黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

イタリア旅行記 #27 フォロ・ロマーノ 1

2011-05-06 18:32:52 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はフォロ・ロマーノ@ローマです。

フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)

今回のイタリア旅行の最大の目的、それは、
ピラネージをはじめ、パンニーニやマルコ・リッチといった、
18世紀前半の画家・版画家たちによって描かれた、
古代ローマの廃墟を実際に訪れる事でした。
そして、最もその図像に登場する舞台が、
このフォロ・ロマーノです。





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノは、
紀元前6世紀頃から3世紀頃までの約千年にわたって、
古代ローマの商業・宗教・政治・司法の中心地として機能した場所です。
現在では、初期の頃のものは殆ど失われ、
現存するものは主に帝政ローマ以降に整備されたものだそうですが、
それでも紀元前1世紀から3世紀までの約400年の遺構が積み重なって、
いわば廃墟のミルフィーユを形成しています。





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ

紀元前8世紀頃に端を発し、
王政から共和制、そして帝政から東西分裂と、
悠久の時を刻み付けたローマと共に歩んだフォロ・ロマーノは、
476年、ゲルマンによる進攻で西ローマ帝国が滅亡し、
首都がラヴェンナに移ると、
その後は衰退の一途をたどります。





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)

東西に細長く延びるフォロ・ロマーノの西エリア。
この地域は初期から開発されていた地域でもあり、
また最期までフォロ・ロマーノの中心だった場所です。
右寄り奥に写る建物はBC80に建設された公文書館。
建物の手前に並ぶ円柱は左から、
サトゥルヌスの神殿(オリジナルはBC498、現存は497)、
黒っぽい円柱を飛ばして、その隣の2本に見えるのが、
ウェスパシアヌス&ティトゥス神殿(87)、
更にその隣の少し背の高い1本の円柱は、
フォカスの記念柱(608)、
と、ここに写るだけでも600年の隔たりがあります。
フォカスの記念柱は、西ローマ帝国滅亡後、
ビザンティン皇帝フォカスによって建てられた、
フォロ・ロマーノに残る最期の建造物だそうです。





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)

画像は帰りの空港でゲットした、
『ローマ 過去と現在~再現図つき~』から。
現在の写真の上にセロファン製の当時の様子を重ねると、
当時の様子とその変貌が即座にわかる優れものです。

一つ前の画像とほぼ同じあたりの当時の様子です。
左端の半切の円柱が、一つ上画像の黒っぽい円柱、
騎馬像の後ろの神殿がサトゥルヌスの神殿、
騎馬像の右の柱がフォカスの記念柱、
その奥がウェスパシアヌス&ティトゥス神殿です。
ウェスパシアヌスとティトゥスは初の世襲皇帝で、
コロッセオ(後日アップ)の建設でも知られています。
また、公文書館の階下部分は現在でも使われ、
さらに上層階が現在の市庁舎というのには驚きます。





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)

サトゥルヌス神殿。(オリジナルはBC498、現存は497)
公文書館の目の前にあり、現在最も列柱を多く残している神殿。
現存は500年頃のものですが、
オリジナルはそこから千年も前に建てられていた、
ローマ最古の神殿。
サトゥルヌスは、ローマ神話に登場する農耕の神ですが、
神殿の用途は国財政の金や銀などを納めた、
重要な神殿だったそうです。





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)

左:カストル&ポルックス神殿。(オリジナルはBC5C初頭、現存は6)
右:ウェスタ神殿。(205)

カストル&ポルックス神殿は対ラテン連合軍との戦いで、
勝利を導いた伝説の双子を祭った神殿。
そして手前の低い列柱の神殿が、
フォロ・ロマーノ唯一の円形神殿で、
ローマ市民にとって最も重要な女神を奉った、
ウェスタ神殿。
その内部には、ローマの不滅を象徴する聖なる永遠の火がともされ、
ウェスタの巫女たちによって管理されていたそうです。

これらは神話や伝説の神々の神殿ですが、
フォロ・ロマーノに現存するそれ以外の神殿の多くは、
実在の人物(主に皇帝)を神格化した神殿です。
そして、その最も著名なのが…





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)

カエサル神殿。(BC29)
誰もがその名前ぐらいは知っているユリウス・カエサルは、
BC44にローマの市内で暗殺され(後日アップ)、
この場所で荼毘にふされたそうです。
火葬されたカエサルの灰は、その後の風雨で散骨してしまい、
結局カエサルの墓はないそうですが、
カエサルの婿養子であり初代のアウグストゥスとなる、
オクタヴィアヌスが神格化し、
火葬の場に建設した神殿です。
現在は基礎部分のみで、神殿の面影は殆どありません。





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)

アントニヌス帝&ファウスティナ妃神殿。(141)
紀元前後に始まったローマ帝国は、その後約100年経ち、
「パクス・ロマーナ」とも「人類史上最も幸福な時代」とも言われる、
ローマ帝国で最も繁栄かつ安定した時代を向かえます。
その時期の皇帝の一人、アントニヌス帝が、
亡き妻ファウスティナの為に作り、
後に自身も眠ることとなった神殿。





フォロ・ロマーノ
フォロ・ロマーノ(画像はクリックで拡大します)

ロムルス神殿。(307)
フォロ・ロマーノ最大のバシリカ(後日アップ)を作った、
マクセンティウス帝の皇子を祭った神殿とも、
そうでないとも言われている神殿。

ちなみに初代のオクタヴィアヌスから、
東西分裂のテオドシウス1世までの、
各皇帝の最期を調べてみると、
自然死と病死が21人なのに対して、
暗殺・敗死・処刑・自殺が45人という数字を見る限り、
決して穏やかな時代ではなかった事を感じます。
ただそんな中でも、パクス・ロマーナ時代の、
いわゆる五賢帝と呼ばれる5人は全員自然死なので、
やはり紀元2世紀の100年は、
幸せな時代だったのかもしれませんね。


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