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今日はなにいろ?

午前3時の緊急地震速報

2011-08-12 11:40:26 | 震災
ここ3回続いているんですよね、午前3時の地震。
(8月12日 7月31日 7月25日)
いずれも緊急地震速報が届いて、震度4でした。
緊急地震速報の設定が変更になって今までだと遠くの地震もひと括りに速報されていたけど、今度はピンポイントになって精度も高くなったとか。

震度4くらいだとあまりビックリしなくなりました。
最大震度5でもあんまり報道されなくなってきましたね。
あの震災前だったら、NHKなんかは数時間放送していたんだけど。

家の壁、あちこちヒビが入ってきました。
今度ずどーんと来たら危ないかも。

高速道路無料

2011-07-21 10:13:56 | 震災
ありがたいんです、確かに。
今、ちょっと毎週一度くらい遠出しなくちゃいけない理由があるので尚更。

被災者にとっては避難したり、戻ってきたり高速道路を利用する機会が多いからとてもいい措置だとは思うのだけど、これから1年間も必要なのだろうか、それより違うことにお金を使えばいいのでは?とちょっと疑問。

たとえば、被災地県”福島、宮城、岩手”のインターチェンジで乗降する車は半額にするとか。

そうしたら県外からのお客さん、増えるのでは?

復興のお手伝い、ボランティア、観光客、どんな形であれ被災地に訪れることは復興に近づくと思ってます。

岩手の平泉、世界遺産に登録されたのにあまり報道されてないような気がします。

もし、高速道路料金が割引になったらもっとお客さん来てくれるのでは?

ところで物凄く混雑していた料金所、だいぶスムーズになりました。前は書類のチェックにかなり時間をかけてましたが、今ではさっと見る程度。

高速で早く到着しても、ここで20分、30分待たされたのでは意味ないですからね。

ひまわり

2011-07-14 11:45:21 | 震災
最近あちこちでひまわりを見かける。

ひまわりを植える運動もあるし。

ひまわりは放射性物質を信じられないスピードで吸い取ってくれるとかで、ひまわりを植えている所が増えた。
これからひまわりの大輪をあちこちで見かけるんだろうな。
きれいだけど、ちょっと悲しい。

我が家も猫の額ほどのスペースにひまわりの種をまいた。
大きなひまわりじゃなくてミニひまわり。



可愛くて、切花にして花瓶にかざりたいのだけど今年は頑張って悪い物質を吸い取ってください。

松島に行ってみる

2011-07-06 12:50:05 | 震災
昨年の8月に松島に行ってきた。
あれから11ヶ月。
あれだけの津波にもかかわらず松島はそれほど被害がなかったというので再び訪れてみた。

五大堂側の駐車場は無料サービス。
今の時期、夏休み前とは言え本当なら駐車場も満車のはずなのだろうに、無料であっても空きがある。

五大堂、しっかり建っていた。
さすがに石灯籠の頭は落ちていたけど。


みやげ物のお店なんかも海の側だったのにちゃんとしている。
お店の人に聞いたら柱の半分まで浸水したらしいけど、他の町のように根こそぎさらわれることがなかったのは島が点在しているせいで、力が分散したのだろう。
ただ、地震のせいなのか、津波のせいなのか、中には休業中のお店もちらほら。



それでも松島は元気だった。
昼食にお寿司を食べ、お土産に醤油とせんべいと地酒を買った。
すこしでも地元の復興に繋がればと思い…。

帰りは若林区を通ってみた。
地震が起きた夜、テレビで「若林区は壊滅」と翌朝、若林の海岸に数百体の遺体があると言うニュースを聞いて愕然とした。

若林区は海からずっと平坦な町並が広がっていて、高台に逃げろと言われても高台、見当たらない。さぞ怖かったことだろう。

いまだに電柱は折れ、信号が使えず、通行整理している人がいる。

あちこち家が残っていて、ここまでは大丈夫だったんだろうと思ってよく見ると、家の中は空洞。
あるいは、家の半分が千切れている。まるで巨人がちぎったかのような、考えられない損壊状況に絶句。

遠くの防風林の松の木が根こそぎ抜かれて、流れ着いているのがゴロゴロしている。
車も船も瓦礫もまだまだ残っている。
あるいは、瓦礫や壊れた車で万里の長城のような山が出来ている。

