体ガンの火事!?

未婚独身の働きマンrinco 31歳最後の月に子宮体ガンが発覚!!
ホルモン治療→手術への道のり

【4月21日】治療変更

2008年04月23日 08時20分23秒 | 現在の状況
手術日が大急ぎで決まったのですが
また変更になりました
先ず2サイクルほど化学療法してから手術することに

画像上 複数の骨盤リンパ節の腫れあること
私の体重のせいで手術リスクが高いこと
が理由です。

抗がん剤している間に
ガンが小さくなり
わたしも痩せる

そんなWダイエットが目標です…

とにかく治療開始
23日に入院します!

【手術まで11日 4月19日】病院からの連絡

2008年04月19日 16時49分48秒 | 現在の状況
明け方までウェブにて
G3の子宮体がんについて検索していたので
うとうとしていた午前10時過ぎ

新しい病院の先生から
またもや、連絡が!

手術日のキャンセルがでたので
30日に行わないか?
22日の診察の際、レントゲンと心電図
自己血の確保をする。
という事でした。

予後を考えると少しでも早く手術したいと
考え始めていたので
30日で予約をしてもらいました。

一日にして2週間予定が前倒しに
今日から色々支度しなきゃ・・・・・

またもや忙しくなってきました。
まずは新居の準備から!


【4月18日】MRI検査&結果

2008年04月19日 01時36分06秒 | 現在の状況
暴風雨の中
今日は一人で病院に行く。
検査のオーダーだけだったため
更に時間通りに進む。

仕事関連で、検査機器をチェックするのも
検査の目的(!?)
新病院のMRIはGE製だった。
前病院のはシーメンス。
GEのはシーメンスに比べて
開口部(頭部側)が少し広く
ゆったりとしていたけど
音は大きめで、耳栓+ヘッドホンで、シーメンスと同じくらいの音が。

30分ほどで、検査が終わり、
その足で前病院から借りていた資料の返却まで雨の中
西へ東へと移動

瀬尾まい子さんの『幸せな食卓』を読みつつ
病院通いをこなしました。


そして、久しぶりに会社の寮に帰って
引っ越し準備に取りかかろうとした時
携帯に新病院の担当医T先生から連絡が!?

なんとMRIの結果がもう分かったそうで
生検の結果と併せて連絡してくれたとか
早い!早すぎる!!

子宮体がん Ib
グレード G2/G3
腫瘍の大きさが4.5センチ
リンパ節の腫れがありそう
ヒスロン経過観察中にこんなに激変するのかと
解せない気持ちだけど
と報告してもらいました。

癌の顔つき(グレード)が変化してしまったので
急に腫瘍が大きくなったんだ。
ようやく理解。
2月に生検しておけば、こんなに大きくならなかったかも・・・

直ぐにでも手術をしたいのだけど
手術室の調整ができないらしく
5月12日に予定するとのこと
22日に、画像を見せてもらいながら説明してくれるとのこと

それまで、仕事に復帰したいが
GWがあるので、それもままならず。
予定していた年休も、退院するまでに消化してしまいそう。

療養先として考えていたお部屋が4月24日入居なんで
本格的な引っ越しをしてしまおうか思案中。


【4月15日】転院先初診

2008年04月19日 01時14分35秒 | 現在の状況
14日月曜日に検査結果を受け取って直ぐに
転院先に向かったものの、
受付時間を過ぎていたので、ツレと病院周囲散策をして帰宅。
あーうっかりにもほどがあるなあ。

病院の総合受付の方が気の毒がって色々教えてくれた。
初診で予約なしなら、朝からきても最後の診察なんで
受付ギリギリ12時に来た方が待ち時間もないんだって。
受付から好印象。

気を取り直して15日(本来なら手術日)の11時半に受け付け
だいたい16時くらいになると教えてくれたので
院内ポケベルを持ったまま14時まで
お昼を食べたり、散歩していたら
携帯に もう診察できますと連絡が!
病院で待ち時間がないことに慣れないため、すっごく驚きながら
病室へ駆け込む。

