幸せについての考察 【桐棺三寸】

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踏みとどまる障壁

2006-02-16 | 日記 Ⅰ

この頃、「思わない」ことと「思う」ことの差と、「思う」ことと「実行する」ことの差が小さくなってきたように思います。

例えば、魅力的な女性を見て「良からぬ妄想」を抱くことと、実際に「良からぬ行動」に移してしまうことの差…。

「思う」ということは、本能や潜在意識に根差した部分も大きいのである意味仕方ないことですが、それを「実行」に移すまでには、本来であれば自我や世間体、或いは恐怖感などの大きな「障壁・隔たり」が存在していたと思うのです。

「アイツをブッ殺してやりたい!」
「もう死んでしまいたい…」
例えばこんな感情に駆られることも、その程度の差こそあれ、凡人なら少なからずあるかもしれません。
しかし、実際に行動に移してしまう前に踏みとどまる障壁となる「何か」がある…。

しかし今では、この「障壁」が極めて小さくなってきたように感じます。

そこには、
「自我が形成・熟成される過程における、その生育を妨げる『異物』の混入過多、或いは逆に、あまりに純粋培養に過ぎる状態。」
「世間との隔絶を増長させるような、『個』を必要以上に重要視する風潮」
という原因が考えられるかもしれません。

そして、そのために、
「周囲の人たちの悪感情が自分に向けられるかもしれないこと」
「自分の将来も含め、自分にとって大切なものを失ってしまう可能性のあること」
「自分に何らかの危害やマイナス要素が及ぶ可能性のあること」
といった「恐怖」を感じない、或いは想像できない、といったことになっているような気がします。

しかしながら、自らの感情・思考を、実際に一般的な意味における「異常」な行動に移してしまうということは、やはりどこか「異状」であるものと考えます。

これはもう、安易に精神論や道徳論では片付けるべきものではない、「治療」を必要とするような「専門家」の領域なのかもしれません。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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