先日相馬の海岸沿いを見た時もあまりの悲惨さに言葉をなくしたが、その時と同じ、あるいはそれ以上の悲惨さに胸が痛む。

この景色を見て、「知恵がないところは助けない」なんてよく言えるものだ。
東北は1000年に一度あるかないか、と言う被害を受け、本当に不幸だ。
だが、本当の不幸はこの時期にこんな人たちが政権を握っていることではないだろうか。
腹が立つというより最近悲しくなることが多い。




福島県民健康管理問診票

2011-06-26 07:50:55 | 震災
福島県民全員を対象に健康調査をすると聞いたとき、決していい気持ちがしなかった。
我々はモルモットか!と言いたくなる。

それはさておき、問診票を近々配布するとか。
見本を県のHPに置いておくので記憶が残っているうちに下書きしておいてください、と言うような広報があったのでDLして、印刷してみた。

これがかなり細かい。
特に3月11日から25日までは時間単位でその時取った行動を記入するようになっている。

あれから3ヶ月。
地震の記憶は忘れないとしてもその後の行動を克明に覚えている人なんているんだろうか。
毎日同じ仕事をしている人や同じ行動をしている人ならともかく。
しかも地震のせいでいつもと生活行動に変化があった人がほとんどだろう。
すっかり忘れてしまったよ。

その他、3月末までに家庭菜園等で口にした野菜の品名と分量を記入する欄もある。
飲料水を記入する欄もある。

いろんな意味で頭が痛くなる。

つまり、3月までにとった行動、口にした飲食物が大いに影響あるってことなんだろう。
政府が常套句のように口にしていた「ただちに~」はいったいなんだったんだろう。
3月までは安全な場所でじっとしていて、食べ物にも注意してくださいと告げるのが本当だったのではないか。

気になるのは「ホットスポット」
毎日、県が発表する放射能数値に一喜一憂していたが、場所によってその値が全然違うことが気になっていた。
最近やっと各所で検査し、その数値の報告が報道された。
我が家の近所の数値もあった。
まあ、低い方だったのでほっと一息、なのだが、場所によってはかなり高い。
土の上で測定した所は高め。
うちの周りは土ばかり。きっと高いんだろう。
測定器、欲しい。

これが、今年一年間だけだったら我慢も出来る。
が、そうはいかないだろう。
10年、20年、あるいは30年…。
長い長い、闘いだ。

最近この国の首相は「燃え尽きるまで頑張る」と言っていたが、その前に燃え尽きちゃうよ、わたしたち。

しっかりと目に焼き付けて

2011-06-14 09:42:42 | 震災
テレビのコメンテーターが「政治家は(忙しくて被災地に行けないなら)テレビでこれだけ悲惨な現地の様子を報道しているんだからそれを見ればいい、テレビを見なさい」と言っていた。

私もテレビの映像やらネットや雑誌で人に負けないくらい見た、といえるくらい見ていた。
が、今、現地を見ておくべきだと言う人がいて、その人と一緒に津波の被害に遭った相馬へ行って来た。

被災地にはボランティアの人もたくさん来ているが、中には野次馬もいてブログやらツイッターでその報告をしている、と言う記事を目にして心無いなあと思っていた。今自分がしていることは野次馬以外の何者でもないなあと心苦しい。

が、相馬には数多くの思い出がある。海水浴、潮干狩り、釣りに海産物のみやげ物や、食べ物や。子供の頃から何度も通った土地だ。
その土地がどうなったか知っておきたいと震災直後から強く思っていた。

街中はいつもと変わりない。私が住んでいる町より平然としている、と言っていいくらい。「頑張ろう、福島」ののぼりもない。崩れ落ちた建物もそれほどない。

が…。

中心地を少し離れた所に入ったとき、異様な風景に息が詰まった。
まだ海岸線も見えない農地に巨大な船が乗り上げているのだ。津波がここまで押し寄せましたよ、と言う線引きがまるでしてあるかのように、くっきりと津波の跡が残っているのだ。

鳥肌が立った。
胸が詰まった。
あの日、みんなどんな思いで海を見たのだろう。

海はまるで何もなかったように静かだった。
が、かなり潮位が高い(と言うより、地面がしずんだんだろう)水面と陸地が同じ位置。台風が来たり大潮になったらどうなるんだろう。