ちょっと渋い舞台俳優みたいなT先生
F病院の先生が書いた経過報告書の確認をしつつ
なんでこんなに急に大きな腫瘍が現れるか解せないと。
(これまた私の心情どおり)
細胞診、組織診とMRIをやり直しつつ
手術日の予約をしておこうとのこと。
久しぶりの内診で冷や冷やしつつ、診察は終了。

18日の午後からMRIの予約だけ入れて帰宅。
素早く対応してくれて、本当に感謝。
結果を聞くのは22日。

転院しました

2008年04月19日 01時02分09秒 | 現在の状況
4月11日、手術のために入院したF病院で
15日の手術の計画について説明してもらった。
午前中に入院して
血液検査と尿(クリアランス)検査をしつつ
17時に家族にも来てもらったけど
結局始まったのは18時半。

+2日に説明していた内容と変わってしまった理由が不明
+説明が常に後出し
+後遺症等、手術のデメットについての説明が全くない

という事態に、一年近く見て頂いていたH先生に
体を任せる勇気が萎んでしまったのです。

私が聞きたかったのは
どういう場合は、どんな術式で行うか。
(それは、病院の指針なのかガイドラインなのか)
またそれぞれのメリットデメリットはなにか。
開腹してからしか決められない事はなにか。
開腹前に決めてしまわなければいけない事はなにか。
私に選択権があるのはどこか。
と言うことだったのだけど
H先生の説明はオブラートにくるんだようなものだった。

先生は、後出しの様な説明だけど、治療を続けていけば
今後もこういう事は多々あることだ。
とも、言っていた。
不測の事態があることなんてわかっているけど
先生に聞きたい事は色々収集した情報のどれが
私に関することなのか確認したかっただけなのに。

私は、理系研究職なんで、
理論整然と説明して欲しかったのです。
データで納得するタイプだったからこそ
MRIで子宮を手放す覚悟も決めたのに。

内膜掻爬で何度も入院していたので
顔見知りの看護婦さんが何人か居て
朝入院した直後に病室まで来てくれた。
今回は摘出で来た旨を伝えたら
凄く驚いていた上に、
先生の説明が変わったりして
ちょっと戸惑っていると言ったら
『納得してないなら、病院はここだけじゃない。子宮だけでも驚くことなのに
一度残せるといった卵巣をとる話を突然するなんてありえない!』
と言ってくれ、本当に心が軽くなった。
その上、昼には婦長さんと数名の看護婦さんが来てくれ
卵巣の凍結保存等についても
この病院ではやっていないけど、一生懸命考えるよう
急ぎすぎないように励ましていってくれた。
夕方の説明で、必要ならば立ち会ってくれるとまで言ってくれた。
納得できなたかったら退院していいんだよ。なんてまで。

本当にうれしかった。
涙が出そうだった。
心強かった。

結果、私は退院しました。
14日月曜日に検査資料(MRIフィルムと生検結果)をもらい
転院しました。

H先生のやり方が間違っているというつもりはないです。
働いている私の生活もずっと尊重してくれていたし
ただ、手術に対するインフォームドコンセントが私に適合しなかっただけ。



入院しました

2008年04月11日 12時56分26秒 | 現在の状況
入院3日前に
突然電話で卵巣まで取るときかされ
正直唖然としてます
理由はそれが標準だから

4月2日の説明では
年齢的なこともあるし
画像上も問題ないから
お腹開けて酷いことがなければ
2つとも残すって言ってたのに

手術四日前の今日の夕方
正式に手術の説明をすることになってたので

とりあえず 最小の荷物で入院しました

感謝 【手術まで12日】

2008年04月03日 21時52分28秒 | 現在の状況
今日は一日会社でした。
打ち合わせに引き継ぎに
残務処理に追われるなか
センタ長(私が所属するセンターのトップ)に
休養の報告に行ってきました。

本当の病名を言っていないのに
センタ長は一所懸命はげましてくれました。
『居ない間に居場所がなくなることがないよう
みんなでサポートするから安心して休養するように!』
『復帰したらカラオケ大会だからね!』

