2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はフォロ・ロマーノ@ローマです。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
今回のイタリア旅行の最大の目的、それは、
ピラネージをはじめ、パンニーニやマルコ・リッチといった、
18世紀前半の画家・版画家たちによって描かれた、
古代ローマの廃墟を実際に訪れる事でした。
そして、最もその図像に登場する舞台が、
このフォロ・ロマーノです。
フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノは、
紀元前6世紀頃から3世紀頃までの約千年にわたって、
古代ローマの商業・宗教・政治・司法の中心地として機能した場所です。
現在では、初期の頃のものは殆ど失われ、
現存するものは主に帝政ローマ以降に整備されたものだそうですが、
それでも紀元前1世紀から3世紀までの約400年の遺構が積み重なって、
いわば廃墟のミルフィーユを形成しています。
フォロ・ロマーノ
紀元前8世紀頃に端を発し、
王政から共和制、そして帝政から東西分裂と、
悠久の時を刻み付けたローマと共に歩んだフォロ・ロマーノは、
476年、ゲルマンによる進攻で西ローマ帝国が滅亡し、
首都がラヴェンナに移ると、
その後は衰退の一途をたどります。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
東西に細長く延びるフォロ・ロマーノの西エリア。
この地域は初期から開発されていた地域でもあり、
また最期までフォロ・ロマーノの中心だった場所です。
右寄り奥に写る建物はBC80に建設された公文書館。
建物の手前に並ぶ円柱は左から、
サトゥルヌスの神殿(オリジナルはBC498、現存は497)、
黒っぽい円柱を飛ばして、その隣の2本に見えるのが、
ウェスパシアヌス&ティトゥス神殿(87)、
更にその隣の少し背の高い1本の円柱は、
フォカスの記念柱(608)、
と、ここに写るだけでも600年の隔たりがあります。
フォカスの記念柱は、西ローマ帝国滅亡後、
ビザンティン皇帝フォカスによって建てられた、
フォロ・ロマーノに残る最期の建造物だそうです。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
画像は帰りの空港でゲットした、
『ローマ 過去と現在~再現図つき~』から。
現在の写真の上にセロファン製の当時の様子を重ねると、
当時の様子とその変貌が即座にわかる優れものです。
一つ前の画像とほぼ同じあたりの当時の様子です。
左端の半切の円柱が、一つ上画像の黒っぽい円柱、
騎馬像の後ろの神殿がサトゥルヌスの神殿、
騎馬像の右の柱がフォカスの記念柱、
その奥がウェスパシアヌス&ティトゥス神殿です。
ウェスパシアヌスとティトゥスは初の世襲皇帝で、
コロッセオ(後日アップ)の建設でも知られています。
また、公文書館の階下部分は現在でも使われ、
さらに上層階が現在の市庁舎というのには驚きます。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
サトゥルヌス神殿。(オリジナルはBC498、現存は497)
公文書館の目の前にあり、現在最も列柱を多く残している神殿。
現存は500年頃のものですが、
オリジナルはそこから千年も前に建てられていた、
ローマ最古の神殿。
サトゥルヌスは、ローマ神話に登場する農耕の神ですが、
神殿の用途は国財政の金や銀などを納めた、
重要な神殿だったそうです。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
左:カストル&ポルックス神殿。(オリジナルはBC5C初頭、現存は6)
右:ウェスタ神殿。(205)
カストル&ポルックス神殿は対ラテン連合軍との戦いで、
勝利を導いた伝説の双子を祭った神殿。
そして手前の低い列柱の神殿が、
フォロ・ロマーノ唯一の円形神殿で、
ローマ市民にとって最も重要な女神を奉った、
ウェスタ神殿。
その内部には、ローマの不滅を象徴する聖なる永遠の火がともされ、
ウェスタの巫女たちによって管理されていたそうです。
これらは神話や伝説の神々の神殿ですが、
フォロ・ロマーノに現存するそれ以外の神殿の多くは、
実在の人物(主に皇帝)を神格化した神殿です。
そして、その最も著名なのが…
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
カエサル神殿。(BC29)
誰もがその名前ぐらいは知っているユリウス・カエサルは、
BC44にローマの市内で暗殺され(後日アップ)、
この場所で荼毘にふされたそうです。
火葬されたカエサルの灰は、その後の風雨で散骨してしまい、
結局カエサルの墓はないそうですが、
カエサルの婿養子であり初代のアウグストゥスとなる、
オクタヴィアヌスが神格化し、
火葬の場に建設した神殿です。
現在は基礎部分のみで、神殿の面影は殆どありません。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
アントニヌス帝&ファウスティナ妃神殿。(141)
紀元前後に始まったローマ帝国は、その後約100年経ち、
「パクス・ロマーナ」とも「人類史上最も幸福な時代」とも言われる、
ローマ帝国で最も繁栄かつ安定した時代を向かえます。
その時期の皇帝の一人、アントニヌス帝が、
亡き妻ファウスティナの為に作り、
後に自身も眠ることとなった神殿。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
ロムルス神殿。(307)
フォロ・ロマーノ最大のバシリカ(後日アップ)を作った、
マクセンティウス帝の皇子を祭った神殿とも、
そうでないとも言われている神殿。
ちなみに初代のオクタヴィアヌスから、
東西分裂のテオドシウス1世までの、
各皇帝の最期を調べてみると、
自然死と病死が21人なのに対して、
暗殺・敗死・処刑・自殺が45人という数字を見る限り、
決して穏やかな時代ではなかった事を感じます。
ただそんな中でも、パクス・ロマーナ時代の、
いわゆる五賢帝と呼ばれる5人は全員自然死なので、
やはり紀元2世紀の100年は、
幸せな時代だったのかもしれませんね。