いつも海産物を買っていた店の骨組みだけが残っていた。
柱時計は津波が押し寄せた時で止まったのか3時半過ぎを示していた。

もしあれば海産物とか地物の土産を買いたいと思っていたのだが、被害に遭った建物の片づけをしている人が数人いるだけ。考えたらそんな余力があるはずもない。「頑張ろう、福島」ののぼりを立てる余裕もないんだろう。

テトラポットや海岸に置いておくコンクリートの塊が信じられない場所にあった。波の力の恐ろしさを知った。

テレビ、新聞、雑誌、ネット。数多くの悲惨な写真を目にして来た。
が、現実にそれを見たときの衝撃はそれの比ではない。
しっかりと目に焼き付けてきた。私たちがしなければいけないこと、改めて思いを強く持った。

野次馬行為ととられるかもしれない。
が、もし余裕がある人は実際目にしておくべき、と私は思う。
ボランティアが出来ないなら、地元のものを購入するとか、地元近辺に宿泊するとか、食事をするとか、何かしらお金を使えば地元の復興にも繋がると思う。




ひとごとだと思って…

2011-06-10 10:24:54 | 震災
遠くに住む姉から電話があった。
「福島ダメだよね、死んじゃうよ」だって。
姉は一応教職者だ。こんなもんなんだろうな、他人事。

内閣不信任案が出てゴタゴタした時。
テレビに出ていた政治評論家の人が「東北の人は大人しすぎる」と言った。
もっと声を大にして訴えなさい、だって。
声を大にして訴えたって通らない。
みんな諦めちゃっているんだよ。
国の代表者より、今回は市町村の首長が頑張っている人、多かったと思う。

年で20ミリシーベルトは危険すぎる。
福島の子供、逃げなさい。
いろんなことを言う人がいる。

そりゃ逃げたいよ。今すぐでもどっか遠くに行きたいと思う。
子供がいる家庭はもっと強く思っているに違いない。
が、仕事があって家がある。
それを捨てて新たな地に住み、今までと同様な生活が出来る保障は全くない。
それを簡単に「逃げなさい」って…。
あの日以来、洗濯物を外に干したことはない。
窓も開けない。

「福島の子供はかわいそう、放射線にさらされ、給食は福島県産野菜を食べさせられて」
テレビであるコメンテーターがそう言ったとか。
どういうつもりで言ったのか分からないが、福島県民、全員を悲しくさせる発言だった。

東電の社長がお詫び行脚しているとき、避難住民が「土下座しろ」と言い、社長が土下座で謝った。
そのことについて、新聞の投書欄に「違和感を覚える」と非難投書が載っていた。
確かに社長が土下座しても、何の問題解決にならない。私もあまり気持ちがいいものじゃないと思った。
が、当人たちにしたらそれくらいのことをして、当然だろうと言う気持ちがあったんだろう。
家を捨て仕事を捨て逃げなくちゃいけない。しかもいつ戻れるかも分からない。
彼らの気持ちになればそれも理解出来なくもない。

結局、他人事なら何とでも言えるってこと。
実際その身にならなくちゃ、理解できるものではない。
テレビで発言する人はよく考えて発言して欲しいし、何より国を動かす人はその思いをしっかり受け止めて動いて欲しい。

明日で震災から3ヶ月。傷は癒えない。




緊急地震速報

2011-05-11 09:49:20 | 震災
確か、あの震災が起きる前までに「緊急地震速報」が携帯に届いたのは、1年の間に2件だったと思う。

20件を超えると古いメールから消えてしまうので、あの震災が起きてから何件のメールが来たのか正確には言えないが、たぶん35件くらいは来ている。
2日に一度は来ていたってことになるんだから、いかに地震が多かったかってこと。

ただし、この緊急地震速報、4月末で63%が不適切だったと気象庁が言っている。
3割バッターってことか。まあ、それなりに当たっているってことかも。

最近、あのキュイン、キュインがならないなと思っていたら、今日の未明、4時22分に鳴り出した。
揺れてないと空振りがほとんど。今回も揺れてないから空振りだろうと思っていたら、やっぱり空振りだった。
もう、この時間帯は一番眠いんだから、勘弁してよー。
と、思っていたらその30分後、またキュイン、キュイン。
どんな嫌がらせだよ。
ちょうど2ヶ月目だから、油断してるなよーって警告か?

