敗戦前後の「父の日記」を読む

昭和19年当時の世相、生活状況、父の考え方を読む。

神田駅付近が被災

2007-12-16 21:22:11 | 日記 戦中編
昭和二十年二月二十六日 晴 二,三直出勤
 朝起きてみると晴れていたが、昨日午後降りだした雪が一尺二,三寸も積もっていた。二十二日の雪がまだ消えないのに又降ったから井戸端など五尺ほどになった。
 出勤の時、板橋十丁目の停留場に出て見ると雪が一杯で電車の通った様子がなく警防団や隣組員が出て一生懸命除雪していた。歩いて板橋駅に行き新宿に出て出勤した。
 昨日の空襲で何所が損害を受けたか判明しなかったが神田駅付近が一番ひどくやられたとの話であった。 昨日、日暮れの頃なんとなく空の色が黄色く変に明るかったが矢張り火事のためであった。斯様な事が何時まで続くのか。
 夜、二回敵機が来た。

一日中連続空襲

2007-12-16 20:53:22 | 日記 戦中編
昭和二十年二月二十五日 曇後雪 公休
 公休なので朝寝をして居ると警報発令になった。
早朝なので又艦載機ではないかと思って居ると八時には空襲警報になり、矢張り艦載機の襲来であった。十時四十分一旦警報解除。
 午後二時二十分頃第二回空襲警報になった。 B29が編隊で来た。爆弾と焼夷弾を混投したと云うが何所だかわからなかった。四時四十分警戒警報も解除になった。
 休日でわあるが朝早くから空襲、それに曇っていて十時頃から雪になり寒くていやな日だった。
 夜、又三回来た。第一回は七時少し過ぎ関東東部に入り北東部から東方海上に去った。之は情報だけで警報発令にならなかった。
 第二回は九時少し前静岡から山梨に入り東進して関東北部から鹿島灘の方へ去った。
 第三回は静岡から信州東部に入り東進して山梨から関東に入り帝都に侵入、投弾して東南方に去った。 何所に落下したのか可也近く、爆弾のうなりが聞こえついで地響きがして炸裂する音が聞こえた。 降雪中で敵機が見えないが通過する音が聞こえたのでもう大丈夫と思って居るとやや暫らくして落下した。 今まで敵機が頭上に来た時はもう安全と思っていたがそうでもないらしい。
 九時の報道の時、B29が今日の昼間爆撃で 大宮御所に投弾したと云う。何たる獣類ぞ。