き、ため池の水が無くなってしまい、作物が枯れるなど大きな被害がでた。水に困った知多半島の人々は、「木曽川から水が引けたら・・・」との夢があり、1947年の大干ばつをきっかけに、この夢を実現させようと久野庄太郎、濱島辰雄らが立ち上がり、国家事業として愛知用水をつくるよう働きかけ、世紀の大事業といわれた愛知用水の第一歩を踏み出した。そして1961年ついに、この「夢の用水」、愛知用水が完成した。
知多半島では、大きな河川がなく、田畑で使う水を川から取ることができなかった。水不足は深刻で人々は井戸やため池をつくって渇水に備えていた。しかし、1947年(昭和22年)は日照りが長く続き、ため池の水が無くなってしまい、作物が枯れるなど大きな被害がでた。水に困った知多半島の人々は、「木曽川から水が引けたら・・・」との夢があり、1947年の大干ばつをきっかけに、この夢を実現させようと久野庄太郎、濱島辰雄らが立ち上がり、国家事業として愛知用水をつくるよう働きかけ、世紀の大事業といわれた愛知用水の第一歩を踏み出した。そして1961年ついに、この「夢の用水」、愛知用水が完成した。