地震って予測はほとんど不可能なんじゃないかと思う。

今後30年以内に地震が起きる確率。去年気象庁が発表した資料によると、浜岡原発は83.6%~84%。
国が原発を止めた理由は確かに分かる。

が、福島原発がある所は「0.0~0.8%」になっていた。
1%未満だったのに、震度6強の地震が起きた。

仮に別な場所で地震によって原発事故が起きたとしたら、1%未満の福島原発を止めることはなかっただろうなあ。
確率が高いから浜岡原発を止めると言う理論、果たして正論なのだろうか。
他の1%未満の原発、大丈夫なのか?

何もなければ原発は安全、安心。
が、一歩何か起きちゃうと、もう人間の手に負えない凶暴なバケモノになってしまう。
人間が作り出したのに、人間が制御できないなんて。
まして、自然が生み出す地震や津波、人間に敵うわけはない。

3割バッターでも気象庁なり、地震予測学会なり、信用するほかないのかも。

いろんな人がいる

2011-04-19 14:06:53 | 震災
テレビで流れていたある主婦のこと。
子供が学校から貰ってきた給食献立表、葉物が使われているところをマーカーでチェック。
学校に電話して、産地がどこか聞くんだそう。

つまり、その野菜、福島とかの野菜じゃないでしょうね?って確認していることなんでしょう。

テレビ側のスタンスとしたら「これだけ気を使っているお母さん」と言うことなんだろうけど、私には単なるモンペにしか見えなかった。

そのお母さんって日ごろからもちろん、スーパーの惣菜なんか買ったことないんだろうし、もちろん冷凍食品も使ったことないんだろうね。ファストフードも食べさせないし、おやつも手作りなんだろう。
そうじゃなきゃヘンでしょ。

結局あれだね、攻撃しやすいところばかり文句を言うんだよね。今は原発汚染。これは簡単に攻撃しやすい。

この番組の〆はお水。
ある東京の主婦、実家の福島のじいちゃんからペットボトルの水が届くとか。
「俺たちはもう年だから。子供にはこの水飲ませろ」って。
コメンテーターたちが
「いい話だなあ」って。
ちょっと、ちょっと、ちょっと。
福島の水道水、汚染されてないから。
まあ、確かに一部飲めない地域もあるけど、うちの水道水、一度も引っかかったことないから。
別に年じゃなくても、全然大丈夫なんだから。
ってテレビの前でわめいたって、仕方ないんだけど。

つまり、風評ってテレビが作り出しているんじゃないの?

「放射能がうつる」
あのお話は可哀想だった。
その他、福島いじめはいっぱい見聞きする。
でも、みんながみんなじゃない。

ある人が県外に避難して、スーパーで買い物して、戻ってきたら車のサイドミラーの所に大きな買い物袋がぶら下がっていたんだって。
中には食料品がいっぱい。
ワイパーには「頑張って!」と言うメモ。
私は泣きました、その記事を読んで。

世の中いろんな人がいる。
「風評被害で福島の人が辛い思いをしないようにあたたかい気持ちで接して欲しい」って政府のタダチニさんが言っていたけど。
そんなことを言わなくたってあたたかい気持ちで接する人はいっぱいいる(って信じている)
(だいたい、あのタダチニさん、一応落ち着いてきたから、やっとって感じでやって来て、その上、あの重装備って何?)

風評被害ももちろんだけど、政府の人が発する言葉、これが一番こたえる。
東日本がだめになるとか、10年も20年も帰れないとか。
最近では「もうだめだと思ったことがあった」とか。
おいおい、まだ安定したわけじゃないのに。そういうのはすべて終わってから言って欲しいよね。
(ちなみに、それっていつの時だったんだろう?)

ネットで強く避難を勧める人がいる。
これだけの数値が一年経つとこうなるんだから、今そこにとどまっている神経が分からないとか。
私だって政府の言葉をまるっと信じているわけじゃない。
が、今すぐ他の場所に避難出来るわけがない。したくもない。
それに、子供がいるわけじゃないし、若くもないからそんなに心配してない。

だけど、やっぱり若いお母さんとか、これからここで生活の基盤を造ろうと考えている人、悩むだろうなあ。
悩んでもそれでいいって結論付けている人もいるだろうに、煽るように悪い数値を並べ立てて、将来どうなるか分からないってネットで発信している人ってなんなの?