心に染みます。ありがとうございます。

『病院の先生は問題ないの?』
『人脈をつかっていくらでも先生をさがすから
困ったらいつでも言うんだよ!』

あやうく本当のことを言ってしまうところでした。

あっという間に手術になってしまったのと
理系の自分が『やばい!(かも)』というMRI画像だったので
私はセカンドオピニオンを選ばないことに決めました。

はじめてガンが見つかったとき、
黙ってないで、みんなに頼ったら、なんとかなったのかな・・・・・


周りのみんなに感謝。
いつか、本当のことが言える様に。
とにかくここに戻ってこれるように。


明日から、療養先アパート探しです。

本当に色々やらなきゃいけないことだらけで
ちょっと興奮状態。
センチメンタルになることもままならないなー。
でもこれで良かったのかも。

はじめまして

2008年04月02日 22時35分19秒 | はじめまして
はじめまして。
rincoです。
現在32歳、独身(ツレあり)、働きマン。

若年性子宮体がんの罹患者になってしまいました。
温存治療をして、一時はがんの縮退もみられたのですが
MRI画像に急変病巣がみられてしまったので
子宮を手放すことにしました。

今は兎に角、将来のために記録する場としてブログを選びました。
なにも考えず、思いつくまま書いていこうと思っています。




決定 【手術まで13日】

2008年04月02日 22時21分05秒 | 現在の状況
午前中は会社で仕事の調整をし
13時半に退社して
病院最寄り駅まで徒歩で移動し、BFと合流しました。

術後の療養用アパートを探す相談をしました。
実家と言っても父しかいないため
BFと住んで療養することに決めたため
突貫で住むところを決めないと!!

私よりも先に、子宮より私の命を選ぶことを決めてくれたBFに
サポートを受けて、暫く乗り切るつもりです。
本当に感謝しています。
例え、この先ずーっと続かなくても
一生感謝して生きます。

15時に父と、叔母二人が病院に合流。
みんなで先生から説明を受ける。
叔母達は手術に懐疑的だったのだけど
先生の説明と、私がもう手術したい旨を伝え
15日に手術をすることに決めました。
常に自分の思いどおりに動かしてゴメンね。
父と叔母にも感謝。

正直未練がない訳じゃないです。
でも、もうしょうがないと。
一年近くの温存療法をして
1月の掻爬検査では薬の効果が現れ、
もうすぐ治療が卒業できるとまで
話していたのに・・・・・・・
3月19日のMRIでは、子宮の三層構造が崩れ
子宮内に三センチちかいナニカができ
右太ももリンパ節も腫れていると言われてしまったのだし。

なんかばたばたして喪失感に浸る間もない。
手術後に来るのかな。


今日は、手術に必要な腹帯やら浴衣やらを買いました。





休暇願

2008年04月02日 00時12分21秒 | 現在の状況
新年度スタートです。
今日から、新しいユニットでの仕事が始まりました。

新ユニットで最初の仕事は
『子宮摘出手術のための相談』でした。
結局職場には、病気の箇所もガンのことも
言えませんでした。

腫瘍を開腹で摘出すること
腫瘍によっては抗ガン剤治療が加わるかもしれないこと
お休みの期間の予測を
新しいリーダーに伝えました。

新リーダーは凄まじく仕事がはやく
着任の挨拶のときに
『rincoさんは、療養のため暫くお休みすることになりました』
と新しいユニットのメンバに伝えてくれました。
あっという間に、働きマンから病人へ。

新ユニットには半年間一緒に仕事してきて
新年度からも同じチームになる人たちが
いたので、できれば、私から先に伝えたかったな。

新年度スタートの今日は
イベントごとが多くて、
また、仕事の調整をしようにも
突然すぎて、うまくいかない。

昨夜から出血しているし
なんか眠れないのだけど
何をしても思い出になりそうで
今日は新年度の懇親会で
偉い人たちとカラオケしてきました。


明日15時から、
父親、叔母達、BFを交えて
病院でインフォームドコンセントを受けてきます。