金沢に住む旧友の所在が分らず、
過去の年賀状を詰め込んだ段ボール箱を
ひっくり返していました。
その中から黄ばんだ一枚の葉書を見つけました。
なんと神様・黒澤明監督からの葉書です。
1979年3月14日の消印なので私が29歳の時に
届いたことになります。
当時の夕刊に[求む!出演者。黒澤 明]との大見出しが躍る
衝撃的な全面広告が目に飛び込んできました。
次回作『影武者』の出演者募集広告でした。
早速、履歴書、与えられた課題「私の映画観」を
800字内で原稿用紙に
一晩で書き上げ、和服姿で撮った写真を添え応募しました。
この無鉄砲な計画は誰にも内緒で実行されました。
待てど暮らせど一向に返事もないまま忘れていた頃、
この葉書が届きました。
書面には「この度は『影武者』の出演者募集にご応募下さり
誠に有り有難うございました。
おかげ様で、全国から予想以上の反響を頂き、
日本映画に対する皆様の熱意に大いに励まされた次第です。
厳選させて頂いた結果、応募者多数の為、残念ながら
貴方は書類による選考に漏れました。………。黒澤 明」
そうです。第一次書類選考の結果報告の葉書でした。
この葉書で「カミさん」にも極秘裏で進めた計画も
バレてしまいました。
NHKのドキュメンタリー特集で黒澤さん自身が
何万通もの応募書類すべてを
読んでくれたことを知り感涙いたしました。
この葉書は「私の宝物」なのです。
写真のプログラムは『七人の侍』が1975年に20年振りに
銀座「テアトル東京」で上映された時、購入した物です。
この映画は一度観たら、また観たくなります。
三度、四度、……十度。
もう何回観たのか憶えておりません。
私の映画史上、第一位の座は永久に変わりません。
過去の年賀状を詰め込んだ段ボール箱を
ひっくり返していました。
その中から黄ばんだ一枚の葉書を見つけました。
なんと神様・黒澤明監督からの葉書です。
1979年3月14日の消印なので私が29歳の時に
届いたことになります。
当時の夕刊に[求む!出演者。黒澤 明]との大見出しが躍る
衝撃的な全面広告が目に飛び込んできました。
次回作『影武者』の出演者募集広告でした。
早速、履歴書、与えられた課題「私の映画観」を
800字内で原稿用紙に
一晩で書き上げ、和服姿で撮った写真を添え応募しました。
この無鉄砲な計画は誰にも内緒で実行されました。
待てど暮らせど一向に返事もないまま忘れていた頃、
この葉書が届きました。
書面には「この度は『影武者』の出演者募集にご応募下さり
誠に有り有難うございました。
おかげ様で、全国から予想以上の反響を頂き、
日本映画に対する皆様の熱意に大いに励まされた次第です。
厳選させて頂いた結果、応募者多数の為、残念ながら
貴方は書類による選考に漏れました。………。黒澤 明」
そうです。第一次書類選考の結果報告の葉書でした。
この葉書で「カミさん」にも極秘裏で進めた計画も
バレてしまいました。
NHKのドキュメンタリー特集で黒澤さん自身が
何万通もの応募書類すべてを
読んでくれたことを知り感涙いたしました。
この葉書は「私の宝物」なのです。
写真のプログラムは『七人の侍』が1975年に20年振りに
銀座「テアトル東京」で上映された時、購入した物です。
この映画は一度観たら、また観たくなります。
三度、四度、……十度。
もう何回観たのか憶えておりません。
私の映画史上、第一位の座は永久に変わりません。
芝居に歌にと、ご活躍のご様子ですね。
息子も出させて頂いたようでお世話になりました。
ひろたさんのステージは一度、舞台の隅で
こっそり見たいものですね。
実の息子よりひろたさんとのやりとりが多いので
なんだか私の息子の様です。
ところで私の次点は黒澤さんの「どん底」です。
私もベスト1です。
次点はチャップリンの「独裁者」
昔の話ばかりで恐縮ですが読んでいただき
うれしくなりました。
あの日、目にした「求む!出演者募集。黒澤明」というインパクトのあるキャッチを超えるコピーは
いまだにありません。
Tsugeさんも一人の男の人生を狂わせてしまうような
コピーを書き続けてください。
ビートルズの日本公演については
後日、書いてみたいと思います。
また昔の話になってしまいましたね。
黒澤さんのハガキといい、
狸笑庵さんの宝物はせうてきですね。
そして、それが大切に心の中にしまってあることも
とってもすてきです。