「子供さん、妊婦さんはすぐに避難して下さい、将来白血病になったり、がんになったり、そういう事例を私はたくさん見てます」って発言、最近見た。
名前を見たら「ああ、この人…」
前から原発問題に取り組んでいた人。その手の映画を作っていた人。
いろいろ調べてるんだろうから素人よりは詳しいんだろう。
だけど、そういう事例って何だろう。チェルノブイリのことかな。
そういう事例、そんなにないと思うんだけどね。
「いっぱい見てます」
この発言はキツイよね。
動揺するよ、みんな。
親切なんだろうけど、けっしてプラスにはならないと思う。
だって、避難しようと思っていた人はとっくに避難している。そんな発言を見なくたって。
やっぱり私はここで暮らしていくって決心した人にとってはその手の発言、グラっってくるよね。気持ちも良くない。
結局、余計な記事は見なきゃいいってことなのかも。

それと、いろんな人がいるってことでもう一つ。
最近泣ける話ってのがあって。
漫画仕立てにした福島の高校生のブログだったか、なんだったか。
結局、「東京の電気のためにわたしたちがこんな思いしているのに」ってのがオチだったんだけど。

私は原発がああなった時から、そんなこと一度も思わなかった。
だって、タダでくれていたわけじゃないし、大きな利権が動いていたこと知っていたし。
いや、ほんとのこと言うと一瞬そう思ったことはありました、はい。

でも、すぐに東京の人たちが「自分たちの電気を作ってくれていた福島の人たちのためにも」と言う言葉を発信してくれたのを聴いて、分かってくれているんだって思った。

原発のトラブルが起きたときに、原発のことが分かる動画というのがYoutubeにあって(うんちとおならにたとえるあれ)それを見たとき「今まで長いこと東京やその近辺に電気を送り続けてくれた福島の人たちのためにも祈ってください」と言うようなメッセージを聞いたとき涙がこぼれた。

改めて福島県民が「東京の人に~」って声高に発言することもない、ってそう思った。

いまさら原発がどうこう言ったって仕方ない。
特別なこともないけど、穏やかで静かで普通の福島に戻ることだけが今の願いです。








あれから1ヶ月

2011-04-10 08:43:35 | 震災
あっという間のような、長かったような…。

何不自由なく過ごして来た日々。
欲しいものは何でも手に入り、必要ないものはどんどん捨てる。また買えばいい。どこでもどんな時にも欲しいものはいつでも手に入るんだから。

そんな日が普通だと思っていた。
戦争があったり、天災が起きたり、世界ではいろいろなことがあっても、それは自分には関係のない世界のことだと思っていた。

ところが…。

春の高校野球で震災にめげずに出場した東北高校の選手が「野球をさせてもらっていると言う喜び」と言っている映像を見て涙がこぼれた。
あの日が来なかったら言える言葉じゃないし、それを耳にして泣けることはなかったろう。

石原知事の「天罰」云々はどうかと思ったけど、震災を経験した身として、これは今まで何にも感謝することなく、当たり前のことと傲慢に生きてきた私たちへの「警告」なのでは?と思ったりした。

私の被害は微々たる物だ。壊れたものは買いなおせばいいし。断水も1週間で終わったし。

家をなくした人、大切な人を失った人。
毎日報道されるニュースを、涙なくして見ることは出来ない。

新聞を開いた時「行方不明者」の名前が、紙面全体に、細かい文字でずらーっと並んでいるのを見たとき戦慄を覚えた。

ガソリンがなくなり、徹夜で並んでいる車の列、列、列。
わずかな食料品を求めて、ずらーっと並んでいる人、人、人。
やっと店に入れてもほとんどの棚は空。
必要なものはほとんど手に入らない。
何も変わらない町並みのようで、よく見ると壁が崩れ、窓が割れ、塀が壊れている。
瓦が落ちてブルーシートに覆われた屋根があちこちある。
ポストは封されて手紙を受け付けない。宅配便も止まった。
いまだに通らない電車。
あの地震がどれほどのものだったのか、改めて感じる日々。

