黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

危機遺産!?築地の木造建築群

2016-06-09 00:48:45 | 建築
昨年の10月15日、
歴史的建築物などの保存に取り組む、
アメリカのNPO「ワールド・モニュメント財団」が、
36カ国計50カ所の「危機遺産」リスト(2016年版)を発表しました。
リストの中には築地の近代の木造建築群が含まれています。

危機遺産とは、
早急に保存・修復などの措置が必要、
と判断される文化遺産を認定するものだそうです。

リスト入りした築地の建築群は、主に昭和初期以降に建てられた木造の約30件。
築地場外市場にある円正寺や、瓦屋根の「町家型」、
看板のような装飾を取り付けた「看板建築」の建物などが含まれるといいます。
財団によると、東京大空襲による被災を免れ、
高度成長期の「危機」も乗り越えて、
都市の魅力の一端を担ってきたことを評価したそうです。



リストに含まれる建築の一つの特徴である「町家型」は、
1階部分の屋根を若干張り出した構造にして造る建物のことで、
看板建築以前に、おもに商店を兼ねた家屋の建て方として流行ったもの。
画像の建家は、現在は仕舞屋の様子ですが、
2階部分より少し張り出した1階の瓦屋根の構造は、
典型的な町家造りです。







町家造りの建物の背後には、
木造長屋風の建物が並んでいます。
一見連続した建物のように見えますが、
ところどころ寸断されているようにも見え、
どこまでが一連の建物か判断しづらい構造です。

関東大震災以降、
三軒以下の長屋を優良、それ以上を危険と仕分けし、
三軒以下の長屋を残すような動きがあったようです。
現在、都内に残る長屋に三軒長屋が多いのは、
そういった事情があったようです。







木造長屋に隣接して、3階建ての看板建築も残っています。
看板建築は、文字通り看板のような建築で、
建物の前面を平面状に施工し、
その面を看板代わりに使ったことに由来します。
しかし、その施工方法だけが一人歩きして、
やがて銅板張りやコンクリート製の看板建築が造られるようになります。
現在、東京の特に東部に多く残存する看板家築は、
派手な広告等が施されていない、
よく言えば渋い、悪く言えば地味な看板建築がほとんどです。







屋根の上に施工された木製のベランダも、
めっきり見なくなりました。
窓の外に張り出した外階段の昇り降りは、
かなり勇気がいりそうですね。







築地の街中を歩いていると、
こういった路地に出くわすのも魅力です。







危機遺産のリストにアップされている、
場外市場の円正寺とそれに付随する看板建築の店舗。
かつて、寺の運営費を稼ぐために、
敷地の一部を店舗に貸与した名残だそうです。
寺と同居する木造店舗と緑青の吹きまくった看板建築は、
珍しい光景です。








場外市場の中にある看板建築群。
築地市場は、今年11月の豊洲市場開業にあわせて移転が決まっています。
その結果、従来築地市場と歩みを共にした場外市場が、
そのまま取り残される形となります。
現在、「築地魚河岸」という名のショッピングセンターの建設等、
場外市場のまま存続する計画が進んでいるようですが、
歴史ある築地市場の遺伝子を伝える場として、
ぜひとも存続して欲しいものです。