今回はフォロ・ロマーノ@ローマです。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
今回のイタリア旅行の最大の目的、それは、
ピラネージをはじめ、パンニーニやマルコ・リッチといった、
18世紀前半の画家・版画家たちによって描かれた、
古代ローマの廃墟を実際に訪れる事でした。
そして、最もその図像に登場する舞台が、
このフォロ・ロマーノです。
フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノは、
紀元前6世紀頃から3世紀頃までの約千年にわたって、
古代ローマの商業・宗教・政治・司法の中心地として機能した場所です。
現在では、初期の頃のものは殆ど失われ、
現存するものは主に帝政ローマ以降に整備されたものだそうですが、
それでも紀元前1世紀から3世紀までの約400年の遺構が積み重なって、
いわば廃墟のミルフィーユを形成しています。
フォロ・ロマーノ
紀元前8世紀頃に端を発し、
王政から共和制、そして帝政から東西分裂と、
悠久の時を刻み付けたローマと共に歩んだフォロ・ロマーノは、
476年、ゲルマンによる進攻で西ローマ帝国が滅亡し、
首都がラヴェンナに移ると、
その後は衰退の一途をたどります。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
東西に細長く延びるフォロ・ロマーノの西エリア。
この地域は初期から開発されていた地域でもあり、
また最期までフォロ・ロマーノの中心だった場所です。
右寄り奥に写る建物はBC80に建設された公文書館。
建物の手前に並ぶ円柱は左から、
サトゥルヌスの神殿(オリジナルはBC498、現存は497)、
黒っぽい円柱を飛ばして、その隣の2本に見えるのが、
ウェスパシアヌス&ティトゥス神殿(87)、
更にその隣の少し背の高い1本の円柱は、
フォカスの記念柱(608)、
と、ここに写るだけでも600年の隔たりがあります。
フォカスの記念柱は、西ローマ帝国滅亡後、
ビザンティン皇帝フォカスによって建てられた、
フォロ・ロマーノに残る最期の建造物だそうです。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
画像は帰りの空港でゲットした、
『ローマ 過去と現在~再現図つき~』から。
現在の写真の上にセロファン製の当時の様子を重ねると、
当時の様子とその変貌が即座にわかる優れものです。
一つ前の画像とほぼ同じあたりの当時の様子です。
左端の半切の円柱が、一つ上画像の黒っぽい円柱、
騎馬像の後ろの神殿がサトゥルヌスの神殿、
騎馬像の右の柱がフォカスの記念柱、
その奥がウェスパシアヌス&ティトゥス神殿です。
ウェスパシアヌスとティトゥスは初の世襲皇帝で、
コロッセオ(後日アップ)の建設でも知られています。
また、公文書館の階下部分は現在でも使われ、
さらに上層階が現在の市庁舎というのには驚きます。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
サトゥルヌス神殿。(オリジナルはBC498、現存は497)
公文書館の目の前にあり、現在最も列柱を多く残している神殿。
現存は500年頃のものですが、
オリジナルはそこから千年も前に建てられていた、
ローマ最古の神殿。
サトゥルヌスは、ローマ神話に登場する農耕の神ですが、
神殿の用途は国財政の金や銀などを納めた、
重要な神殿だったそうです。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
左:カストル&ポルックス神殿。(オリジナルはBC5C初頭、現存は6)
右:ウェスタ神殿。(205)
カストル&ポルックス神殿は対ラテン連合軍との戦いで、
勝利を導いた伝説の双子を祭った神殿。
そして手前の低い列柱の神殿が、
フォロ・ロマーノ唯一の円形神殿で、
ローマ市民にとって最も重要な女神を奉った、
ウェスタ神殿。
その内部には、ローマの不滅を象徴する聖なる永遠の火がともされ、
ウェスタの巫女たちによって管理されていたそうです。
これらは神話や伝説の神々の神殿ですが、
フォロ・ロマーノに現存するそれ以外の神殿の多くは、
実在の人物(主に皇帝)を神格化した神殿です。
そして、その最も著名なのが…
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
カエサル神殿。(BC29)
誰もがその名前ぐらいは知っているユリウス・カエサルは、
BC44にローマの市内で暗殺され(後日アップ)、
この場所で荼毘にふされたそうです。
火葬されたカエサルの灰は、その後の風雨で散骨してしまい、
結局カエサルの墓はないそうですが、
カエサルの婿養子であり初代のアウグストゥスとなる、
オクタヴィアヌスが神格化し、
火葬の場に建設した神殿です。
現在は基礎部分のみで、神殿の面影は殆どありません。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
アントニヌス帝&ファウスティナ妃神殿。(141)
紀元前後に始まったローマ帝国は、その後約100年経ち、
「パクス・ロマーナ」とも「人類史上最も幸福な時代」とも言われる、
ローマ帝国で最も繁栄かつ安定した時代を向かえます。
その時期の皇帝の一人、アントニヌス帝が、
亡き妻ファウスティナの為に作り、
後に自身も眠ることとなった神殿。
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)
ロムルス神殿。(307)
フォロ・ロマーノ最大のバシリカ(後日アップ)を作った、
マクセンティウス帝の皇子を祭った神殿とも、
そうでないとも言われている神殿。
ちなみに初代のオクタヴィアヌスから、
東西分裂のテオドシウス1世までの、
各皇帝の最期を調べてみると、
自然死と病死が21人なのに対して、
暗殺・敗死・処刑・自殺が45人という数字を見る限り、
決して穏やかな時代ではなかった事を感じます。
ただそんな中でも、パクス・ロマーナ時代の、
いわゆる五賢帝と呼ばれる5人は全員自然死なので、
やはり紀元2世紀の100年は、
幸せな時代だったのかもしれませんね。
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