それでも3週間も経つとガソリンが普通に手に入るようになって、品物も流通しはじめた。
パンも牛乳も納豆も買えるようになった。
宅配便もちゃんと家まで届けてくれるようになった。

だけど…。

毎日、気が滅入る。

時間ごとに更新されている「放射能測定値」に一喜一憂。
早く正常値になればいい、正常値までとはいかなくても、1マイクロシーベルトを切ってくれたら。

あの日から屋内避難している人と同じ生活をしている。
必要のない外出は避ける。
洗濯物は外に干さない。
エアコンは使わない。
外出する時はマスク、帽子、手袋。

そこまでしなくても大丈夫と言われている距離なのだけど、放射能量は屋内退避の土地と同じくらい多い日が続いている。どうすりゃいいの?
すっかり春めいて、こんな日はどこか花見に行きたいなと思っても、気が引ける。
布団を干したいし、洗濯物もお日様に当てればすぐ乾くんだろうけど。
誰も外に干している人いないし、外で遊んでいる子供の姿も見かけない。
むしろ、遊ばせているとクビをかしげる人もいそう。
放射線が多い地区では校庭で活動させないように、なんていう指示も出たとか。

空気が汚され、水が汚され、土地も汚された。海も汚された。
福島は農産物、海産物、そして観光で生きてきた町。
これからどうなるんだろう。

原発が金になるから誘致したんだろう、自業自得だと言う声もある。
確かにそういうところもあっただろう。あの近辺の箱モノ、尋常じゃなかったし。
だけど、その恩恵に浴していたのは一部の人、福島県民全部じゃない。

言い続けられた「安全、安心」の原発安全神話。
誰もが疑わなかった。
と言うか、原発の存在、浜通りに言った時に感じるくらいでふだんは忘れていた。

きっと、東電の人も原発関連の人たちもまさか、ああいうことが起きるなんて考えてなかったんだろう。
「想定外のことが起きた」と誰もが口にした。
でもその想定外のことを想定しておくのは関係者なら当然だろう。
そもそも、立ち上がりが遅い。なんで震災の翌日総理が視察に来るんだろう。危機感欠如。
アメリカやフランスなどに、すぐに頼らなかったのも不満。
不満はキリがない。

「放射能、心配だよね。福島の人はゼッケン付けて欲しいよね」と東京の電車で耳にした、と言う記事が地元紙に載っていた。福島の人、宿泊お断りとか、ガソリンお断りとか、入店お断りとか、福島の食べ物売れないとか。

心が折れる。

でもね、日本では福島を白い目で見ているけど世界では日本を白い目で見ているんだよね。
いつまでもごたごたしていると、世界中から嫌われちゃう。
国に殺されちゃうよ、私たち。

福島を脱出する人のニュース、いっぱい目にした。
避難勧告が出てなくても自主避難する人たち。
そういえば、福島に住んで活躍している若手の作家さんがいたけど、すぐに逃げたらしい。
北海道の新聞に「こんなところに住んでられない!」とかなんとか叫んですぐに北海道に逃げたと言う記事が載っていたとか(苦笑)
あの日から見かけなくなった地元テレビ局の女子アナもいる。
小さい子供がいる人とか、若い人とか、ある程度自由になれる人なら、それがいいのかも。
毎日原発のこと、ハラハラしながら見守るよりずっといい。
北海道に住む身内から避難するように勧められたけどいろいろあってそうもいかない。
が、もう少し様子を見てこのままだったら考えてみようと思ってる。
だけど、狭い日本、どこに行っても同じじゃないの?

余震は相変わらず続いている。
自分だけが揺れているのか、本当に地震なのか分からなくなる。
緊急地震速報メールはあの日以来20回近く届いた。
あまりビビらなくなってきたが、7日の夜中に起きた余震は度肝を抜かれた。
あの日の地震に似ている。すぐに収まったからいいけど(本震の時は3連続で5分も続いたから)

映画館がオープンした。
そろそろ映画も観たい。
ただ、暗い中で大きな地震が来たらと思うと怖い。
地震、そんなに怖く思わなかったのだが、すごく怖くなった。

「おうちでえいが」のBBSが開かない。
サイトからの連絡で不都合が起きているとか。復旧作業をしているそうでまもなく再開出来るそうです。心配して書き込みしてくれた人たちに心から感謝します。ありがとうございました。