炎と水の物語 2013 Apprehensio ad Ignis et Aquarius.

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869年 宮城 ・ 福島沖  巨大地震・大津波 2  その背景を考える

2005-08-28 | 日本列島の災害


・画像は、昨年12月26日プーケット島で観測された、大津浪前の退潮現象。 Andaman Graphic. Co.Phuket.Thai の ご厚意


 平安時代、陸奥の国を襲った869年、貞観十一年の巨大地震を調べている地質学者は、宮城平野の地下に、3つの巨大津波の海砂の層を発見しています。
最も、新しい巨大津波の層は、この869年の貞観十一年の巨大津波で、その下層に、約千年に一度づつ、少なくとも、もう二回の巨大津波 襲来の痕跡があると発表しています。*

 平安時代、貞観十一年の巨大津波で、打ち上げられた砂の層のすぐ上には、火山灰の層があります。これは915年頃、大噴火した十和田湖の火山灰と考えられています。
今は静かで、美しい湖水を湛える十和田湖は、約 二千年に一度、大噴火を起こしています。 この平安時代の十和田湖の噴火は、日本の有史時代で最大の噴火で、東北地方一帯に、火山灰を降らせています。その噴火は強烈で、火口の周囲「20km以内のすべてを破壊しつくした」と言われています。**

 この噴火で、放出された噴出物は、現在の秋田県側の米代川に流れ込み、洪水を引き起こして、流域にあった 当時の家屋を埋めてしまいました。考古学の発掘調査で、埋没した家屋が発見され、復元されています。その建築様式は、サハリンのニブフ族などの家屋に、とてもよく似ています。(これも興味深いので、いつか記事にしてみましょう。)

 さて、十和田湖の大噴火と同じ頃、蔵王山も比較的 大きな噴火をしています。十和田湖と同様に数千年ぶりの噴火でした。(放射性炭素測定年代は、965年±60年. BP ***) 東北地方の火山群は、この大災害のあった十世紀までは、その殆どが、大きな活動もなく、数千年の眠りについていた事が判っています。さらに北海道の火山の殆ども、「 和人 」の進出する江戸時代まで、縄文以来の眠りに就いていました。
関東でも、榛名山が古墳時代末期の6世紀に噴火したのが、かわきりで永い眠りにありましたし、木曾御嶽山に至っては、周辺にダムが建設される 昭和に至るまで、数千年の長きにわたって、噴火の無かった事も、記憶しておきたいものです。

 次回は、富士山の貞観六年の大噴火と、貞観十年の神戸の地震等、当時の全国の地震災害を概観します。


<<<・ 『 869年 宮城 ・ 福島沖  超巨大地震・大津波 その1 』へ


-ご参考-
* 「 津波災害は繰り返す 」  箕浦 幸治 (東北大学広報HPに掲載)
* ・地質学者の意見 「原子力発電所は、小さな地震で壊れてしまう....」

** 『 日本の自然2 東北 』岩波書店,1997 (好著)
***『 フィールドガイド 東北の火山 』 築地書館 (吾妻山、磐梯山、蔵王、十和田湖だけは柱状図が入っている。大学ガイドも兼用か)

・「869年に仙台平野襲った貞観津波 規模はスマトラ級か」 goo News 
(文章がちとおかしいですが...)


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2 コメント

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やはり・・・ (masa)
2011-03-11 17:57:48
1000年に一度の超巨大地震がやはり来ましたね。恐ろしい光景です。おっしゃるように、東南海地震の予報や研究をしている方は多いですが、三陸沖の地震についてはあまり知られていないですね。現代では、色々な媒体に記録を残せるので問題無いですが、以前の被害状況を把握する必要はあったかと思います。
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やはり・・きたーー! (Yuzou)
2011-03-18 23:17:30
masaさん、ありがとうございます。
すっごい巨大地震でしたね。
「げんぱつ」がたくさんこわれてしまい、きもをひやしています。

でも、「869年の貞観十一年の巨大津波」はもっと、すごかったみたいですよ。
宮城平野が「すいぼつ」したとありますからね。

ばいく,きをつけて、のってくださいね。
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