路地猫~rojineko~

路地で出会った猫と人。気付かなければ出会う事のない風景がある。カメラで紡いだ、小さな小さな物語。

いつかのお礼参り

2014-04-26 | ★ほんの日常




以前似たような記事(「穴二つ」「天然の十倍返し」を書いていたので、
時を経て、確かに似た様な事があったのだと思う…
こんなにもギスギスした人が多いのは、
世の中の経済が上手く働いていない証拠だと思うのは
私だけではない筈だ。

それはさておき、
お坊さんの説法みたいな話だが、人にはそれぞれ
シクシク(4×9=36)泣く程哀しいイベントと
ハハハ(8×8=64)と笑える嬉しいイベントが
その一生に用意されているらしい。
そして、全部合わせて(36+64=100)一生を終えるそうだ。
6割がた笑っていられるのであれば、もはや生きてるだけで丸儲けだろう。
そして、どんな人にも36の哀しい事が起こるのであれば
あえて仕返しなどせずとも只遠くから見ていれば良いだけのこと。

心理学的に言えば、「好き」と「嫌い」は非常に近い位置にある感情で
相手の事をそれだけ注意深く見ている事になる。
だからこそ、相手に不幸が訪れた時に気付き易いという訳だ。
だから「穴二つ」でも「天然の十倍返し」は誰にでも起こる。
不幸はそれぞれのタイミングでやって来るものだから。

で、この話の「種明かし」をあえて記事にしたのは何故かと言うと
最近知り合った方から、
「私をいじめた人って交通事故で死んだり、病気になったりするんです」
という内容のメールを貰い、ちょっと引いたからだ。
これは何を意味するのか?
何しろ不特定多数が読む個人のブログの様な媒体ではなく
個人宛のメールということもあるが、
「私をいじめたり、悪口を言わないで下さい」という意味なのか
「私をいじめると酷い目に遭いますよ」という意味なのか
相手の言葉の意図が分からなかったからだ。

今度公開される映画「白ゆき姫殺人事件」の番宣で
TV出演していた湊かなえさんが
誰に宛てられて「書かれた」ものか、「話した」ものか、
読む相手が誰かに寄って違う意味を成すものがあるし
メディア媒体やネットのツールにしても
その気軽さ、危うさが怖さに繋がる…というお話しをされていた。
その内容が面白そうだったので、ついでに原作の本を読んでみた。

実に計算されていて、現実に転がっていそうな話なので
尚更、怖さが増す仕上がりになっている。
まさに、「あるある事件」といった具合だ。

世の中には悪びれず邪悪な人が居て、己の正当化の為や
自分に都合の良い事実を捏造する為に、平気で嘘をつく。
大抵いつでもデマを流す人間は同じ人で
色んな意味で、「声の大きな」人物である。
こういう人は意外と人の話を聞いていない人が多いので
話の辻褄が合わない事が多い。
「声の大きな」人物の空想と仮想と現実が
ぐちゃ混ぜに語られるからだ。
この人物の話を真に受けて、上っ面しか見ない人が
誰かに伝言ゲームを始めると…という具合に怖ーい結果が待っている。
しかし、当事者に実際に合って話を聞くと、
又違う見解が見えてくる。
皮肉なことに、同じ事実(物語)も二人の見解は
常に異なる物語となる。
どんな事実も、語る人物からの視線で進むもの。
その人物の利己的視線か、客観的視線かは伏せられたまま。

ここに、トリックが生じる。

昔話の「桃太郎」は視線を変えれば「大量鬼殺害事件」にもなる。
世間を賑わせた通り魔殺人の容疑者が桃太郎気取りで
「世間(鬼)に対する復讐」とか言ったとしても、
現実の世界では通用しない。

私としては、
嫌な後味の残るミステリーなメールが届く
ホラーな日常を何とかしたいだけなのだが。









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